(A)20111029elucidation | 講師対談 〜僕らの学問〜

講師対談 〜僕らの学問〜

当ブログはTwitter上での国語講師城福博之と英語講師天藤崇のバトルのまとめや補足を行う場所です。内容に関するご感想はご批判を含め大歓迎ですが、真面目に議論をする気のない方やひやかし目的での書き込みはご遠慮ください。

[Hiroyuki Jofuku 2011.10.29]

自己と他者とを、そして世界とをむすぶ風景の中で我々は履歴を持つ。またそのような履歴の中で自己変容の起点として想起される風景を我々は「原風景」と呼ぶ。

Any image capturing one's life presents his relation with somebody else or with the world around him, and the chronological integration of such image leads to his personal history, or his identity. Looking back in the past, he can immediately bring to mind, and identify as the turning point of his self, one image, which we call the "primary" image.
(人の人生を捉えたいかなる風景(画像)も彼が誰か別の人と、もしくは彼を取り巻く環境と結ばれている様子を描き出していて、そんな画像を時間軸上に配列していくと、それがその人の履歴、即ちアイデンティティになる。過去を振り返ってみて、彼は即座に一枚の画像を想起し、それを自分のターニングポイントとして同定することができる。そういった画像のことを私たちは原風景と呼ぶのだ。)


前にも同じような話を書きましたが、ある言葉を異言語に翻訳しようとする際に最も難しいのは、あくまで「翻訳」に徹するという主体性のない(つまり、原文を書いた人の主体性に依存した)姿勢では、「何となく分かるような、分からないような」というレベルの翻訳、つまり人をして翻訳版を読む価値を感じないと言わしめるようなものが出来上がるのが関の山だという点です。僕は新渡戸稲造先生の「武士道」(注:原文が英語です)の日本語対訳版の本を読んで、その訳者である須知徳平先生の訳にいたく感動したことがあります。自分が馬鹿だと、優秀な人が書いたものが面白くないということはよくあります。みなさんも、そういう経験をしたことがあるのではないでしょうか。須知先生は、僕みたいな馬鹿な読者が新渡戸先生の叡智に近寄れるように、橋渡しをしつつ翻訳をしてくださっています。訳といいながら、さしずめ解説書です。英語でピンとこなかった部分が、訳を参照してからまた原文に戻ると、すっきりと理解できる。素晴らしい訳者さんだなと思って、調べてみると、新渡戸先生を研究されている教授さんでした。それ以降、僕も翻訳をする際には、僕の英文なり日本文なりが原文の味わいを読者により伝わりやすくすること(もちろん、極力原文から遠ざからないようにしながら)を意図して訳すよう心がけています。
前置きが長くなってしまいましたが、今回も例にもれずハイコンテクストな日本文でしたので、安易に直訳にいかず、城福先生が伝えようとした事を読者に伝わりやすくすることを意図して英文を書きました。英文のイメージとしては、「風景」を写真に例え、それを時間軸上に並べていくことで、私たちの「履歴」即ち、アイデンティティが作り上げられている、という感じです。プレイステーション3の写真アルバムを使ったことのある人なら、イメージしやすいのではないでしょうか。さらに、後半部分は「後になって振り返ってみると、今の自分のルーツとなった写真を必ず見つけることができて、その写真のことをprimary(原初の)写真と呼ぶのだ」という展開にしています。この「原初の」という単語は英語ではprimitiveという単語を使って表現することも多いですが、primitiveには全体的にネガティブな響きがあるので、今回はprimaryにしました。その他の表現としては、時系列順に統合するというchronological integrationなどは、オシャレな表現だと思いません?あと、終盤のbring A to mindとidentify A as the turning point of his selfをそれぞれの副詞句を動詞に連結させて因数分解的なストラクチャーに落とし込んでいる部分。コンマがあるから読み間違いはしないかもしれませんが、こういう文が難しいと感じる人は、まず自分で書いてみることですね。書ける文は必ず読めますから。