イチローの名言は数知れずですが、
改めて学んだことをご紹介します。

ちょっと時間が立ちましたが、日本時間9/15にイチローがシアトルである授賞式で、こんなスピーチをしました。
我々、剣道青雲会も基本稽古の会なので、毎週、同じ稽古を繰り返します。毎回、イチローのように同じ情熱を持って、取り組めるかということに尽きます。
先生から、毎回励まされて続けてはいるのですが、改めてイチローの凄さを感じ、ちょっとでも見習おうと心新たにするのです。
以下、引用です。
ありがとうございます。とても緊張しています。さあ、始めましょう。ディー(ゴードン)、雄星(菊池)、今夜は泣かないように。泣いちゃだめだよ。
 これは幸せな式典です。私が東京であの夜に引退した時、素晴らしいシアトルのファンがそこにいなかったので、何かが欠けている気がしました。今夜、私は皆さんからの何年にも渡るサポートに対して感謝を気持ちを示したいと思います。
 2001年に私がシアトルに来た時、それまで、日本から来た野手は誰もいませんでした。皆さんが見たのは、27歳の、小柄で、細い、無名の選手でした。皆さんが私を受け入れない理由は多くありました。
 しかし、大きな心で私を受け入れてくれました。そして、それは、私がここを離れても、そして戻ってきたときも、決して止むことはありませんでした。2018年にここに戻ってくるチャンスを与えていただき、本当にありがたく思っています。その理由は皆さん、ファンの方々です。
 ありがとう、シアトル。
 また、ニューヨーク、マイアミをはじめ、私が選手として訪れた場所全ての、アメリカ各地のファンにも、感謝しています。
 野球は、アメリカにおいて、真の国民的娯楽です。野球をこよなく愛し、リスペクして止まない人たちの前でプレーすることは、私にとってとても幸せなことでした。私が知っている最も素晴らしい選手たちと共に、または、そのような選手たちを相手に、プレーできたことは、大きな誇りです。
 彼らにインスパイアされ、私の野球のレベルは上がりました。また、今、ここで、若く、才能豊かで、将来チャンピオンシップをもたらしてくれるであろう選手たちと共に時間が過ごせることも、大変幸せに感じています。
 言葉と文化の違い、20歳も離れている年齢差にも関わらず、私が、彼らの周りにいることがとても楽しいと思ったのは、彼らの野球に対しての情熱が、本物であると感じたからです。
キャリアを振り返った時、私が誇りに思うことが少しでもあるとすれば、毎日、困難を乗り越え、毎日、同じような情熱を持って、2001年の最初の日から、2019年の最後の日まで、臨むことができたことです。
 長いシーズンが終わりに近づいているこの時期に、選手たちに思い出してほしいのは、プロフェッショナルである、ということの意味です。シーズンが終わりに近づいた日々は、シーズンの初めの日々、そしてその間と同じように重要です。
 毎日、同じ情熱を持って、仕事に臨んでいかなければなりません。それが、自身のパフォーマンスに与える、そして、この特別な試合を楽しんでいるファンに与える、最高のギフトとなります。
 マリナーズの球団には、私の愛する野球を、愛する街でやる機会を与えていただいたことに永遠に感謝します。また、絶えることのないサポートしてくれる家族にも感謝します。
 それでは、野球を始めましょう!