フィンガーダンサー.Blog byケンディジット -36ページ目

X Japan Yoshiki フィンガーロゴ Finger font Logo hand

X Japan Yoshiki  No.280 手を72使用 フィンガーフォントロゴ Finger font Logo

プロドラマーでありながらプロピアニストという正反対の資質、才能を持ち、しかも作詞作曲の才能もあり、なおかつビジュアルも美しいという、一人でいったい何個、神様からのGIFTを貰ってるんだよっていう、とんでもない方は世界広しと言えどこの人だけでしょう!

YOSHIKI(ヨシキ、本名:林 佳樹(はやし よしき)[1]1965年11月20日 - )は、日本ミュージシャンドラマーピアニストマルチプレイヤーソングライター音楽プロデューサー。身長175cm[2]。 愛称は「よっちゃん」。

出生名 林 佳樹(はやし よしき)[1]
別名 五十嵐美由姫
立花香流
橘朋実
白鳥瞳
白鳥龍
白鳥麗
生誕 1965年11月20日(53歳)
出身地 日本の旗 日本千葉県館山市
ジャンル ハードロック
ヘヴィメタル
ハードコア
トリップ・ホップ
ポップ
クラシック
職業 ミュージシャン
ドラマー
ピアニスト
キーボーディスト
ソングライター
編曲家
音楽プロデューサー
実業家
起業家
ファッションデザイナー
ラジオパーソナリティ
担当楽器 ドラムス
ピアノ
キーボード
ギター
シンセサイザー
活動期間 1977年 - 現在
レーベル ソニー
イーストワールド
プラチナム
V Project
X Project
事務所 ジャパンミュージックエージェンシー
YSKエンタテイメント
ウィリアム・モリス・エンデヴァー
共同作業者 X JAPAN
Violet UK
L・O・X
V2
globe extreme
S.K.I.N.
公式サイト www.yoshiki.net
 

 

概要

1989年にメジャー・デビューしたヴィジュアル系ロックバンドX JAPANドラマー/ピアニストとしての活動が著名であり、バンドのリーダー、メインコンポーザーも務めている。X JAPANのほかにもViolet UKL・O・XV2globe extremeS.K.I.N.などの参加がある。

ソロとしても3作のスタジオ・アルバム『Eternal Melody』(1993年)、『ETERNAL MELODY II』(2005年)、『YOSHIKI CLASSICAL』(2013年)を発表しており、これまでのソロとしての大きな仕事には『天皇陛下御即位十年をお祝いする国民祭典』のための奉祝曲(1999年)[3]、『日本国際博覧会(愛知万博)』の公式イメージ・ソング(2005年)[4]ゴールデングローブ賞の公式テーマ・ソング(2012年)[5]などがある。

1986年に設立したインディーズのレコード会社「エクスタシーレコード」は、LUNA SEAGLAYZI:KILLなどを輩出し、ヴィジュアル系ムーブメントのパイオニアの1つとなった[6]。1993年からは他のアーティストのプロデュースも始め、これまでにNOAGLAY西城秀樹北野井子DIR EN GREY工藤静香ぽるんなどの作品を手がけている。

2000年に「日本社会と文化に貢献した人物」として文部大臣表彰を受けた。

生い立ち

1965年11月20日に、千葉県館山市の老舗呉服店を営む家庭の2人兄弟の長男として生まれる[7]。父はジャズ・ピアノ、母は三味線、叔母はの演奏を嗜むなど音楽的な一面があった[8]。また、父は先代から家業を継ぐまでプロのタップ・ダンサーであった[8]。現在マネージメントを行っているのは[9]5つ歳の離れた弟で元俳優[10]光樹

幼少期は仕事で忙しい両親に代わり、主に家政婦が兄弟の面倒を見ていた[11]。4歳になると父からピアノを買い与えられ[12]、自宅そばのピアノ教室でクラシック・ピアノのレッスンを受け始める[13]。日頃から父が購入するクラシック音楽のレコードを好んで聴き[14]、8歳の時にシューベルト交響曲第8番ロ短調「未完成」ベートーヴェン交響曲第5番ハ短調「運命」が収録されたレコードを初めて自分の小遣いで購入した[13]

病弱で重い小児喘息を患っていたために、小学校中学年になるまで頻繁に入退院を繰り返す生活を余儀なくされた[15]。病室では父が見舞いに持参した子供向けの偉人伝を愛読し、とりわけ若くして難聴となりながらも数々の名曲を残したベートーヴェンの苦難の人生に対して強い興味を抱いた[16]

 

GLAY(グレイ) フィンガーロゴ Finger font Logo hand 指 ハンドロゴ

GLAY(グレイ) Finger font Logo No.280 手を122使用 フィンガーフォントロゴ

90年代や00年代に一斉を風靡して、今なお現役バリバリのバンドですね。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

GLAY(グレイ)は、日本ヴィジュアル系[3]ロックバンド。1994年にメジャーデビュー以降、日本における歴代CDアルバム売り上げ枚数第3位の記録を持ち、ライブの動員数などにおいても記録を樹立してきた[4]。所属事務所、レコードレーベルは「LSG」。公式ファンクラブは「HAPPY SWING」。

出身地 日本の旗 日本 北海道函館市
ジャンル ロック
ビートロック[1]
ポップ・ロック[2]
プログレッシブ・ロック[2]
オルタナティヴ・ロック[2]
ハードロック
スタジアム・ロック
J-POP
活動期間 1988年 -
レーベル エクスタシーレコード(1993年 - 1994年)
プラチナム・レコード(1994年 - 1998年)
アンリミテッド・レコード(1998年 - 2005年)
キャピトル・レコード(2006年 - 2009年)
loversoul music & associates(2010年 - 2016年)
LSG(2016年 -)
■販売レコード会社
ポリドール・レコード
(1994年 - 1999年)
ポニーキャニオン
(1999年 - 2003年、2012年‐)
東芝EMI/EMIミュージック・ジャパン
(2003年 - 2010年)
フォーライフミュージックエンタテイメント
(2010年 - 2012年)
事務所 LSG
共同作業者 亀田誠治
公式サイト GLAY公式サイト
 
メンバー TAKUROギター
TERUボーカル
HISASHI(ギター)
JIROベース
 
旧メンバー ISO(ドラムス
SHINGO(ドラムス・ベース)
AKIRA(ドラムス)
NOBUMASA(ドラムス)

概要

1988年に北海道函館市TAKUROTERUを中心にバンドを結成し、後に現在のメンバーであるHISASHIJIROが加入した。1994年にインディーズエクスタシーレコードからアルバム『灰とダイヤモンド』、プラチナム・レコードからシングル「RAIN」の同時発売でデビューした。1996年発売の2ndアルバム『BEAT out!』が初のオリコンチャート1位になると、同年発売の3rdアルバム『BELOVED』でミリオンセラーを達成した。中でも、1997年に発売した初のベスト・アルバムREVIEW-BEST OF GLAY』はオリコン年間チャート1位を獲得。累計売上枚数は480万枚を超え、当時のアルバム売上日本記録を更新するなど、[5]爆発的な人気を得た。これまでにアルバム5作品がミリオンセラーとなっている(内4作品はダブルミリオン)。シングルでは1997年発売の11thシングル「口唇」が初のオリコンチャート1位となり、同年発売の12thシングル「HOWEVER」でミリオンセラーを達成したほか、1998年発売の13thシングル「誘惑」がオリコン年間チャート1位になるなど、これまでにシングル6作品がミリオンセラーとなっている。また、「HOWEVER」は『全日本有線放送大賞』と『日本有線大賞[6]、「Winter,again」は『日本有線大賞』と『日本レコード大賞』でそれぞれ大賞を受賞している[7][8]。2018年現在、オリコンの集計によるCD総売上枚数は3800万枚を突破し[9](日本歴代8位)、1996年リリースの「グロリアス」以来、2017年まで22年連続オリコン週間シングルチャートトップ10入りを果たしている(日本歴代2位タイ)。また、シングル・アルバム共に1990年代・2000年代・2010年代と、3つの年代でオリコン1位獲得など根強い人気を誇る。平成で最も歌われた歌手ランキングでは第4位。

バンド結成時から行っているライブ活動はメジャー・デビュー後もライブハウススタジアムなど様々な会場で開催しており、1999年に幕張メッセ駐車場特設ステージで開催した『GLAY EXPO '99 SURVIVAL』は単独アーティストよる有料ライブ(1公演当たり)の世界記録となる20万人を動員し、社会現象となった[10]。1999年の千葉・幕張でのライブ以降も「GLAY EXPO」と題し、2001年には東京、2日間で10万人、北海道で10万人、福岡では8万人。2004年には大阪で10万人。2014年にも宮城で5万5000人を動員した(その動員数は北海道、東北、関西、九州の最多動員記録となっている)。また、日本国外でもライブを開催している。

2010年からは自主レーベルを設立して活動しており、公式ストア「G-DIRECT」を開設しているほか、2018年には公式のサブスクリプション型アプリ「GLAYアプリ」を公開した[11]

バンド名の由来

バンド名「GLAY」は、BOØWYの歌詞に由来しているなど諸説ある中[12]、白(ポップス)でも黒(ロック)でもない音楽ということでリーダーのTAKUROが名づけた造語であると言われている[13]。また、HISASHIによると高校時代にTAKUROと雑誌「宝島」などからサブカルチャーバンドについての情報交換をしており、「KENZI&THE TRIPS」などのメンバーであったJun Gray[注 1]がバンド名由来の1つになっていると述べている[12]

 

THE BLUE HEARTS(ブルーハーツ)フィンガーロゴ Finger font Logo

ザ・ブルーハーツ Finger font Logo No.279 フィンガーフォントロゴ 手を243使用
あの伝説のバンドのアルバムジャケットを手で完全再現しました!

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンド1985年結成。1987年メジャーデビューし、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。

ヒット曲は「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」など[1]。コード進行は3、4コードを主としたシンプルなものが多いにもかかわらず、オリジナリティ溢れる楽曲を多く作り上げた。

「ブルーハーツ」というバンド名の由来は、甲本ヒロトによると「意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」だからつけたとのこと[2]。他のバンド名候補として「昨日悲ベッツ」等があった。[3]

THE BLUE HEARTS
出身地 日本の旗 日本 東京都渋谷区
ジャンル ロック
パンク・ロック
活動期間 1985年 - 1995年
レーベル メルダック
1987年 - 1989年
EAST WEST JAPAN
(1989年 - 1995年)
事務所 ジャグラー
公式サイト メルダック
EAST WEST JAPAN
 
メンバー 甲本ヒロト (ボーカル
真島昌利 (ギター・ボーカル)
河口純之助 (ベースコーラス
梶原徹也 (ドラムス
 
旧メンバー 望月正水(ベース)
英竜介(ドラムス)
山川のりを(ベース)
佐藤シンイチロウ(ドラムス)

概要

1985年結成。1987年にシングル「リンダリンダ」でメジャーデビュー。解散後も、彼らの楽曲は近年でもCMやドラマや映画などに多く使われている[4]

ザ・ブルーハーツの詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)[5]中でも、その文学性が高く評価されている(なお、教材本文の講義は、2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。

THE BLUE HEARTS』から『TRAIN-TRAIN』までの前期三部作は、ブルースをルーツとしたメッセージ性の強い、独自の日本語ロックの世界を構築していたが、イーストウェスト移籍後からの後期作品は、後のTHE HIGH-LOWSに繋がる様々なスタイルを取り入れ、メッセージ性を無視した楽曲も多い。

メンバー

愛称は「ヒロト」。低音の効いた太い声が特徴。たまに吹くブルースハープは独学で、高いレベルまで達しているが、ベントやトレモロなどの技術は「偶然できた」とのこと。演奏する曲によってギターを弾くこともある。テレビなどのインタビューで答えるのは、ほとんど甲本が担当。デビュー時は坊主頭だった。河口と一緒に金髪に染めている時期もあった。
愛称は「マーシー」。歌う時はしゃがれ声が特徴。他の3人に比べれば、テレビなどに出演してもあまり喋らず、表情を変えないことが多い。甲本とは、およそ半々の割合で曲を創り上げた。頭のバンダナがトレードマークだが、インディアン風の格好をしたりもしていた。
愛称は「河ちゃん」。結成当初はバンドのマネージメントを行っていたが、半年ほどでベースが脱退したため急遽85年8月に正式メンバーとして加入。本名は河口宏之(ひろゆき)で、デビュー前は本名を名乗っていたが、デビュー直前あたりから「純之助」を使用する。ベース以外にも真島と共にコーラスを多く担当。歌う時は真島と対照的な高音の澄んだ歌声が特徴だった。甲本と一緒に金髪に染めている時期もあった。
愛称は「梶君」。元々はブルーハーツのファンで、ライブチケットのモギリなどをやっていた。その後ドラムの脱退を知り、ヒロトの自宅にしつこく電話してオーディションを受けさせてもらい、86年4月に正式メンバーとなる。モヒカンヘアーが特徴であるが、参加当初の髪型はモヒカンではなく角刈りに近いヘアスタイルであり、後期には長髪にして結っていたこともある。