西郷隆盛 フィンガーロゴ Finger font Logo hand ハンドロゴ
西郷隆盛 Finger font Logo No.290 フィンガーフォントロゴ
NHKの連ドラでもでもつい最近最終回を迎えた今旬の方ですな。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
西郷 隆盛(さいごう たかもり、旧字体:西鄕隆盛、文政10年12月7日〈1828年1月23日〉 - 明治10年〈1877年〉9月24日)は、日本の武士(薩摩藩士)・軍人・政治家。
薩摩国薩摩藩の下級藩士・西郷吉兵衛隆盛の長男。諱は元服時に隆永(たかなが)のちに武雄・隆盛(たかもり)と名を改めた。幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助と順次変更。号は南洲(なんしゅう)。隆盛は父と同名であるが、これは王政復古の章典で位階を授けられる際に親友の吉井友実が誤って父・吉兵衛の名で届け出てしまい、それ以後は父の名を名乗ったためである。一時、西郷三助・菊池源吾・大島三右衛門、大島吉之助などの変名も名乗った。
エドアルド・キヨッソーネ作の版画
|
(西郷の親戚を参考に想像で描写)
|
|||||||||||||||||||
土方歳三 フィンガーロゴ Finger font Logo hand ハンドロゴ
土方歳三 Finger font Logo No.289 フィンガーフォントロゴ
新撰組、鬼の副長と呼ばれた人ですね 幕末シリーズまだ続きます。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
土方 歳三(ひじかた としぞう)は、幕末期の幕臣、新選組副長。諱は義豊、雅号は豊玉、家紋は左三つ巴。
新選組時代には、局長・近藤勇の右腕として数々の事件で武名を顕し、また隊内に峻厳な規律を実施して鬼の副長と称され、剣豪揃いの隊士たちに恐れられた。戊辰戦争では旧幕軍側指揮官の一人として各地を転戦し、またいわゆる「蝦夷共和国」では軍事治安部門の責任者に任ぜられて軍才を揮った。明治2年5月11日、戊辰戦争の最後の戦場になった箱館五稜郭防衛戦で、狙撃を受け戦死。享年34歳
箱館戦争時(1868年)
| 時代 | 江戸時代末期- 明治初期 |
|---|---|
| 生誕 | 天保6年5月5日(1835年5月31日) |
| 死没 | 明治2年5月11日(1869年6月20日) (数え35歳、満34歳没) |
| 別名 | 鬼の副長(渾名)、内藤(受領名)、隼人(世襲名) |
| 墓所 | 碧血碑(北海道函館市) 石田寺(東京都日野市) 寿徳寺(東京都北区) 円通寺(東京都荒川区)ほか |
| 主君 | 松平肥後守容保 |
| 氏族 | 土方氏 |
| 父母 | 父:土方隼人(義敦)、母:恵津 |
| 兄弟 | 為次郎(長兄)、喜六(次兄)、佐藤のぶ(姉)、歳三、他6人 |
坂本龍馬 フィンガーロゴ Finger font Logo hand ハンドロゴ
坂本龍馬 Finger font Logo No.288 フィンガーフォントロゴ
歴史上の人物の中でも特に人気が高い人ですね。坂本家の家紋と竜馬最後の署名も添えてみました。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
坂本 龍馬(さかもと りょうま、天保6年11月15日〈新暦・1836年1月3日〉 - 慶応3年11月15日〈新暦・1867年12月10日〉)は、江戸時代末期の志士、土佐藩郷士。
諱は直陰(なおかげ)、のちに直柔(なおなり)。通称は龍馬[注 1]。 他に才谷 梅太郎(さいたに うめたろう、さいだに うめたろう)などの変名がある (手紙と変名の項を参照)。
土佐藩郷士の家に生まれ、脱藩した後は志士として活動し、貿易会社と政治組織を兼ねた亀山社中(後の海援隊)を結成した。薩長同盟の成立に尽力するなど倒幕および明治維新に関与した。大政奉還成立の1か月後に近江屋事件で中岡慎太郎、山田藤吉らと共に暗殺された。暗殺者は諸説あるが、京都見廻組という説が有力である。1891年(明治24年)4月8日、正四位を追贈される。
坂本龍馬
| 通称: | 直柔、龍馬、才谷梅太郎 |
|---|---|
| 生年: | 1836年1月3日 |
| 生地: | |
| 没年: | 1867年12月10日(31歳没) |
| 没地: | |
| 活動: | 尊皇攘夷、公議政体 |
| 藩: | 土佐藩(高知県) |
| 所属: | 海援隊 |
| 受賞: | 贈正四位 |
| 廟: | 京都霊山護国神社(霊山墓地) 靖国神社 |
暗殺(殺害)
詳細は「近江屋事件」を参照
霊山墓地にある龍馬の墓(左側、右は中岡慎太郎の墓)
11月15日、龍馬は宿にしていた河原町の蛸薬師で醤油商を営む近江屋新助宅母屋の二階にいた。当日は陸援隊の中岡慎太郎や土佐藩士の岡本健三郎、画家の淡海槐堂などの訪問を受けている。午後8時頃、龍馬と中岡が話していたところ、十津川郷士と名乗る男達数人が来訪し面会を求めて来た。従僕の藤吉が取り次いだところで、来訪者はそのまま二階に上がって藤吉を斬り、龍馬たちのいる部屋に押し入った。龍馬達は帯刀しておらず、龍馬はまず額を深く斬られ、その他数か所を斬られて、ほとんど即死に近い形で殺害された[86][87]。享年33(満31歳没)。旧暦だが、龍馬の誕生日と命日が同じ日になってしまった。






