5月8日(金)天気 雨のち晴れ

一昨日、私が作ったWebサイトで「メールの問い合わせができない」とメールが入っていた。

どうしたものかと、昨夜息子に相談して解決策を3つ用意して打ち合わせをすることにした。

 

折角、日御碕まで行くので、午後より天気が回復する予定なので、ちょっと寄り道していこうとカメラを持って、12:30に家を出た。途中久しぶりに、神戸川右岸堤防道路を通り、大社町の浜遊自然館の親水池に立ち寄り、ハナショウブと思ったが、まだ早かった。しかし、「カラー」の花がまだ咲いていた。

 

 

 

 

 

 

まだちょっと、打ち合わせの時間まで余裕があるので、何十年かぶりに日御碕の宇龍へ行ってみることにした。

鳥居のある島は、権現島でそこには熊野神社があり、毎年旧暦の1月5日に「和布刈神事」が行われている。私はまだ直接見たことはないが、ニュースや新聞では見たことがある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

約束の時間が近づいたので移動して、コーヒーを頂きながら、メール問題について状況を聞いて、対応策を提案したが、今のままでいいと言われ、その後2時間近く近況の話をした。

日御碕神社の話が出たので、家の床の間に掛け軸があり、小野尊光さんの書であると話をした。

祖父が大工をしていたので、神社の遷宮か何かをしたときに頂いたのか、お願いして書いてもらったのかは分からない。

 

 

帰る時に、日御碕漁港から経島のウミネコを

 

 

 

 

 

 

家に帰る途中で、日本海の波の写真を撮って帰った。

 

 

 

 

 

 

 

家に帰って17:00。走行距離47.1Km。

 

 

5月6日(水、振替休日)天気 晴れ

昨日の夜は娘と3人で、家の庭でBBQパーティー。

カナディアンビーフ、牛タン、黒毛和牛カルビ、アユ、サザエ、ピーマン、シイタケ、我が家の新玉。写真を撮る暇なく、焼いたり、食べたり、飲んだりであっという間に済んで、片付け。

 

その後、20:00からは島根大学医学部付属病院に、入院中の子供たちのための花火大会があり、家の庭から観覧+写真+動画もあり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今日は午前中、玉ねぎの収穫をした。品種が極早生と早生を各100本植えたが、4月20日頃から強風で茎が折れてしまい、あまり成長しなかったが、それでもと思い経過を見ていたが、そろそろ打ち止めと思い収穫となった。

中くらいのもあり、小さいのもあり様々。

 

 

午後からは久しぶりに、私の作業部屋で、先日からDC_Vレンジの値がおかしいFLUKE77の接点の洗浄と、コンタクトグリース塗布で修理完了となった。

オークションで手に入れたYOKOGAWA734-02の2台で、DMM3台体制となった。

 

 

 

 

他の計測器も不具合が発生しているので、ジャガイモの収穫、庭の松の芽、ツツジ・サツキの剪定の前に、いくつか解決しておきたい。

 

5月5日(火・子供の日)天気 晴れ

私のメインスピーカは、JBLスタジオモニター4320をコピーしたもので、エンクロージャーは、国内のエンクロージャーという会社のE-4320、スピーカのユニットはJBLと同じものを個別に購入して私自身で組付けた。

 

ネットワークまで手(金)が回らず、フォステクスのLCで800Hzクロスオーバーで動作させている。Highの不足を補うために前のスピーカ(PE-20)で追加していたPT-8Dをコンデンサーで7KHzでカットして使っている。(ATTありと、思っていた)

 

 

社会人になりたての頃はオーディオブームで、次々買い替えてグレードアップすることが主流?(うまく業界に誘導されている?)となっていたが、私はあえて一生使い続けられるものを、手に入れて使っていきたいと思っていた。

(別の言い方をすれば、お金を掛けないようにしていた)

そこで目をつけたのが、JBLのスタジオモニター4320。

サイズ、デザイン、価格的に自分に合っているのではと思った。スタジオモニターの冠がつくのだから、レコーディングスタジオでも使用されていた。この当時、JBL,アルティック、タンノイなどのスピーカがあったが私はこれにした。

後に、TAD,ガウスなど色々ブランドが立ち上がったが、私は4320で満足しようと今まで続いている。

 

しかし、1996年サランネットを外してみると、ウーハーのエッジがボロボロになり、エッジの交換を依頼した。

これで元の音には戻らなくなってしまったが、元々のエッジに交換してもまたしばらくすれば同様のことになるので仕方がない。

 

サイズ的に手頃と書いたがけっして一人で簡単に動かせるものではなく、スピーカに木綿の布で帯を二本つくりそれをスピーカに掛け、ランドセルのように背負って移動させた。スピーカ1個の重量は約50Kgに近いかもしれない。

それを購入したときから、寮の1Fから4F、引っ越しのため4Fから1F、そこから車で昔の我が家1F、今の家の母屋2Fへ、そこから離れの2Fへと移動した。

しかし、最後の移動は階段が狭く曲がっていたため、2Fへははしごを使って引き揚げた。

そして今の位置に鎮座している。

次に移動するときは、業者に依頼するようになるかもしれない。

音については、自己満足している。

他で色々なスピーカを聴いているが、全て同じ環境というわけではないので何とも言えないが・・・。

 

2016年友人からDIATONE DS-35BMKⅡが家にあるけどいらないか?

と言われて、頂いて帰ってきた。

パワーを入れて聴くTypeのスピーカではないが、これはこれで鳴ってくれていて、Piano発表会の代替えCDの録音時のモニターとして活躍してくれた。

 

 

もう1台の中古のNS-10MProがパソコンに繋がっていてDTMのときのモニターとして活躍している。低域の確認には4320を利用しているが中高域は10Mでミックスしている。

 

 

以前から、JBLスタジオモニター4320を持っていると書いているが、私が購入を思ったときには4320は廃番となり、後継モデルは4331から4331Aとなっていた。

4320の中古を手に入れる手段は(この頃オークションはなかった)、中古の専門の業者はあったがそれなりの価格であった。

 

まず、私がこだわったのは外箱の形状で、あの4320の形状にあこがれていた。

したがって、各パーツを別々に手に入れて自分で組み立てることにした。

 

前にも書いたが、1$=360円から円高に進みもう底値だろうと思った1$=220円ぐらいのときに2231A,2420,2307+2308のユニットを購入した。

 

ウーハーのオリジナルは2215Bであったが、後継の4331が2231Aだったのでそれにした。

ドライバーユニットはオリジナルの2420でホーンは2391(2307+2308)で同じで、ネットワークはオリジナルLX5は購入できず、フォステクス2Way12dB/OctのネットワークをCとLとで作ったものだった。

 

 

オリジナルの4320と同じものはドライバーとホーンだけ。

箱も形は似ているが進工社とエンクロージャー社の2社のモデルを比較して少し安かったエンクロージャー社のものを購入している。

当然、JBLのエンブレムもない。

したがって、オリジナルの4320の音(私は聴いたことはない)ではないと思う。

 

 

他人が聴けばいろいろ言われるかもしれないが、当時(1979年)としては私の最善の選択で、38cmウーハーの音に満足している。

中高音とのバランスは当時からズート思っているが、あまり手を付けていない。

ツイ―タを追加したこともあって、自作のチャンネルデバイダーを作り、自作のアンプをドライバーにあてたが、DC成分が漏れてドライバーを修理したこともあった。テクニクスSH-8066のGEQをもらって、自動調整したりしてみたこともあった。

 

 

私の義弟の(妹の配偶者で私より年上、また妻の兄は私の年下で複雑)スピーカを市内の自宅で自分で作って使用していたが、1994年スピーカが引っ越し先に持って行けず、私の家の車庫に保管していた。はじめはフロントロードホーンが取り付けられていた密閉型でLE8T-Hが2発、上を補うために2402-H+2405-Hが追加されていた。

流石にうちの車庫に入る前にはフロントロードホーンは取り除かれて、ずーっと車庫にあったが、その場所に米の保冷庫を置くことになり、義弟の許可を取りスピーカボックスをばらして廃棄することになりユニットを取り出し、ボックスは薪となった。

 

その時から、今日まで使用してもいいと言われていたが、2402-H+2405-Hとネットワークは4320の上に飾ってあった。

そのため、音を出したことがなかったので、いつか使用してみたいと思っていた。

 

 

外は荒れ模様。

その日が、今日(3日)やって来た。

PT-8Dを外してみると、ATTをPT-8Dに入れていたつもりが、2420に入っていた。

私の大失態!!

2402-H + 2405-H から35年ぶりに音を出した。

全体のレベル調整をして、2402は2420と帯域が重なる部分があるので、ATTで∞にして、2405もレベルを落とした。

 

 

何だか、高域が落ち着いてきたみたい。

もう少しエージングが必要かな?

 

今日の、「2402-H + 2405-H から35年ぶりに音を出した」をブログに書こうとしたら、4320の導入から書かないと、と思い5月4日付で「私のオーディオの変遷」を慌てて書いた。

 

 

5月4日(月・みどりの日)天気 曇り時々雨

今までの仕事の延長線上にある、

「手にした工具あれこれ」「技能検定 電子機器組立て奮闘記」についてブログをもとに、HPを作ったが、私の趣味の「オーディオ」について少しずつブログでは取り上げているが、それを補いHPにすべく少しずつブログにしたいと思っている。

 

遠い昔のことから最近のことまで書いていますが、部分的にしか記憶が残っていないので、不明なことが多く、また間違いを記憶している場合がありますので、以下の内容についてあまり信じないでください。

 

まず、全貌を。

小さい時からラジオに興味を持っていた。父親が大工でありながら電気のことを何かやっていた影響だと思う。また、母の実家のいとこが「ハム(アマチュア無線)」をやっていたことも影響しているかもしれない。

 

中学生のころNational真空管式の横幅1m位のレコードプレーヤ(針はクリスタルだったと思うし、LPがかけられたどうかは記憶にない)とFM・AMチューナ付のステレオがあった。(私のために購入してもらったかは不明)

それで深夜放送などを聴いていた。

 

 

 

<写真をネットオークッションで見つけて借りた>

中学に入学してから、同級生の影響でラジオから入って「初歩のラジオ」を購読し始め「BCL(放送を聴取して楽しむ趣味自体)」をはじめ、ベリカード(受信確認証)集めを始める。現在、どこかに保管していると思うので探しているがまだ見つかっていない。

 

その後、短波放送にも手を広げ屋根に上って、L字型アンテナを上げたり、父親が使っていたAM/SWのトランジスタラジオでノイズの中かすかにラジオオーストラリアが聴けたときには感激した。

 

高校は電気科に進みどちらかと言えば強電の勉強をして、クラブ活動で「電気研究会」通称「電研」に籍を置いていた。

中学からの同級生の影響で、広島市の旧広島大学工学部まで出かけ電話級アマチュア無線技士の資格を取ったが、機材を購入するお金もなくそこまでだった。

その同級生は大学に進み気象庁に入って、ズーッと通信の関係の仕事をしていた。

高校の文化祭ではFOXハンティングやレコードコンサートを行った。

この時、レコードコンサートするにもレコードがなく500円のレコードを部費で購入し、何度も再生した思い出がある。

 

時は流れ、娘も同じ高校に進学し、高校1年の文化祭のとき一人でコンサートすると言って、キーボードとギターで弾き語りをするためにPAを担当した。そのための機材を自宅から運んでオペレーションまで行ったことを思い出した。

タイバンは、4,5人のバンドで、昔レコードコンサートをした会場だった。

また、場所が3階で機材を1階から持ち上げるのに体力を使ったので、ヘロヘロになった。

 

高校生の当時、お金もなく、家にあった古い真空管のテレビを分解し部品にして、お菓子の箱を利用した部品箱に保管していた。

家にあった、3球スーパーラジオを持ち出して、動作させようとしたが、当時の私では動作させることができなかった。

 

オーディオの方では、家にあったST管の真空管ラジオを分解して、初めて作ったのが6Z-DH3A,42、80のモノアンプで、それを始めは元のラジオのスピーカで鳴らしていた。

 

ある時、町の中心にあった大手スーパーの系列店でスピーカキットのPioneer PIM-16KT ¥1,720(1974年頃)の組立て講習会があり参加した。(参加費無料だったと思う)

しかし、1個だけではステレオにならず、当然もう1個購入してステレオとした。

 

ここまで来ると今度はステレオアンプが欲しくなり、小遣いをためて「初歩のラジオ」の実態配線図付のプリメインアンプを作ることにした。記事の内容と同じ部品を購入するために、大物の鈴蘭堂のケースや電源トランス、大型のケミコン、ICは通販に頼り、小物部品は汽車に乗って松江市まで出かけ2店のパーツ屋で購入したが、雑誌記載のトランジスタが無く、代替えにしたことを思い出した。

当時、出雲には模型屋さんが2店舗あったが、そこにはアンプの部品はなく、もう1店舗ハム機器(アマチュア無線)の販売店はあったが、アンプの部品はほんの少ししかなかった。松江には、高専や大学があった関係かどうかは分からないが、部品を扱っている店が2店舗あった。

 

またプリント基板も銅箔にマジックでパターンを描き、エッチングして作った。(エッチングしたのはこの時一度だけ)

プリアンプはOPamp(uA741 CANタイプ)を使ったが、片CHのパターンが逆になり、OPampを壊して再度購入して、銅箔面にOPampを取り付けたことがあった。なぜそうなったのか覚えていない。また、OPampを理解してなく、内部等価回路を見ると、トランジスタが多く使用されていて喜んでいた。当時、ディスクリート回路では、〇〇石アンプとか言われていたため、多くのトランジスタが使われていれば喜んだものだ。

メインアンプは、東芝製のTH9013PのハイブリッドICを使い組み立てた。電源のケミコンは少し容量の大きいものにした。

 

 

 

 

 

 

<現在電源部を残して、EQ回路を組み込んでいる>

 

まだ、測定器なるものは持っていなかったので「鳴った鳴った」で、完成だった。

高校3年の時、父親にレコードプレーヤを購入してもらったが、レコードを購入した記憶はない。何をプレーヤでかけていたのだろう。

 

 

 

この頃になると「無線と実験」も購読するようになった。

 

 

社会人になり、広島(実際は東広島市八本松町)の音響製品を作る工場に配属された。(仕事、勤務地とも希望通りだった。)

そこで製造現場を知り、設計のノウハウを学んだ。測定方法もアンプからテープレコーダーからチューナーまで一通りの行えるようになった。

途中研修で離れたこともあったが、実際に住むようになってからFM福岡が聴いてみたくなり、寮の屋上に8エレのアンテナを上げて、受信を試みた。聴けるレベルではあったが、状態はあまり良くなかったと思う。

NHK-FMのほか時々民放のFM福岡を聴いていた。この頃民放FMは東京、愛知、大阪、福岡の4局しかなかった。

タイマーも購入して、エアーチェックをしていた。

 

FMの雑誌が、FMレコパル、FMFan,週刊FMが2週間おきに発行されていた。私は、FMレコパルを購読してFMをエアーチェックしていた。

デッキはSONY TC-4300SD

 

<今は中身を取り除き、ミキサーの電源に改造している。>

 

チューナはOPTONICA ST-3000MKⅡ(なぜOPTONICAなのかは、そのうち分かると思う)

 

 

社会人になって最初のボーナスでヘッドホーンを購入しそれを今も使用している。

スピーカはFMレコパルに掲載されていた、ALTEC LANSING 755E(通称パンケーキ)用のボックスを父親に作ってもらい、パンケーキは高価だったので、PIONEER PE-20を入れた。いつかはパンケーキと思っていた。

カセットテープはSONYのDuadを多く使っていたが、勤めていた会社のOEM元がMaxellだったので安く手に入ったのでそれも使っていた。

社会人とはいえ、この頃の音源はレコードとFMを録音したカセットテープだった。

車のカーステレオはカセットテープなので、レコードをカセットテープにダビングをしていた。

やっと、レコードプレーヤーのそろえることが出来るようになり、ターンテーブルはDDドライブのクオーツロックのもので、電子ブレーク付きで1/3回転でスタートストップが可能であった。

アームは、FRとDVで迷ったが、従来と異なり横方向と縦方向を二つのアームを持ったDV-505にした。

ここで現物が届いて初めて、アームリフターはないことに気がついた。そのため、針を下すときは、レコード盤面に針を置いてテーブルを回転させていた。

モータキャビネットはメーカ純正のもので、3本アーム用でずいぶん大きなものとなった。

しかし、今現在2本しかアームはとりついていない。

カートリッジはオーディオテクニカのVM型とDL-103はMCのスタンダードとして購入し、針交換と称して本体交換しながら今も使い続けている。

 

スピーカを通称パンケーキに交換しようと思っていたが、その前にJBL4320をと思ってしまった。スタジオモニターとしてレコーディングスタジオで使われている信頼性が得られた。これは一生ものだと信じて購入し今に至っている。

購入を思い立ったのは1$が360円から変動相場制に移行して、円高が進み1$=220円ぐらいのとき底値と思いユニットのみ購入し、後ほどエンクロージャーを購入した。

1979年、純正の4320はもう発売されていなく、後継の4331Aが発売されていたが購入できるわけもなく、箱の形状も変わったため、箱・ユニット・ネットワークを別々に購入し、擬似4320を私が組み上げた。

 

 

一番大変だったのは、箱を寮の1階から4階まで持ち上げるのは大変だった。しかし、数年後寮を出るときには、箱にユニットが入っていた状態で、一人で1階まで担いで下ろしたことだった。

その後、2度の引っ越しでも大変苦労したので、今の場所から動かすことはないと思う。

 

次に、スピーカが揃ったのでアンプが欲しくなり、出張で大阪へ行ったとき、デンオンかオンキョウーのプリメインの購入で迷っていたが、デンオンがあこがれのアキューフェーズと回路が上下対称回路で同じことが決め手となって購入した。

DENON PMA-850は途中からスイッチを切り替えると、ノイズが入り使用しなくなった。

 

ちなみに、寮生活では6畳くらいの洋室の二人部屋で、私のスピーカとプレーヤを置いて、テレビ、冷蔵庫、ベット、冬はコタツがあった。当然夏場は扇風機だった。

 

社会人になって自作したものが、VFETアンプだった。

いろいろ苦労しながら、楽しみながら自分の寝るスペースでアンプを広げて作った思い出がある。

また、寮生は音響製品の設計、製造をしているところなので各部屋にも色々なメーカのものがあった。(皆さんが言うには、他社との比較する為と言っていたが・・・)

私が覚えているものでは、Accuphase・A&E・EXCLUSIVEのアンプやL101Lancer,ALTEC 612C,JBL4530、TEAC・AKAIオープンデッキ、DP-3000、SL-1300色々などがあった。

この頃は、まだレコードで、レコードレンタル店が出始めであったが、近くのレコード店が時々昼休み会社の食堂に出店していた。まだ、ネット通販などはない、携帯もまだない。

寮には、電話がかかってきたとき、呼び出しと公衆電話があり管理人さんが100円玉を10円玉に両替してくれていた。

 

そこを退職して広島を離れるときに、

SAEC WE-307N

オシロスコープ KENWOOD CS-5140

はんだごて、はんだ1Kg(このはんだまだ使い切っていない)

等を購入して島根に帰った。

その後、低周波発信器、ひずみ率計を購入して、昔は屋根裏(気温が高く湿度も高い)で保管、使用しているので一度オーバーホールをと思っている。

先日測定をしようとしたら、ひずみ率計の針が振り切っていた。

早急に点検をする必要がある。

 

 

 

 

<1年前に、エアコンのある部屋を私の部屋として、測定器・工具を移動して快適な環境を得たが、十分に稼働しているとは言えない>

広島で部品を購入するために、松本無線や第一産業(のちのデオデオ、今はエディオン)本店を利用させてもらった。

松本無線の、今はなくなった4階でジャンクも面白かった。

島根に帰ってからも、時々上記の2店には立ち寄らせてもらった。

 

地元に帰ってからしばらくは仕事が忙しく、オーディオと言えば車の中で聴くFMラジオと録音したカセットテープぐらいなものだった。

その後、仕事も落ち着き私の部屋の改築に合わせて、オーディオを置くスペースが出来た。測定器も置ける机も用意できた。

ここで憧れのアンプを購入することを思いついた。(独身だったからかな?)

 

 

家を移転することになり、新居にも7.5畳の部屋を用意してステレオを置き中央にスチール棚を設け、そこにプレーヤ・アンプなどを設置した。

しばらくしてスピーカの異常に気がつきウーハーのエッジを交換したり、自作のアンプを作る余裕も出てきて、NoNFB FETアンプや300Bアンプを作ったが、今は私の手から去っていった。

 

私も結婚して妻がピアノ教師をしている関係で、リスニングルーム兼ピアノ教室を作ることになりほぼ満足するものが出来たと思った。

この頃思うことがあり会社を辞めて、あることを思い立った時、手探りで生録からのCD作りを始めた。

その後、ピアノ教室を録音スタジオとして、パソコンを使った多重録音をして、CDを作ることまで行うことにした。地元の色々なCDを作ったり、妻のCDも多数つくった。

この頃からオークションに手を出して、ジャンク品を購入したり、生録に出かけたり録音機材を自作もした。

 

 

 

 

考えてみると手軽にパソコンを使ってCDを作ることを超えて、動画をネットにアップする時代となってきたので、会社勤めに戻っても、妻の専属エンジニアとしてPAをしたり、CDを作ったりしている。

 

 

そして、終活の一部として今までの事をまとめているが、まだ進化するかもしれない。

 

 

4月19日(日)天気 曇り時々晴れ

4月の上旬は、桜紀行と言ってあちこちへ行っているが、妻に言わせると「みつばち」と言っている。

花を求めてあっちへ行ったり、こっちへいったり!

 

家の中のことを、ほとんどしていなかったので、そのツケが回ってきた。家の庭の草取りができてなく、草が伸び放題。

家の前の道路の隙間に生えている草は、先日購入したヤカンでお湯を沸かして、草にかけて枯らした。

しかし、庭の草をお湯でとはできないので、手で取るしかない。

午前中に少し草を取って、妻が今日はお休みでピクニックとか言うが、結局お弁当を購入して、家の庭にテーブルを出してそこで食べた。

 

その後、家の近くの勝定寺に出かけた。以前は、5月のゴールデンウィークにつつじを見に行ったが、今その時に行くと半分ぐらい散っている。

家のツツジの薄ピンクのツツジが散り始めたので行ってみることにした。

駐車場に車を止めて参道のツツジ

 

 

 

 

 

 

境内に入って

 

 

 

参拝して、裏庭へ行くと新緑が美しく、池の水鏡も楽しめた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シャクナゲ(写真をGoogle検索して分かった)も咲いていた。

 

 

 

 

 

ツツジの木の間に入って

 

 

 

 

 

 

 

 

30分居て、家に帰って草取りの続きを行った。

 

畑に夏野菜を植える準備もしなくては~~~~