5月4日(月・みどりの日)天気 曇り時々雨
今までの仕事の延長線上にある、
「手にした工具あれこれ」「技能検定 電子機器組立て奮闘記」についてブログをもとに、HPを作ったが、私の趣味の「オーディオ」について少しずつブログでは取り上げているが、それを補いHPにすべく少しずつブログにしたいと思っている。
遠い昔のことから最近のことまで書いていますが、部分的にしか記憶が残っていないので、不明なことが多く、また間違いを記憶している場合がありますので、以下の内容についてあまり信じないでください。
まず、全貌を。
小さい時からラジオに興味を持っていた。父親が大工でありながら電気のことを何かやっていた影響だと思う。また、母の実家のいとこが「ハム(アマチュア無線)」をやっていたことも影響しているかもしれない。
中学生のころNational真空管式の横幅1m位のレコードプレーヤ(針はクリスタルだったと思うし、LPがかけられたどうかは記憶にない)とFM・AMチューナ付のステレオがあった。(私のために購入してもらったかは不明)
それで深夜放送などを聴いていた。


<写真をネットオークッションで見つけて借りた>
中学に入学してから、同級生の影響でラジオから入って「初歩のラジオ」を購読し始め「BCL(放送を聴取して楽しむ趣味自体)」をはじめ、ベリカード(受信確認証)集めを始める。現在、どこかに保管していると思うので探しているがまだ見つかっていない。
その後、短波放送にも手を広げ屋根に上って、L字型アンテナを上げたり、父親が使っていたAM/SWのトランジスタラジオでノイズの中かすかにラジオオーストラリアが聴けたときには感激した。
高校は電気科に進みどちらかと言えば強電の勉強をして、クラブ活動で「電気研究会」通称「電研」に籍を置いていた。
中学からの同級生の影響で、広島市の旧広島大学工学部まで出かけ電話級アマチュア無線技士の資格を取ったが、機材を購入するお金もなくそこまでだった。
その同級生は大学に進み気象庁に入って、ズーッと通信の関係の仕事をしていた。
高校の文化祭ではFOXハンティングやレコードコンサートを行った。
この時、レコードコンサートするにもレコードがなく500円のレコードを部費で購入し、何度も再生した思い出がある。
時は流れ、娘も同じ高校に進学し、高校1年の文化祭のとき一人でコンサートすると言って、キーボードとギターで弾き語りをするためにPAを担当した。そのための機材を自宅から運んでオペレーションまで行ったことを思い出した。
タイバンは、4,5人のバンドで、昔レコードコンサートをした会場だった。
また、場所が3階で機材を1階から持ち上げるのに体力を使ったので、ヘロヘロになった。
高校生の当時、お金もなく、家にあった古い真空管のテレビを分解し部品にして、お菓子の箱を利用した部品箱に保管していた。
家にあった、3球スーパーラジオを持ち出して、動作させようとしたが、当時の私では動作させることができなかった。
オーディオの方では、家にあったST管の真空管ラジオを分解して、初めて作ったのが6Z-DH3A,42、80のモノアンプで、それを始めは元のラジオのスピーカで鳴らしていた。
ある時、町の中心にあった大手スーパーの系列店でスピーカキットのPioneer PIM-16KT ¥1,720(1974年頃)の組立て講習会があり参加した。(参加費無料だったと思う)
しかし、1個だけではステレオにならず、当然もう1個購入してステレオとした。
ここまで来ると今度はステレオアンプが欲しくなり、小遣いをためて「初歩のラジオ」の実態配線図付のプリメインアンプを作ることにした。記事の内容と同じ部品を購入するために、大物の鈴蘭堂のケースや電源トランス、大型のケミコン、ICは通販に頼り、小物部品は汽車に乗って松江市まで出かけ2店のパーツ屋で購入したが、雑誌記載のトランジスタが無く、代替えにしたことを思い出した。
当時、出雲には模型屋さんが2店舗あったが、そこにはアンプの部品はなく、もう1店舗ハム機器(アマチュア無線)の販売店はあったが、アンプの部品はほんの少ししかなかった。松江には、高専や大学があった関係かどうかは分からないが、部品を扱っている店が2店舗あった。
またプリント基板も銅箔にマジックでパターンを描き、エッチングして作った。(エッチングしたのはこの時一度だけ)
プリアンプはOPamp(uA741 CANタイプ)を使ったが、片CHのパターンが逆になり、OPampを壊して再度購入して、銅箔面にOPampを取り付けたことがあった。なぜそうなったのか覚えていない。また、OPampを理解してなく、内部等価回路を見ると、トランジスタが多く使用されていて喜んでいた。当時、ディスクリート回路では、〇〇石アンプとか言われていたため、多くのトランジスタが使われていれば喜んだものだ。
メインアンプは、東芝製のTH9013PのハイブリッドICを使い組み立てた。電源のケミコンは少し容量の大きいものにした。





<現在電源部を残して、EQ回路を組み込んでいる>
まだ、測定器なるものは持っていなかったので「鳴った鳴った」で、完成だった。
高校3年の時、父親にレコードプレーヤを購入してもらったが、レコードを購入した記憶はない。何をプレーヤでかけていたのだろう。



この頃になると「無線と実験」も購読するようになった。
社会人になり、広島(実際は東広島市八本松町)の音響製品を作る工場に配属された。(仕事、勤務地とも希望通りだった。)
そこで製造現場を知り、設計のノウハウを学んだ。測定方法もアンプからテープレコーダーからチューナーまで一通りの行えるようになった。
途中研修で離れたこともあったが、実際に住むようになってからFM福岡が聴いてみたくなり、寮の屋上に8エレのアンテナを上げて、受信を試みた。聴けるレベルではあったが、状態はあまり良くなかったと思う。
NHK-FMのほか時々民放のFM福岡を聴いていた。この頃民放FMは東京、愛知、大阪、福岡の4局しかなかった。
タイマーも購入して、エアーチェックをしていた。
FMの雑誌が、FMレコパル、FMFan,週刊FMが2週間おきに発行されていた。私は、FMレコパルを購読してFMをエアーチェックしていた。
デッキはSONY TC-4300SD

<今は中身を取り除き、ミキサーの電源に改造している。>
チューナはOPTONICA ST-3000MKⅡ(なぜOPTONICAなのかは、そのうち分かると思う)

社会人になって最初のボーナスでヘッドホーンを購入しそれを今も使用している。
スピーカはFMレコパルに掲載されていた、ALTEC LANSING 755E(通称パンケーキ)用のボックスを父親に作ってもらい、パンケーキは高価だったので、PIONEER PE-20を入れた。いつかはパンケーキと思っていた。
カセットテープはSONYのDuadを多く使っていたが、勤めていた会社のOEM元がMaxellだったので安く手に入ったのでそれも使っていた。
社会人とはいえ、この頃の音源はレコードとFMを録音したカセットテープだった。
車のカーステレオはカセットテープなので、レコードをカセットテープにダビングをしていた。
やっと、レコードプレーヤーのそろえることが出来るようになり、ターンテーブルはDDドライブのクオーツロックのもので、電子ブレーク付きで1/3回転でスタートストップが可能であった。
アームは、FRとDVで迷ったが、従来と異なり横方向と縦方向を二つのアームを持ったDV-505にした。
ここで現物が届いて初めて、アームリフターはないことに気がついた。そのため、針を下すときは、レコード盤面に針を置いてテーブルを回転させていた。
モータキャビネットはメーカ純正のもので、3本アーム用でずいぶん大きなものとなった。
しかし、今現在2本しかアームはとりついていない。
カートリッジはオーディオテクニカのVM型とDL-103はMCのスタンダードとして購入し、針交換と称して本体交換しながら今も使い続けている。

スピーカを通称パンケーキに交換しようと思っていたが、その前にJBL4320をと思ってしまった。スタジオモニターとしてレコーディングスタジオで使われている信頼性が得られた。これは一生ものだと信じて購入し今に至っている。
購入を思い立ったのは1$が360円から変動相場制に移行して、円高が進み1$=220円ぐらいのとき底値と思いユニットのみ購入し、後ほどエンクロージャーを購入した。
1979年、純正の4320はもう発売されていなく、後継の4331Aが発売されていたが購入できるわけもなく、箱の形状も変わったため、箱・ユニット・ネットワークを別々に購入し、擬似4320を私が組み上げた。

一番大変だったのは、箱を寮の1階から4階まで持ち上げるのは大変だった。しかし、数年後寮を出るときには、箱にユニットが入っていた状態で、一人で1階まで担いで下ろしたことだった。
その後、2度の引っ越しでも大変苦労したので、今の場所から動かすことはないと思う。
次に、スピーカが揃ったのでアンプが欲しくなり、出張で大阪へ行ったとき、デンオンかオンキョウーのプリメインの購入で迷っていたが、デンオンがあこがれのアキューフェーズと回路が上下対称回路で同じことが決め手となって購入した。
DENON PMA-850は途中からスイッチを切り替えると、ノイズが入り使用しなくなった。

ちなみに、寮生活では6畳くらいの洋室の二人部屋で、私のスピーカとプレーヤを置いて、テレビ、冷蔵庫、ベット、冬はコタツがあった。当然夏場は扇風機だった。
社会人になって自作したものが、VFETアンプだった。
いろいろ苦労しながら、楽しみながら自分の寝るスペースでアンプを広げて作った思い出がある。
また、寮生は音響製品の設計、製造をしているところなので各部屋にも色々なメーカのものがあった。(皆さんが言うには、他社との比較する為と言っていたが・・・)
私が覚えているものでは、Accuphase・A&E・EXCLUSIVEのアンプやL101Lancer,ALTEC 612C,JBL4530、TEAC・AKAIオープンデッキ、DP-3000、SL-1300色々などがあった。
この頃は、まだレコードで、レコードレンタル店が出始めであったが、近くのレコード店が時々昼休み会社の食堂に出店していた。まだ、ネット通販などはない、携帯もまだない。
寮には、電話がかかってきたとき、呼び出しと公衆電話があり管理人さんが100円玉を10円玉に両替してくれていた。
そこを退職して広島を離れるときに、
SAEC WE-307N
オシロスコープ KENWOOD CS-5140
はんだごて、はんだ1Kg(このはんだまだ使い切っていない)
等を購入して島根に帰った。
その後、低周波発信器、ひずみ率計を購入して、昔は屋根裏(気温が高く湿度も高い)で保管、使用しているので一度オーバーホールをと思っている。
先日測定をしようとしたら、ひずみ率計の針が振り切っていた。
早急に点検をする必要がある。



<1年前に、エアコンのある部屋を私の部屋として、測定器・工具を移動して快適な環境を得たが、十分に稼働しているとは言えない>
広島で部品を購入するために、松本無線や第一産業(のちのデオデオ、今はエディオン)本店を利用させてもらった。
松本無線の、今はなくなった4階でジャンクも面白かった。
島根に帰ってからも、時々上記の2店には立ち寄らせてもらった。
地元に帰ってからしばらくは仕事が忙しく、オーディオと言えば車の中で聴くFMラジオと録音したカセットテープぐらいなものだった。
その後、仕事も落ち着き私の部屋の改築に合わせて、オーディオを置くスペースが出来た。測定器も置ける机も用意できた。
ここで憧れのアンプを購入することを思いついた。(独身だったからかな?)

家を移転することになり、新居にも7.5畳の部屋を用意してステレオを置き中央にスチール棚を設け、そこにプレーヤ・アンプなどを設置した。
しばらくしてスピーカの異常に気がつきウーハーのエッジを交換したり、自作のアンプを作る余裕も出てきて、NoNFB FETアンプや300Bアンプを作ったが、今は私の手から去っていった。

私も結婚して妻がピアノ教師をしている関係で、リスニングルーム兼ピアノ教室を作ることになりほぼ満足するものが出来たと思った。
この頃思うことがあり会社を辞めて、あることを思い立った時、手探りで生録からのCD作りを始めた。
その後、ピアノ教室を録音スタジオとして、パソコンを使った多重録音をして、CDを作ることまで行うことにした。地元の色々なCDを作ったり、妻のCDも多数つくった。
この頃からオークションに手を出して、ジャンク品を購入したり、生録に出かけたり録音機材を自作もした。


考えてみると手軽にパソコンを使ってCDを作ることを超えて、動画をネットにアップする時代となってきたので、会社勤めに戻っても、妻の専属エンジニアとしてPAをしたり、CDを作ったりしている。
そして、終活の一部として今までの事をまとめているが、まだ進化するかもしれない。