今回の記事は見えないものに興味のない方は、スルーしてください。😅

 

実は私は幽霊はあまり好きではないので、

幽霊さんに意識を合わせはしない。

幽霊さんは重い念があるから天へ行かない方々。

 

意識して合わせなくても、たまについてきてしまうことはある。

いわゆる憑依

 

憑依は困る。

 

さて、今回は憑依、の話ではなく

もっといい感じの

亡くなった方の声や存在を感じた体験。

 

前回書いた小学校での

町田フィルハーモニーオーケストラのコンサート

でのこと。

 

このコンサートは、この小学校の校歌を作曲された荒谷俊治先生の

セレモニーコンサートみたいなコンサートだった。

 

はじめにオーケストラと子どもたちは校歌を歌った。

 

初めてオケと歌う子どもたちは

少々戸惑いもあったのか

あまり声は出ていなかった。

 

その後、コンサートだった。

トランペット奏者の休日

アイネクライネナハトムジーク

アルルの女 メヌエット

花(滝廉太郎 荒谷先生編曲)

ハンガリー舞曲)

 

知っている曲ばかりだったが、

「花」が予想外に素晴らしかった。

 

外国の楽器で演奏しているのに、

日本らしさが増大している(表現力が貧相なのが悔しい😅)感じがした。

 

この曲を編曲された指揮者でもある荒谷先生の経歴は

いただいたパンフレットにこう書いてあった。

 

「幼い頃から詩吟、朗詠、剣舞を習い師範代の称号を受けています。」

 

明治時代から西洋の文化が日本に入ってきたが、

でも荒谷先生は日本の文化のお稽古を続けられ、

日本人らしい精神をお持ちの方だったんだろうなと

思った。

 

そして、現代人にその日本人らしい精神を

西洋楽器を通してだけど

思い出させてくださった感じがした。

 

 

コンサートの最後、前回の記事に書いたように、

アンコールで

息子の小学校の校歌のオケ演奏&子どもたちの合唱

になった。

 

コンサート前に歌ったときは、

子どもたちの声は今ひとつだったが、

3回目は堂々と歌う子が増えた。

 

その時に私の目から涙💧が出て、

大変大変(強調!)困った😅

 

こんなことを改めて書くと、

大変失礼なのだが、

 

私はオーケストラの演奏や

子どもたちの歌に

✨感動✨

して泣いた💧のではない

 

のだ。

 

 

 

この時、荒谷先生の声と雰囲気を感じた。

 

メチャクチャ喜ばれていた。

 

「ありがとう✨、ありがとう✨」

 

何度もおっしゃっていた。

 

荒谷先生のセレモニーコンサートなのだから、

荒谷先生の魂がいらっしゃっていても

全く不思議ではない。

 

その荒谷先生の雰囲気が、

言葉では言い尽くせないのだが、

とても深い優しさや愛情をお持ちの先生と感じた。

 

戦争を乗り越えてきて、

たくさんの悲しみ、悔しさ、怖さを体験されてきて、

その上でのただ、甘やかすだけではないような

本当の優しさ。

 

これは私の祖父母の世代の方々から

感じられた感じとも似ていた。

 

そして、子どもたちのことを本当に大事に

大切に思ってらっしゃった方だったんじゃないかと感じた。

 

江戸時代まで

日本は本当に子どもを大事にしていたと聞く。

(貧乏で身売りや奉公に出した、という話もあるのも事実だけど)

 

この時、荒谷先生からも

「子どもたちのために」という大人がたくさんいた時代の雰囲気を感じた。

 

 

「逝きし世の面影」

という本にこう書いてある。

 

 

 

 

「子どもが馬や乗物をよけないのは、ネットーによれば「大人からだいじにされることに慣れている」からである。

彼は言う。「日本ほど子供が、下層社会の子供さえ、注意深く取り扱われている国は少なく、ここでは小さな、ませた、小髷をつけた子供たちが結構家族全体の暴君になっている」(略)

モースは言う。「私は日本が子供の天国であることをくりかえさざるを得ない。世界中で日本ほど、子どもが親切に取り扱われ、そして子供のために深い注意が払われる国はない。ニコニコしている所から判断すると、子供達は朝から晩まで幸福であるらしい」」

 

私自身、このような子育てでなく、

「周りに迷惑がかからないように、常識を守った範囲で、自由に遊ばせたい」

と思ってしまうのだが、

でも、上記のように育った子どもも、立派な日本人になっていったとも思うので、

そんな世界を知りたい感じもする。

 

さて、話はコンサートに戻る。

 

とにかく荒谷先生がコンサートで子どもたちが校歌を歌っている様子に

とっても喜ばれて

「ありがとう、ありがとう」

とおっしゃる声と、

荒谷先生の愛情溢れる雰囲気に

私は涙が止まらず、

大変困った😅

 

必死で、誰にも見られないように、

こっそり目をハンカチで抑えたが、

見た人はどう思っただろう?

 

その後、コンサートが終わり、

帰ろうとすると、息子が

「母ちゃん何で泣いてるの?」

と聞いてきた。

 

息子にはそのまま話した。

 

息子の反応は「ふーん」という感じ。

普段からたまに、こういう話をしているためと思う。

(とっくに亡くなった私の祖父二人が、息子に「習字を習いなさい」と言ってきてる、と伝えたり)

 

公の場でこういうことは稀だが、

以前も息子の幼稚園で似たことがあった。

 

息子の幼稚園はプロテスタントの幼稚園だった。

冬のクリスマスは、園児みんなで生誕劇をする。

それを保護者が鑑賞する。

 

私は日本人なのに日本文化を知る前に

子どもが日本文化でないキリスト教の影響を受けることに疑問があったのだが、

この幼稚園が良かったので、

悩んだ結果入園させていただいた。

 

また、キリスト教の歴史にも疑問があったり、

私もミッションスクールだったので、

本当に信仰されている方々を見てきて、

信仰心なくクリスマスを祝うのは、

クリスチャンの方へ失礼にも感じていた。

 

そんな思いを持ちつつ、

生誕劇を見ていたら

イエスさんの声が聞こえた。

(聞きようによっては精神異常者ですよね😅)

 

生誕劇なのだから、イエスさんがいらしても、

当然のことと思う。

 

私もキリスト教の歴史に疑問はあるが、

イエスキリストご自身は

立派な方だったんじゃないかとは思っている。

 

今でも覚えているのは、

イエスさんは本当に愛情深い方だったということ。

 

仏教からは感じない、キリスト教はまさに「愛」の教えだったんだと思う。

そして、子どもたちが生誕劇を演じることを

この内容が事実でなくても、

それはあまり重要でなく

子どもたちはいろんな影響を受けても、強く生きる生命力があると

伝えてくださった感じがした。

 

大人は、子どもを守るだけでなく、

子どものその力にフォーカスしてあげることが大事らしい。

 

その感じは大きな「愛」と共に感じられ

私は涙💧が止まらなかった。

 

この時も

「私は生誕劇に感動したんじゃないですよ!

息子の成長に感動して、泣いたんじゃないですよ!」

と、声を 大 にして言いたかった😅

 

こういう愛情を感じさせていただけたのは、

大変ありがたいのだけど、

でも、

誰かと共有できないのが、もどかしいのである。