【走路】R324、R251
【現在地】長崎県南島原市
【宿泊地】道の駅『みずなし本陣ふかえ』
【走行距離】59km
【総走行距離】21589km
【話しかけてくれた人】10人
【総計】1972人
【出費】2700円
【内訳】サンタマリア館、フェリー
【特記事項】---
【走破地図】

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天草といえば隠れキリシタン、ということで
少し興味があったため『サンタマリア館』という資料館に行ってみた。

道の駅の目の前にあり、海沿いのきれいな建物。
入館料は500円で、入口に割引券が置いてあり400円で入れる。

『キリシタン』は当て字で『切支丹』と書かれることが多いが、これは差別用語。
『首(支)を切る奴ら』というとんでもない意味だから使わないこと。

他にも『鬼利支丹』『切死丹』など、見るからに差別用語なものもある。
現在はクリスチャン、過去研究の際はキリシタンとカタカナ表記するのが正しい。

館内には江戸時代から昭和前期あたりまでの資料が展示されており、
特に江戸時代の禁教令(仏教以外の宗教の禁止令)前後のものが多い。

キリスト教の伝来についてちらっと触れられているが、詳細な説明はない。

この資料館のテーマは大きく2つ。
『禁教令の中、どのように隠れキリシタンが自身の信仰を続けたか』と
『長い年月を経て、隠れキリシタンの信仰がどのように変化したか』。

俺は一応ミッション系の大学を卒業、キリスト教の授業や礼拝の時間もあった。
イスラム教や仏教など幅広い宗教にちょっとだけ興味があるため、
宗教弾圧下の人々の活動が気になっていた。

キリスト教だけでなくイスラム教や仏教の一部、
つまり幕府が認めた宗教以外は認めない(罰せられる)のが禁教令。

宣教師や活動家は火刑や斬首により殺される(・`д・´;)
見つかれば死という状況でも、信仰を捨てずに隠れキリシタンになるのは
相当な覚悟だったに違いない。

財布の左側、菊紋を透かすとうっすらと十字が浮かぶ。

厨子の台座や背部が十字架になっている(その後黒く塗りつぶされた)。

同じく、背部に十字架と聖杯。

大名像の背面に、はりつけにされたイエス像が彫られている。

支柱の中にマリア像。

十字型を意識した灯籠や子を抱く地蔵。

隠れキリシタンの信仰の変遷を語る上で欠かせないのがこのマリア地蔵。
詳しくは後述する。

翼が生えた観音像は偽装のためだろう。

隠れキリシタン達は、表向きは仏教徒として葬儀などを行うが、
仏教の戒名や葬式などは意味がないどころか屈辱でしかない。
死後に身内の者が墓石の戒名を削って白紙にしたり、
大翁宗(デウス=ゼウス)と彫り直したりしている。

葬式の作法そのものに対する抵抗として、
坊さんが読んでいるお経をつぼに封じ込める『経消し』といった手順も存在した。

十字架を作るための小銭セットや、閉じると中心に十字架が浮かぶハサミなど、
生活に則した信仰がされていたことがわかる。

『島原の乱』や『天草四郎時貞』という言葉は知っていても、
背景を知らなければ何も意味がない。

己の信念や信条を無理に曲げさせられるの苦痛は計り知れない。
俺も『オタクやめろ』と言われたらなんとかして偽装するだろう(´・*・)
そういった背景を知った上で、なぜ乱が起こったかなどを考えるとわかりやすい。

天草四郎時貞という人は生まれながらにカリスマ性が強かったらしく、
聡明なイケメンで現代の女性ファンも多いんだとか(・`д・´;)

みなさんもご存知の踏み絵。
これ考えだした人、相当頭が切れる上にえげつなさすぎるやろ...。

家の中を荒らしてキリシタンという証拠を見つけるよりも、
キリシタン本人の心を傷つけた上で捕らえるって拷問すぎる(´;ω;`)

ここまで禁教令当時の『隠れる方法』として見てきたが、
ここからはその様相がガラッと変わる。

お守りは、キリスト教の十字架という意味をすっかり忘れ去られ、
魔除けの護符として用いられるようになった。

象徴的なのがこのマリア観音である。

キリスト教の聖母マリアと、仏教の地蔵が一体化することなど本来あり得ない。

もともと『魔法的』『呪術的』『おそろしい』と迫害されていたキリシタンが、
キリシタンではないとごまかしのために作ったものが初めだろう。

しかし、何十年と経つうちにキリスト教の本当の教義を忘れ、
他の宗教と混ざり、『キリスト教みたいな民族信仰』になっていった。

それが子の代孫の代まで受け継がれると、
キリスト教ではなく『村の風習』として違和感なく溶け込んでいく。

結果、キリスト教のマリア信仰の隠れみのとしてではなく、
マリア観音という固有の信仰が出来上がってしまった。

教科書では『天草の隠れキリシタンは信仰を守り続けて復活した』とあるが、
実際はキリスト教的な何かになる、という大きな変容を経ている。
そのため、『これはキリスト教という確証がない、ただの風習である』と
弾圧を逃れたこともあるそうで、信者としては複雑だろう。

復活後は祭壇でお祈りをする家庭も現れ、本来の教義を取り戻していく。

正しい形で伝承されず、ところどころ変容していったのは
読み書きができる人が少なく口伝されていたからなんだろうか。
現代でいえば、桃太郎がまさかりかついで龍宮城に行くようなもんだろうw

日本最初の和訳聖書もあった。
一度きちんと聖書も読もうと思うのだが、なかなかおっくうで進まない。
子ども用の旧約聖書で、読んだ気になってしまった(´;ω;`)

宗教の土着信仰化の流れが自分にとっては新鮮で、いい勉強ができた。
たぶん、これ読んでる人にはその感動は何一つ伝わっていないだろう。
社会派をきどるな、B級スポットブログじゃないのかと苦情が来てしまうw

朝からものすごく頭の中が整理されて爽快!!!
この気分のままフェリー乗って長崎行くぞー!!!後編に続く!!!