【走路】R158、R2
【現在地】広島県廿日市市
【宿泊地】包ヶ浦自然公園キャンプ場
【走行距離】109km
【総走行距離】12000km
【話しかけてくれた人】1人
【総計】660人
【出費】2200円
【内訳】備蓄食料、カキ飯、宮島フェリー
【特記事項】---
【走破地図】

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大阪を出発してからというもの、強風続き低温続きで毎日しんどい。
いただくメールでも『寒いけど死んでない?』という内容が多くなってきた。
25000円出してワンランク上の寝袋買って激寒の2月の山陰に行くより、
20000円で沖縄・京都間を飛行機で往復してマラソンだけ出て、
3月末まで沖縄でだらだら過ごすことにしよう。じゃないと死ぬ(´;ω;`)

なんせ、テントの布1枚向こうは寒い外界。
どうせみんなは分厚い壁がある家の中、暖房効かせた部屋のこたつでみかん食べながら、
テレビ見る片手間でCM中にブログ読んでるんやろ(´;ω;`)
一回、布団だけ持ってって夜中に外で寝てみろ(´;ω;`)

道の駅の端に神社がある珍しいスタイル。
この裏にテントたてようかと思ったけどバチあたりっぽくてやめた。
ちなみにトイレは屋内にあり、椅子だけだが休憩スペースがある。
24時間開いてるからそこで寝るのもアリかと思う。

距離は短いが山を突っ切るR2か、距離が倍以上あるが海岸沿いのR158か。
R158を選んだのは無難だったが、風が強くしんどいので
思い切って停泊するのが正解だったかもしれない。
駐輪してあるチャリが倒れるだけならまだしも、
倒れているチャリが起き上がるくらい強風。というかオカルトw

呉の手前あたりまで来ると、海岸で昆布かわかめか何かを干してた。

橋と干し海藻のコラボは絵にならないw

思わずカメラの角度をちょっとずらして橋だけ撮った。
このように、ブログの内容も写真も、現実を正しく伝えているとは限らない。
良くも悪くも俺の興味、俺の価値観を強く反映していることは言うまでもない。

海岸沿いはそのぶん横風も直撃でふらつくこともあるが、
きれいな景色と直射日光に元気をもらう。

広島といえばカキ。漁船や直売所が目立つ。

北海道でよく見かけたホタテの貝殻の保管・処理場。
カキじゃないの?とよくよく見たが、どう見てもホタテの貝殻だった(・`д・´;)

殻付きのカキも小売りされている。
『1コください!!!』というのが恥ずかしいし、おなかの調子が不安なこともあり見送り。
コンビニでも、1コだけ買うのが貧乏臭くてつい2品以上買ってしまう(´;ω;`)

造船所萌えな方にw
機械音聞くだけでわくわくするわ(*´v`*)

呉市に到着。駅前は近代的な都市部と、町の商店街風のアーケードに分かれる。

そのまま沿岸を走り広島市へ。今日も距離は短いのに風が強くて予定がキツい。

やっぱり食べておこう、と気が変わって298円でカキ飯を購入。
炊き込みご飯やから生じゃないしおなかにも安心!!!

そこから黙々と沿岸を走って広島市に到着。
"黙々と"の部分に強風や小さな坂との戦いを含んでるのは察してね(*´v`*)

銀座とか新宿のような大都市の中にちんちん電車が走る味な光景(*´v`*)

広島市に入ってしまえば原爆ドームはすぐそこ。
信号が多い分時間を取られてしまうのがめんどくさい。

到着後、まずは旅の無事に感謝しつつ慰霊の念をお祈りする。
関西圏の修学旅行の定番なのに、阪神大震災によるインフラの打撃のため
小中と行かず、高校でも"みんな小中で行ってるだろうから"と行かなかった。
よって初めての原爆ドーム。

ねこちゃんにもごあいさつして見学することにしよう。
ドームは公園内にあるから入場に時間制限もないし料金も必要ない。

もともとは広島県の物産陳列館として開館していたんだとか。

原爆投下後1秒で3階建ての建物のほぼ全体が爆風と熱線で倒壊、
ドーム部分は窓が多く爆風が吹き抜ける構造のため残っているらしい。

投下地点に近いこの建物が受けた爆風はすさまじいもので、
地表温度は3000°C、爆風は秒速440m(音速は秒速360m)に達した。

原爆ドームを取り囲むように公園になっており、隣には川が穏やかに流れている。
座ってランチしている人もたくさんいて、平和を象徴するような光景。

世界遺産に登録されているが、『二度と惨劇を繰り返さないように』という意味合いで
負の世界遺産と呼ばれることもあるという。

簡単な解説はドーム外周に案内板があるため、
歴史や戦争に詳しくない人でも十分に理解ができる。
英語が併記されており外国人も多数来訪している。

今の自分がのほほんと旅していられるのも、
原爆に限らず、この時代の人々が必死で敗戦から立ち直り
地道に復興復旧したおかげなんだと思う。

公園内には他にも『原爆の子の像』などがある。
原爆で亡くなった子の慰霊碑であり、像の下の石碑には
『これはぼくらの叫びです これは私たちの祈りです 世界に平和をきずくための』と
碑文が削られており、千羽鶴を模した鐘が吊るされている。

鐘のゴーンという音に耳を澄ませて鎮魂の黙祷をする。
小児科で自分より若い子の死をいくつも見てきたが、いつもやりきれない思いがする。

各地から千羽鶴が寄せられ、修学旅行で捧げられたものも多い。

過去には千羽鶴放火事件が起こったこともあるという。
公園内は原爆ドームも含め監視カメラがいたるところにある。

公園そのものは広く、お昼すぎということもあって
休憩している人や読書を楽しむ人もちらほら見かける。
住んでる人も何人か見かけた。

続いて原爆慰霊碑で平和への願いと安全な旅をお祈り。
中央の石碑には『安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから』の文字。

この碑文の文言をめぐって過去多くの事件が起こっている。
主語は被爆者である自分たち日本人なのか、それとも投下したアメリカ人なのか。
アメリカ人だとしたら、"繰返させませぬから"にしないとおかしくないか。
現在の公式見解は『戦争という過ちを犯す世界人類全体』とされているが、
碑文はそのまま変更はなく、論争は続いている。

平和記念資料館に向かうちょっと手前に原爆死没者追悼祈念館がある。入館無料。
戦没者の追悼と、体験記などの情報閲覧のための施設。

玄関前には、原爆投下時の8時15分をモチーフにしたモニュメント。

反時計回りのスロープを下って中央部へと向かう。
『時計の針を戻るように進むことで、我々見学者が過去を追体験する意味』らしい。

地下部分まで歩いて行くから、だんだん圧迫感が出てくる。

中央には死没者の追悼空間。
真ん中の白いモニュメントが爆心地を表している。

壁面には爆心地から見た風景。
死没者と同数の14万枚のタイルを使って表現されている。

地下2階には遺影コーナー。

モニターでは亡くなった方の名前と遺影を公開。
横にある検索端末でひとりひとりの遺影を見ることができる。

企画展では『家族への思い』をテーマに展示が行われていた。

目の前で兄弟を亡くした方や、看護も叶わず肉親を失った方など
個々の被爆者の体験記を読むことができる貴重な場所。

手書きの体験記はパソコンで活字で読むこともできる。
英語や中国語などでも読むことができ、熱心に読み入る外国人も多い。

『行ってきまーす!!!』と朝学校を出た子が通学途中に被爆し、
跡形もなく亡くなって弁当箱だけが残されたという遺品。

熱線によるやけどで服と皮膚がひっついてしまい、
水も薬もなく、それでもなんとか帰宅した娘さんのブラウス。

体験記閲覧室では、こういった体験を詳しく読むことができる。
戦争・原爆関連の書籍も多数用意されている。

小学校4年の頃、クラスで『はだしのゲン』がブームになったことがあった。
あれ以来、歴史の授業がトラウマになった。
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後半は平和記念資料館へ。