
バスを降りた京子は、別にどこに行くあてもなく歩き出した。
人通りの激しい大きな通りを横切って、大きな噴水のある広場に、
とりあえず向かって。
「正夫さんは、確かアラブの人と結婚したそうだから、
この辺りにはいないとは思うけれど…」
エルサレムの街は、地域によって住む人たちがはっきりと分かれている。
京子が降り立ったところは、ちょうどユダヤ人の住むところで、
パレスチナ人の姿は殆ど見当たらない。
でもちらりほらり、それらしい人がいないわけではないのだが、
今ひとつハッキリしない。
「あら珍しい、水売りだわ。それも女の人の」
ある不思議な運命が、ゆっくりと巡ろうとしている。
この世界に、偶然なんて何一つもない。
全ては神がお決めになったこと、我々はそれに付き従って行けばそれでよい。
ロザーナの心に、ある一つの思いが広がっていた。
それはつい先日、モスクで聞いたコスメニ導師(イマーム)の話しの一説である。
それも直接聞いたわけではなくて、女性だけの礼拝が終わって、
その後男性の礼拝が始まってしばらく経った時、
モスクに忘れ物を取りに戻って帰ろうとしたら、
コスメニ導師の声が聞こえてきたのである。
「あの、すみません。水を一杯いただけませんか」
ハッとロザーナが我に返ると、目の前に一人の女性が立っていた。
この辺りでは殆ど見かけない東洋的な顔立ちの、そう日本人の女性である。
「ごめんなさい。実は先ほど一つ先の通りでテロがありまして、
それで水タンクが…」
ロザーナは、くるっと後ろを振り向いた。
背負っていたのは水タンクと言うよりも、
ただの大きくていびつなガラクタでしか見えない。
水を売る商人 ―39― に続きます。絵は友人のやのさんが、描いたものです。