自作について ―20代後半の詩― ・その404 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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   くりかえす

 自らの意志で
 アクセルを踏み
 クラッチを踏み
 ギアを入れ替え
 またクラッチを踏み
 ブレーキを踏んだ

 ぼくは
 何度めのぼくなのか
 ぼくの前には
 ぼくとは違う
 ぼくがいて
 ぼくの後には
 ぼくとは違う
 ぼくが生まれる

 あの人は
 あの鳥は 
 あの車は
 あの雲は
 この星は
 あのまぶしく光る
 星は

 尽きることなく
 通り過ぎる季節
 ブレーキを離し
 ぼくはめいいっぱい
 アクセルを踏む

 繰り返すことは
 難しく考えると
 何も出来なくなる

 繰り返すことは
 のほほんと
 道なりに進んで行くこと

 自らの意志で…




18歳になってすぐに車の免許を取りまして、以来ずっと車を運転し続けています。
子供の頃から乗り物が好きで、電車やバスと言ったものに興味を持っていまして、
そのような中でどうしてもやりたかったことが、車を運転することでありました。
18歳になったら免許が取れるから、それまでは我慢しなさいね。
そんな言葉を待ち兼ねるように、高校を卒業した年の4月から、
ぼくは自動車学校に通い出しまして、車の免許を取りました。
さらに親戚のおじさんの計らいで、自分の車まで持つことが出来たのです。
子供の頃からの夢が叶った瞬間でもあり、また自由を手にした瞬間でもありました。
それから27年あまりが過ぎまして、今も車を運転する生活は続いています。
今は父の介護に、車が欠かせないと言うことで、ますます車の必要性が高まっています。
話が脇道にそれてしまいました、失礼しました。
青年は車を運転しながら、繰り返すと言うことについて、
あれこれと考えています。
このようなことが出来るのも、またありがたいことではありますね。
平成4年・1992年の5月に、書かれた詩です。

青年が運転していた車は、オートマではなかったようです。
今でこそ、殆どの乗用車はオートマになっていますけど、
青年が運転していた頃には、今のように多くはなかったです。
なので、クラッチを踏みなんて言葉が出て来たりもします。
自分でギアを選んで、クラッチを踏みながらギアを入れて加速する瞬間。
本当に自分は、車を運転してるんだなあと思える、そんな瞬間であります。
あちこちに注意を払いながら、ハンドルを握っている時に、
なぜか色んなことを考えることが多いです。

この「繰り返す」と言う詩のことも、おそらく車を運転しながら、
考えていたと思います。
ふとしたアイデアや、どうしても浮かんで来なかった詩の1行の言葉、
書き上がって題はどうしようかと、あれこれ悩んでいた時に、ふと浮かんで来たり…。
車を運転しながら、ぼくは実に色んなことを考え、また助けられて来ました。
どうして、家で自分の部屋の机の前で、あれこれと悩み苦しんでいたのに、
車に乗って運転してみると、ふっと言葉が浮かんで来る。
本当に不思議なものであります、何かそこに深い意味があるようにも思えますが、
あまりここでは深く考えないでおこうと思います。

青年は一連の動作を繰り返しながら、繰り返すこととは何なのだろうと、
深く考えていました。
自分に前世と言うものがあって、さらに今の自分が死んだその先にも、
人生は続いている。
全ては自らの意志で、のほほんと青年は歌でも聴きながら、
車を運転していたのであります。





こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。