自作について ―20代後半の詩― ・その381 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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   ひかり

 ひかりのうたが
 きこえますか
 はるかなひびきを
 のこして

 とんでゆく
 ひかりの
 かたち




別に変換し忘れたわけではなくて、ひらがなだけで書かれた詩になります。
どんなひかりを見ていたのか、思い出せそうにないですが、
とても鮮やかなひかりを、青年は一人静かに眺めていました。
木漏れ日のようなひかりであったのか、はたまた雲の切れ間から差し込む、
真っ直ぐなひかりであったのか。
この詩に関しては、あまり場所とかを限定してしまうと、
詩の世界も狭くなるように思えますので、
読んで下さる方たちの思いのままに、ひかりと言うものをイメージして貰えると、
大変ありがたいです。
平成4年・1992年の4月に、書かれた詩です。

ひかりのうたがきこえますかと、青年はいきなり問いかけていますね。
今でもそうなんですけど、ぼくの書く詩は、
誰かに向かって語りかけているように、書かれているものが殆どです。
もちろん、書いている時には一人で書いてはいますけど、
心の中にいつも誰かがいるように、その誰かに向かって、
詩を書いていることが多いです。
この詩に関しては、読んでくれる全ての人たちを意識して、
語りかけていたと思われます。
どのような前提で書かれたのか、細かいことはよく覚えていません。
でもとても綺麗な光景を見つけて、それを一人で見るのは、
もったいないなあと言う思いを持ちながら、詩を書いていたようにも思えます。

ひかりがうたうことも、はるかなひびきをのこすなんてことも、
実際の光景ではなかったことです。
ただ、そのように感じたことは、紛れもない事実です。
青年が見ていたひかりは、あそこで歌を歌っていて、
はるかなひびきさえ残していたのです。
詩の世界は、とても奥深いものです。
一つのありふれた光景さえも、壮大で華麗で時には偉大なものにも、
見えて来ることがあります。
短い言葉のなかに秘められた思い、そこに詩の世界の入り口が隠されています。

そして青年は、静かにひかりの行方を追い掛けて行きます。
その先に待っていたのは、おそらく…。
ここから先は、読んでくれた方のイメージに、お任せしたいと思います。





こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。