自作について ―20代後半の詩― ・その367 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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   夕立のうた

 海の見えるガード下で
 雨宿りをしていた
 故郷の風景に
 抱かれ

 目の前の異国に
 突然
 稲光が――

 海の見えるガード下で
 震えていた
 少年の
 輝き――




別の書庫に載せています、物語の中に入れても良かった詩ですね。
子供の頃に見た光景を、詩にしています。
小学生の中学年から高学年の頃だったと思いますが、
その頃暮らしていた小さな半島の中にある、小さな町にあった公園が、
この詩の舞台になっています。
海のすぐ近くにある公園で、さらに近くには電車も走っています。
海の向こうは異国なのですが、正確にはアメリカ軍の基地です。
その隣には、海上自衛隊の施設もあります。
なので海と言いましても、それほど良い景気が、見れるわけではありません。
27歳の青年が、20年近く前のことを思い出して書いた詩になります。
今のぼくが、27歳の青年の頃のことを思い出しながら詩を書いたら、
このような感じの詩にはならないとは思いますが、似たような雰囲気の詩に、
なっているような気もします。
平成4年・1992年の3月に、書かれた詩です。

季節は夏だったようにも思えるのですが、ちょっと定かではありません。
公園で友だち数人と遊んでいた時に、突然雨が降った来たのです。
雨粒も大きくて、雨脚もかなり強かったです。
どこかで雨宿りをしようとして、ふと目に飛び込んで来たもの、
それが電車の線路があるガードの下でした。
ぼく一人ではなくて、何人かの友だちと一緒に、雨宿りをしました。
そこは、確かに雨をしのぐにはうってつけの場所でしたけど、
一つだけ難点がありました。
それは電車が来ますと、やたらとうるさいと言うことでした。

公園で遊ぶことはあっても、このようなガードの下でじっとしている、
何て言うことは今までありませんでした。
雨の降る音と、電車が走り去る音。
そして、目の前に広がる見慣れた光景。
その時突然、基地の施設の屋根に置かれた避雷針に、
稲光が落ちたのです。
ぼくが見ていたところからは、1キロ以上は離れていましたけど、
子供だったぼくには充分過ぎるくらいに、衝撃的な光景でありました。
その後、ちょっとの間をおいて雷鳴が轟きました。
ガードの上を電車が通過した時以上に、物凄い音がしました。
おへそも隠しましたし、耳もふさぎました。
今から30年以上も前のことですけど、今でもありありとその時の光景は、
心の中に広がっています。

どうしてこの時期に、雷のことを詩にしたりしたのか。
むしろそちらの方が、気になりますね。
この詩を書いていた日も、やはり雨が降っていて雷も鳴っていたのか。
はたまた、その時のことを思い出させる、きっかけのような出来事が、
青年の周りであったのか。
いずれにしましても、あの日の少年の輝きはずっと変わらず、
ぼくの心の中に残っております。
そのことが改めて確認出来たことも、ぼくとしては嬉しいです。
45歳になるおじさんですけど、まだまだ少年や青年の頃の心は、
捨てずに持っているよ。
誰に語りかけているわけではないですが、そう誰かに語りかけたくなるような、
気持ちが湧いて来るようです。





こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。