自作について ―20代後半の詩― ・その359 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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いつもありがとうございます、これからもよろしくお願いいたします。







   言葉の箱

 磨き上げた
 言葉を
 大切に大切に
 しまっておいた言葉を

 放とう
 海へ
 小さな夢の
 息づかい

 今こそ
 船出の時




青年にとって言葉は、大切な道具として、
いつも心の中に、いくつもいくつもしまってあるものでありました。
もちろん今も、言葉は大切な道具であります。
心の中に、大切にしまってもあります。
一人静かに、ノートに向かう一時のことを、詩にしています。
平成4年・1992年の3月に、書かれた詩です。

言葉を磨き上げたり、大切にしまっておいたりと、
まるで言葉がそこにあって、手で触ったり出来るような、
目とか耳とかでも感じられるような、確かな存在感みたいなものが、
そこにはあるように思えます。
でも実際には、言葉は手で触ったりすることは出来ませんね。
確かにここにはあるのですが、それはこうして文字で表して、
初めてしっかりとした形になって現れることになります。
思えば言葉と言うのは、とても不思議なものでもあります。

どうして海へ放とうと思ったのか、多分この詩を書いていた時には、
青年は海を眺めていたのだと思います。
一人静かに、海と向かい合いながら、青年の心の中に広がっていた言葉。
それらがどんな言葉であったのか、思い出すことは出来ませんが、
放たれた言葉は青年の心にも、しっかりと響いていたはずです。
具体的にどんな言葉であったのかは、特に問題ではないと思います。
この詩を読んで下さる一人一人の方の心に、
青年の心から放たれた言葉の片割れでも届けば、
それで充分かなとも思っています。

海には、一艘の船が浮かんでいたようです。
今こそ、船出の時。
言葉の箱をしっかりと携えながら、青年は一人海を眺めています。
静かに、そして穏やかな心で。




こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。