自作について ―20代後半の詩― ・その354 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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   春を呼ぶ

 水が流れている
 ぼくたちを生み
 育み慈しむ
 水が流れている

 しなやかな横顔を
 ほんの少し
 ほころばせて

 花冷えに震える
 心の岸辺を

 水が流れている




昨日紹介しました詩の続きのような感じも見えますが、
何とも自然が溢れるところへ、誰かと出かけているような、
色んな意味で春の訪れを、予感させるような詩ですね。
水が流れていると、そっけない書き方で書かれてありますが、
これはおそらく川の流れを、表現していると思います。
青年には、具体的にどこのことを、書いたのかは分かっていますけど、
今のぼくにはどこのことかは、全く覚えていません。
しなやかな横顔の方のことも、誰なのか分からないでいます。
何かヒントの一つも、欲しいところであります。
平成8年・1992年の3月に、書かれた詩です。

青年がよく出かけています、3つの川が一つになる、
あの広い河原ではないような感じもします。
いつも出かけているところとは、ちょっと違うところに、
青年はふらりと出掛けていたようです。
誰かと一緒だと良かったのでしょうけど、青年は一人で出かけています。
27歳の青年には、まだ一緒に出かけたりするようなお相手は、
見当たりませんでした。
若い頃から、一人旅をすることも多くて、一人で出かけることには、
それほど抵抗はなかったです。
でも時には、誰か一緒に来てくれる人が欲しいなあと、
密かに思っていたものです。

その辺のことも、詩にして表現しても良いようにも思えますが、
青年はなぜかあまり書いたりはしませんでした。
書いてもどうなるものでもないと、半ば諦めていたとも見えます。
ぼくたちを生みや、しなやかな横顔と、本当は誰か一緒だったんでしょと、
疑惑のまなざしで見られそうです。
でも、青年は一人でいたことは確かです。
なぜかそれだけは、ぼくも忘れずに覚えていますからね。

3月と言うことでまだ風も冷たくて、
水の流れも冷たそうに見えていたと思います。
色んな意味で、青年は春を待ち望んでいました。
その思いは、今のぼくよりも強かったはずです。
青年にとっての春は、まだまだ先に広がっていたことになります。





こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。