自作について ―最近の詩― ・その56 | 出会える日のために・2 けんちゃんのブログ

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   勤労青年のうた

 今日も一日終わった
 疲れた体を横たえ
 考えることはと言えば
 いつでもあのこと

 いつかここを出られる
 若さゆえの一途さ
 海も山も空も
 ここにはありゃしない
 そんな町に生まれた

 ふと心に浮かんだ
 遠い夏の日に見た
 大きな虹の橋を渡って
 あの島へ

 安い酒で紛らす
 夜のしじまは見えない
 明るすぎる町に
 朝は来ないのか

 一人きりの部屋には
 孤独だけが寄り添い
 悲しいほど静かな
 時間が溢れる
 ここが俺のふるさと

 テレビの上で見つめる
 君の顔が
 今夜はとても切なく
 見えるよ

 帰って来たらね
 絶対に言うんだ
 もう島には帰るなと
 今度帰る時には
 手をつないで
 二人一緒に帰ろうと――

 明日も今日と同じで
 何も変わらないとしても
 もうこのまんま
 年は取りたくはないんだ――

 聞こえるかい
 俺の心の叫びが
 朝はきっとやって来るさ…




普段は自分のことをぼくと呼んでいますけど、この詩の中では、
俺と自分のことを呼んでいます。
ビリー・ジョエルの「アレン・タウン」と言う曲に合わせて、
この詩は書かれてあります。
都会の片隅で働く一人の青年をイメージして、
書いていました。
ちょっと乱暴な感じだけど、本当は心の優しい一人の青年。
実際の自分とは違うのですけど、自分の姿と重ねながら、
書いていた詩です。
平成18年・2006年の6月か7月頃に、書かれた詩です。

ちょうどこの頃は、今住んでいます実家の近くのマンションに、
一人で暮らしていました。
この詩を書く2年か3年ほど前までは、もう一人一緒に住んでいた人がいます。
離婚した、かつての妻であります。
テレビの上で見つめる、君の顔と言うのは、
そこにかつての妻の写真が、置かれていたのを思い出して書いたものです。
色々と事情がありまして、交際していた時も結婚した後も、
かつての妻はしばしば故郷の島へと帰っていました。
仕事を終えて、一人マンションの一室に帰って来ても、
そこにいるはずの存在がいない寂しさ。
この詩の中に流れているのは、そんなぼくの心に溜まっていた寂しさであります。
別にぼくのことが嫌で、島に帰るわけではないことは、充分に分かってはいました。
でもやはり愛しい人には、そばにいて欲しいものです。
その辺りのことを、かつての妻にぶつけても良かったのですが、
それはどうしても出来ませんでした。

この詩を書いていた時、ぼくは41歳になっていました。
なので、青年と呼ぶにはちょっと無理があると思いましたが、
あえて勤労青年とご丁寧な題をつけてしまいました。
気分的には、まだまだ若いつもりでいたことは確かですし、
別れてしまった妻にも、断ちきれない思いが残っていました。
この詩を書いていた時に住んでいたマンションも、同じ年の秋には出まして、
実家の方に戻っています。
かつての妻と一緒に帰る夢は、結局叶うことはありませんでした。
色んな思いを抱えながら暮らした日々も、それなりに遠くなりつつあります。

色あせそうで色あせない、そんな微妙な感じの思い出を、
なぜか詩にしていました。
勤労青年も、気が付きますと45歳のおじさんとなっていました。
引きずってばかりもいられない、懐かしさに浸っているのも何か空しい。
この詩を書いて、やっと一つピリオドが打てたようにも思えます。






こんばんは。
こちらの詩とコメントは、今から14年ほど前に、
以前更新をしていた、自分の別のブログに載せたものです。

いつも読んで下さいまして、ありがとうございます。