No.247 大分県由布院盆地の神々・宇奈岐日女③

 
宮原誠一の神社見聞牒(247)
令和6年(2024年)05月07日
 

由布院盆地の南西に宇奈岐日女神社があります。祭神は「宇奈岐日女 うなきひめ」と変わった名前です。「日女」の表記は本来「ひるめ」と読みます。「大日女 おおひるめ」は天照女神です。
宇奈岐日女神社由緒表記では、「祭神は六所宮の六柱と宇奈岐日女神社と習合し神々を祀ったことから、六所宮と称された」とあり、祭神は六所宮の六柱が表記され、「宇奈岐日女」の名は書かれていません。しかし「宇奈岐日女」が本来の祭神でしょう。
 
「宇奈岐」が何を意味するのか。
ヒントは前回のNo.245の「荒木神社」と広島県の宇那木神社(うなき)にありました。「荒木」は「安羅岐or安羅木」で「安羅の男」です。
 
宇那木神社の元宮は静岡県富士宮の浅間大社であるという。しかし、祭神表記は一般に言われている八幡神親子の「仲哀天皇、応神天皇、神功皇后」で、元名は宇那木八幡宮と言われています。浅間神社の勧請でありながら、浅間神社の祭神表記ではありません。浅間神社の本来の祭神は大年御祖神(大幡主)と天照御祖神(天照女神)で、高良神社の祭神です。
 
これらを踏まえて、
「宇奈岐」は「宇那木」ともとれます。「宇」は「天 あま」あるいは「屋根」です。
すると、「宇那木」は「天(あま)の那国の男」となります、つまり、那国の王様、正八幡の大幡主です。
よって、「宇奈岐日女」は「天の那の日子日女」あるいは「天の那の彦の日女」となります。宇奈岐日女は大日女(おおひるめ)の天照女神です。宇奈岐日女神社の主祭神は天照女神です。
 
天照女神が宇奈岐日女として、どのように祭られているか、神社を見て行きます。

 

宇那木神社 広島市安佐南区緑井七丁目24-3 ※神社HPから
祭神 仲哀天皇(帯仲津日子命)、応神天皇(品陀和気命)、神功皇后(息長帯日売命)
神紋は左三巴紋
由緒 安芸国の守護として武田山に築城した銀山城主(かなやま)武田信宗(武田信玄の祖先)が武田氏の守護神「富士浅間神社」の神霊を分祀して甲斐国(山梨県)より勧請し、この地に銀山城北門鎮護の祈祷所として建立した神社で、元の名は宇那木八幡宮と称たたえた。
 
浅間大社 静岡県富士宮市宮町1-1
主祭神 木花之佐久夜毘売命 相殿神 瓊々杵尊・大山祗神
(富士山本宮浅間大社HPから)
※浅間大社は本来、大年御祖神(おおとしみおやの神)を祀った。
大年御祖神は大幡主。
主祭神は大年御祖神(大幡主) 男千木の鰹木五本で主祭神は男神
相殿神は天照御祖神(天照女神)、猿田彦神
となります。本殿は高良神社形式で、大幡主・天照女神を祀ります。

 

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宇奈岐日女神社 大分県由布市湯布院町川上2220

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参道の由緒板
御祭神
国常立尊(くにとこたちのみこと)
国狭槌尊(くにさつちのみこと)
彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
彦波瀲武鸕鷀草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえずのみこと)
神倭磐余彦尊(かむやまといわれびこのみこと)
神渟名川耳尊(かみぬなかわみみのみこと)
 
康保年中(964-968)性空上人が由布岳に六観音の霊場を開いて佛山寺を開基し、宇奈岐日女神社と習合六柱の神々を祀ったことから、六所宮、木綿大明神(ゆうば) と称す。
 
佛山寺 大分県由布市湯布院町川上1879
康保年間(964~968年)、性空上人が由布岳の山腹で読経すると鳴動する岩があり、その岩で観音像を造り祀ったのが始まりと伝えられる。以来、由布岳信仰の本拠地として数十ヵ寺の末寺を有したが、文禄5年(1596)の慶長豊後地震で倒壊。山麓の当地で再興、臨済宗の禅寺となった。
本堂:平成6年(1994)の火災で全焼、再建された。
観音堂:由布霊山観世音菩薩を安置。
山門:楼上が鐘楼になっている。
宇奈岐日女神社:明治時代まで「六所宮」として習合していたが、神仏分離により現在の姿となった。(Wiki)

 

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参道横の椿 2024.04.11

 

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「宇奈岐日女神社」神門

 

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灯籠の三柏紋(大幡主の神紋)

 

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神門屋根の五三桐紋(大幡主)と十六菊紋(天照女神)

 

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五三桐紋

 

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十六菊紋

 

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菱紋が至る所に

 

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御年社(みとししゃ)  祭神・御年神(天忍雲根命)
天忍穗根命(あめのおしほね 大年神=大幡主)の若宮が天忍雲根命(あめのおしくもね 御年神)
御年神が祀られていることは父の大年神(大幡主)が本殿に祀られている可能性あり

 

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御年社横の椿(参道右手) 2024.04.11

 

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拝殿前の両脇に対面して、左の政正社(ただすしゃ)、右の厳島社(いつくしましゃ)
政正社の祭神 菅原道真公、天津児屋根命(あまつこやね)、天種子命(あまのたねこ景行帝)
厳島社の祭神 市杵嶋姫命(いちきしまひめ)

 

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社殿は池に囲まれています

 

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神額「宇奈岐日女神社」

 

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南側から

 

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赤(朱)柱と白壁の配色は天照女神・大幡主を祀る社殿

 

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北側から

 

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龍の口から湧水、池には鯉が泳いでいます

 
社殿は池に囲まれて、水神を祀る様相です。
赤(朱)柱と白壁の配色の本殿。
境内社は御年神(天忍雲根命)を祀る御年社(みとししゃ)、
政正社の祭神・菅原道真公、天津児屋根命、厳島社の祭神・市杵嶋姫命。
こらからしても、宇奈岐日女神社は天照女神(水神)と大幡主を祀る神社と想定できます。
 
宇奈岐日女(うなきひめ)は楮(こうぞ)の栽培を司る神様で、木綿(ゆうば)大神と呼ばれていたことから、由布院は木綿(ゆふ)の栽培地であったことが推測されます。
木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のこととなります。
木綿(ゆふ)とは、木綿(もめん cotton)の事ではありません。
天照女神は養蚕の神でもあり、織姫神です。
これからでも、宇奈岐日女は天照女神と推測できます。
 
宇佐神宮の境内社に、参道右横に春宮神社(とうぐう、祭神は猿田彦)があり、その隣に八坂神社(祭神は正八幡大幡主)があり、その相殿に養蚕神社(祭神は天照大神)があります。

 

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宇佐神宮の境内社・春宮神社

 

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宇佐神宮の境内社・八坂神社(大幡主)
相殿に養蚕神社(天照大神)

 

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八坂神社前でばったり出会ったガイドさんの情報にビックリ
奉納される「蘭陵王舞」が厳島神社の神楽と全く同じだったとは、
八坂神社前広場にて、広島の厳島神社と同じ「蘭陵王舞」の神楽奉納が行われるそうです。
厳島神社の市杵島姫は天照女神であるという私説が更に濃厚になりました。2023.7.15

 

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ブログ「ひろっぷ 古代・中世・近世の繋がり 先祖について」
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12624774207.html
湯川(ゆご)周辺は倭人伝の原風景・・・揃ってしまうのは何故だろう 2020-09-14
 球磨は求麻とも言われて、古代から麻や楮(こうぞ)の生産地でもありました。
球磨川は別名「木綿葉川(ゆうば川)」、
木綿(ゆう)とは 木綿(もめん)の事ではありません。
木綿(ゆう)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のことである。
楮の木の皮を剥いで蒸した後に、水にさらして白色にした繊維である。
 
ブログ「ひろっぷ 古代・中世・近世の繋がり 先祖について」
https://ameblo.jp/hirom0211/entry-12626067814.html
球磨と彦の漢字の成り立ちと熊津彦、難升米様親子 2020-09-21
 球磨を別称「求麻」と呼ぶ理由は 求麻外史によりますと、
昔(古代)、八代の者が川から麻の葉が流れてきたので、上流に行くと人が麻を作っていた。そして、麻を求めに人がやって来るようになったので、この地「球磨(クマ)」を「求麻(クマ)」とも呼ぶようになったそうです。

 
木綿(ゆふ)とは、楮(こうぞ)のことであり、それを原料とした布のことであると。
由布院の名称は、この木綿(ゆふ)からとられ、宇奈岐日女(うなきひめ)は楮(こうぞ)の栽培を司る神様で、木綿(ゆふ)大神であり、織姫神となります。
※由布院では木綿を「ゆふ」と言ったのは、旧仮名遣いの「ゆふ」から

 

コウゾ(楮、栲)  Wikiから
コウゾは、ヒメコウゾとカジノキの雑種という説が有力視されている。本来、コウゾは繊維を取る目的で栽培されているもので、カジノキは山野に野生するものであるが、野生化したコウゾも多くある。古代においては、コウゾとカジノキは区別していない。
厳密にはコウゾとカジノキは異なるものであり、コウゾに楮の字を用い、カジノキには梶、構、榖の字をあてているが、両者の識別は容易ではない。古代では、植物の名前も地方によって呼び名が異なり、混同や混乱が多い。
樹皮から繊維を採って糸を作り、布を織るために使われたため、古代から日本各地で栽培が行われた。樹皮の繊維は長く、繊維が絡み合い強靱なため、コウゾを使った紙は粘りが強く揉んでも丈夫な紙となる。古くは、檀紙は真弓紙とされているが、平安後期以後の檀紙はダンシと読まれ、楮紙とされている。
楮の皮の繊維を蒸して水にさらし、細かく割いて作った糸を木綿(ゆう)と言う。同じ字の木綿(もめん。ワタの繊維)とは別のものである。神道の祭事に用いられるが、後に紙で作られた紙垂も用いられるようになった。

 
「楮」は「こうぞ」と読むのが一般的で、「たく栲」「かじ梶」とも読みます。
大幡主と天照女神の間の子に「栲幡千々姫 たくはたちぢひめ」がおられます。
「栲幡 たくはた」は天照女神の楮の「栲」、大幡主の「幡」からとられ、合成されたと考えます。
 
諏訪神社の社紋は梶紋(梶の葉)ですが、諏訪大社の社紋は梶紋でも異なります。(No.145)

 

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 梶の葉       諏訪梶の葉       明神梶の葉

 
諏訪神社の祭神は建御名方神(建南方)と八坂刀売神(奈留多姫)です。
諏訪大社が上社と下社に分かれている理由は、建御名方神と八坂刀売神が夫婦喧嘩され、別居されたことによるとされる。八坂刀売神の名は『記紀』には出てきません。
奈留多姫の母系を遡っていくと、ヒミコ様(天照女神)にたどり着くのです。同様に、奈留多姫を母に持つ豊姫(ゆたひめ)も母系はヒミコ様にたどり着き、氏子さんが大幡主奉祭につながるのです。
 豊姫 → 奈留多姫 → 雨宮姫 → 阿蘇津姫 → 栲幡千々姫 → ヒミコ様(天照女神)
 
諏訪神社の梶紋も、天照女神のコウゾ(楮、栲、梶)から来ているのでしょうか。

 

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産霊(むすび) 上社紋(根が4本の諏訪梶の葉) No.145
諏訪神社 福岡県糟屋郡篠栗町篠栗4264

あのー、神さま。
いつも思うんですけど、私のことお忘れじゃないでしょうか?
ジジィ になる前に宜しくお願い致します。

 
 
 
覚書メモ
宇佐神宮のこと
宇佐神宮の奥宮は御許山(おもとさん)山頂の大元神社(おおもと)です。
祭神は比売大神で、比売大神は宗像三女神ですが、宗像三女神も比売大神も天照女神です。
大元神社の向かいに大元八坂神社があり、拝殿の真向かいに、御許山を拝する形で鎮座されています。祭神は須佐之男命とされますが、正八幡大幡主の置き換えです。大幡主は天照女神を拝されています。
御許山の「許」を「もと」と読ませていますが、許(ほ)黄玉を御祖(みおや)にもつ天照女神からすると、御許山は「みほさん」と読むべきでしょう。御許山は天照女神の山です。
すると、この流れで、美穂津姫(みほつひめ)は天照女神となります。羽衣伝説の「三保の天女」も天照女神となり、「富士」「藤」は天照女神の象徴です。

 

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日女・日子について
日女は「ひめ」、日子は「ひこ」ではありません。
日女は「ひるめ」で、「大日女」(おおひるめ)は天照女神です。
日子は「ひるこ」で、「蛭子」「えびす」で、大幡主です。
 
 
祖母山北麓の健男霜凝日子神社
祖母山の北麓に健男霜凝日子神社があります。
祖母山山頂の上宮、祖母山北麓の下宮・神幸所、及び穴森神社からなり、健男霜凝日子神社の祭神(祖母山の神)が変化したのが、穴森神社の伝説で伝えられる大蛇とされます。その祭神・健男霜凝日子(たけお しもこりひこ)は、本来は健男塩凝日子(たけお しおこりひこ)で、塩凝日子は大蛇神・大幡主です。霜凝彦は大神惟基(これもと)の父で大蛇神・大神庶幾(これちか)と想定しています。
祖母山は別名「姥岳 うばだけ」「嫗岳 うばだけ」と呼ばれて、本来祀る神は男女神であり、男神は「しおこりひこ おうじ」、女神は「しおこりひめ おうな」で、男女神は老人となって「翁姥岳(おじうばだけ)」の神となりました。
福岡県筑紫野市山家にある宝満宮の境内社・天嫗社(てんおうしゃ)の祭神は天照女神です。(No.237)

 

久住神社 大分県竹田市久住町久住6499
祭神 健男霜凝彦神 姫神 彦五瀬命(追祀)
由緒 往古から久住山頂の山神の姫神を斎祈した上宮と、桐迫村に農耕神・健男霜凝彦神を社祠した下宮を併祀した神社であった。
大化元年(645)彦五瀬命の心霊が紀州竈山神社から飛来して桐迫村宮田鉾の木に鎮座され、寛徳元年(1044)白丹南山城主・志賀義天が下宮の地にこれを勧請し、従来のまま健男霜凝彦神社と尊称併祀した。
天文2年(1533)平摩大明神と尊称し、天正14年(1586)島津兵乱以後仮宮であった頃は別に久住大明神とも尊称、寛文6年(1666)日守(現在の飛森)に遷座し、新宮を久住宮と尊称、肥後藩久住手水の氏神として崇敬された。その後、久住神社と改称、現在に至っている。 後藤是美 謹撰文 社前由緒碑

 
大分県竹田市久住町の久住神社の当初の祭神は健男霜凝彦神と姫神です。神紋は花菱紋で、伊勢神宮の神紋です。また花菱紋は高良の神です。よって、健男霜凝彦神は大幡主、姫神は天照女神となります。祖母山は大幡主と天照女神を祀る山となります。
「祖母」に注目するならば、祖母山は天御祖神(あまつみおやのかみ)の母神でしょう。
竹田市神原(ごうばる)の穴森神社の祭神は大蛇神の大幡主で、大神惟基の父・庶幾(これちか)が被さっています。
大野市宇田(うた)の宇田姫神社の祭神は天照女神(水神)で、宇田姫(華ノ本姫)が被さっています。華ノ本姫は下照姫とも称され、大国主(=大幡主)と市杵島姫(=天照女神)の姫となります。

 

No.66 三輪伝説と穴森伝説と下照姫 2018年06月28日の摘要
松尾芭蕉(花本大神)は豊後大神氏(おおが)の流れで、その豊後大神氏の始祖は大神惟基(おおがこれもと)です。大神(大太)惟基の出自については、三輪山伝説の内容と同じ趣旨の「嫗嶽(うばだけ)大菩薩伝説」が語られています。大神氏流れの緒方家の出である松尾芭蕉(忠右衛門宗房)の神号の請願に、この伝説が使われています。
豊後大神氏の始祖は大神惟基(おおがこれもと)という。
惟基の父は大神朝臣良臣(よしおみ)の息子・庶幾(これちか)。芭蕉の神号の請願に使われた系譜では、大神庶幾は嫗嶽大菩薩(うばだけだいぼさつ)となっています。
 
仁和2年(886)2月、大神良臣が豊後介となって豊後国に赴任した。寛平4年(892)3月、良臣の任期が終わる時、良臣の徳政によって百姓が良臣を慕い、せめて子息を留めてほしいと国府に願い出た。大宰府はこれを許し、庶幾(これちか)を大野郡領に任命。大野郡領になった庶幾は三重郷に入って豊後大神氏の祖となり、庶幾の嫡男である大神惟基(これもと)が豊後大神一族の始祖となります。
惟基には5人の男子があり、惟基は5人を豊後国南部を中心とした地域に置いて勢力の拡大を図っている。
長男:高千穂太郎政次 - 日向国臼杵郡高千穂郷を本貫とし、三田井氏の祖となる。
次男:阿南次郎惟秀 - 豊後国大分郡阿南郷を本貫とし、阿南氏の祖となる。
三男:稙田七郎惟平 - 豊後国大分郡稙田郷を本貫とし、稙田氏の祖となる。
四男:大野八郎政基 - 豊後国大野郡を本貫とし、大野氏の祖となる。
五男:臼杵九郎惟盛 - 豊後国海部郡臼杵荘を本貫とし、臼杵氏の祖となる。
穴森神社の寄付石碑の名には「三田井」「阿南」が多くあります。