No.236 宝満宮巡礼・北谷竈門神社・朝日宝満宮 ①

 
宮原誠一の神社見聞牒(236)
令和5年(2023年)10月26日
 

2023年8月30日、宝満宮竈門神社の訪問時に、強雨のにわか雨に会い、北谷の竈門神社以降の訪問を中止していました。10月18日、残りの宝満宮の巡礼を無事に終えての報告です。
宝満宮に表記される祭神は「玉依姫」ですが、実際に祀られている神様は天照女神と大幡主でした。
 
また、山家の宝満宮は宝満宮の元宮と主張されていますが、この神社は比較的新しく、元宮ではありませんでした。「当社の宝満宮は竈門山宝満宮の本宮」とあり、宝満宮竈門神社と宝満宮を別物と扱われているようです。他の「宝満宮」は「山家の宝満宮」が元宮となるのでしょう。しかし、「当社山家宝満大神は蓋(けだ)し竈門大神御一体なり」とあり、「宝満宮」と「宝満宮竈門神社」は同一とされています。混同します。
以前のブログNo.04では、百嶋学と合わせ、山家の宝満宮は宝満宮の元宮であり、祭神は玉依姫としていましたが、訂正の必要があります。
 
1.宝満宮竈門神社 福岡県太宰府市内山883
2.北谷の竈門神社 福岡県太宰府市北谷547
3.二の宝満宮  福岡県朝倉郡筑前町二(ふた)8
4.山家の宝満宮 福岡県筑紫野市山家2684−1
5.朝日の宝満宮 福岡県朝倉郡筑前町朝日265

 

宝満宮竈門神社 福岡県太宰府市内山883

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10月18日では桜の葉は落ちています

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北野町赤司の八幡神社の「止誉比咩神社本跡縁記」(豊姫縁起)によると、竈門神社を創建したのは水沼君と記してあります。「筑前国竈門神社」とあり、宮号の「宝満宮」は後の時代とあり、時期は示されていません。延長5年(927)の「延喜神名式」通称:延喜式神名帳では式内社名「竈門神社」とあります。

 

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北谷の竈門神社
北谷(きたたに)の竈門神社は「宝満宮」「新宮」「新宮宝満社」等の表記があるという。
境内の石碑には「官幣小社竈門神社遙拝所」とありますが、参道・社殿は宝満宮竈門神社の下宮・上宮には向っていません。大根地神社(祭神・天照大神、大幡主)に向いています。

 

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※大根地神社は、天神七代、地神五代の大神を祭り、建久3年(1192)に須佐之男命、大市姫命(おちひめ)の二柱の神を合祀し、雲閣稲荷大神(雲圀神社) と称す。明治22年1月、京都の伏見稲荷大社の御分霊を勧請し、此を別当稲荷大明神(別當神社) と称す。この三社を総称して大根地神社、大根地三柱大神と申し上げ、大根地さま、お稲荷さま、大根地稲荷さま、大根地大明神さまと崇められています。(No.28)

 

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北谷の竈門神社 福岡県太宰府市北谷547

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社頭には大幡主の藤棚があります、鳥居「宝満宮」

 

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鳥居「宝満宮」、「官幣小社竈門神社遙拝所」の石碑

 

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鷹と松の大幡主の彫刻

 

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拝殿奥

 

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天照女神の桜紋の釘隠し         変形「花菱紋」

 

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拝殿鬼板の天照女神の桜紋

 

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千手観音堂(天照女神)
初めて訪問された方は「こっち」と招かれたそうです

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拝殿の右窓から見た千手観音堂

 

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宮地嶽神社、安倍丞相・藤大臣は大幡主(No.231)

 

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境内坂下の氏子宅のイモカタバミ

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カタバミ紋は大幡主奉斎の家紋

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氏子宅の地紙紋(大幡主奉斎)

 
「細石神社-宝満山」は天照女神・大幡主の祭祀線です。
一貴山銚子塚古墳→細石神社→吉竹高木遺跡→檜原五社神社→須久老松神社(上宮)→北谷竈門神社→竈門神社上宮
北谷の竈門神社はこの祭祀線に乗ります。(No.223)

 

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一貴山銚子塚古墳→細石神社→吉竹高木遺跡→檜原五社神社→須久老松神社(上宮)→北谷竈門神社→竈門神社上宮

 
 
 
朝日の宝満宮
社号が「宝満宮」なので、元宮は「山家の宝満宮」でしょうか。
神社の道路向かいに高原公民館があります。「高原」を「たこら」と呼んでいます。公民館には藤棚があり、弥生遺跡の案内板があり、「宮ノ上・坂井田遺跡」とあり、この一帯は弥生遺跡の上にあります。

「高原」は「こうら・たかはる」とも読め、高良神社にも繋がります。
「高原」は宮崎県高原町があり、同系統の狭野神社が鎮座です。狭野神社は大善寺玉垂宮に境内社としてもあり、石川県能美市佐野町にもあります。狭野神社の社紋は「矢車紋」で大幡主の紋章です。
境内に聖観音(天照女神)が祀られ、祭神は天照女神、大幡主です。

 

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朝日の宝満宮 福岡県朝倉郡筑前町朝日265

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コンクリート製で建て替えられていて、以前の神社の特徴的痕跡が残されていません

 

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日神のシンボルと六角形の釘隠し

 

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聖観音(天照女神)

 

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左中が聖観音堂

 

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左の二祠は天神社

 
 
阿蘇高森夏合宿 百嶋由一郎先生講演 2012年7月28~29日

高天原 (たかまがはら)は現在、コリョンにあると申し上げました。
高木一族、二ニギノミコト一族は、一番最初は九州の何処どこにあると言って盛んにほらを吹いていました。その後、勝手に高天原を奈良の方に持っていきました。奈良葛城山の奈良側の方に持っていきました。その場所の名前は高天原、または原をとって「高天」とも言います。どっちでもOK。(奈良県御所市高天)
ところが、お賽銭をあげてくれていた日本人及び朝鮮人がさっぱり、特に、日本人がお賽銭をあげなくなった。信用されなくなった。彼らが言う高天原は信用されなくなった。
それまでの高天原は何処から持って来たかというと、
朝倉から持って行っています。
高天が全然信用されなくなったから、とうとう根を上げて1999年に奈良の葛城を逃げ出して、朝鮮半島のコリョンに行って、高天原を作ったんです。従って、現在の高天原は何処にありますかと聞かれたら、朝鮮半島のコリョンにあると答えられたら正解です。

 

朝倉の「高天原」とは、朝倉郡筑前町朝日の「高原」ではないかと想定しています。

 
 
 
覚書メモ
大幡主関係の矢紋

 

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矢紋は神武天皇も使用されます。宮崎神宮の神紋は「三割菊菱に三矢紋」です。
 
 
祓戸大神(はらえどのおおかみ)
天照大神荒魂(内宮) → 八十禍津日神 → 神直日神 → 瀬織津比咩 → 天照女神
           (倭禍津日神)
豊受大神荒魂(外宮) →  大禍津日神 → 大直日神 → 氣吹戸主  → 大幡主
 
「禍津日神」は禍の神でなく、禍に係わった神であり、「直日神」は禍を直す神
八十国魂神社は天照女神と大幡主を祀ります。
 
※八十島=日本島 八十禍津日神=倭禍津日神 (八十=倭)
 倭姫(やまと)=八千人女姫(やちとめ)=天照女神