No.228 福岡空港東丘の宝満宮と老松神社

 
宮原誠一の神社見聞牒(228)
令和5年(2023年)08月05日
 

福岡空港東の丘に老松神社(空港前三丁目)と宝満宮(空港前四丁目)が鎮座し、その両神社の丘に五穀神と荒五郎大明神が鎮座され、福岡空港(席田(むしろだ)の平野)を見おろされています。宝満宮は太宰府市内山の宝満宮竈門神社(玉依姫)を勧請されています。
老松神社の祭神は玉依姫命、応神天皇、神功皇后と表記されますが、石碑別記によれば菅原公一座也、後世相殿に宝満神をも祭れりとあり、本来の祭神は菅原公一座であり、宝満三神は後の追祀のようです。
現地を見るかぎり、五穀神は大幡主を祀り、宝満宮も老松神社も、主祭神は大幡主を祀っています。

 

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下臼井の老松神社 福岡市博多区空港前三丁目17-11(北)
上臼井の宝満宮  福岡市博多区空港前四丁目13-3(南)

 
 
 
上臼井の宝満宮(空港前四丁目)
宝満宮は太宰府市内山の宝満宮竈門神社を勧請され、祭神表記は玉依姫となっています。宝満宮竈門神社の祭神表記は玉依姫命、相殿の応神天皇と神功皇后は後の合祀です。
勧請年月は不詳ですが、上臼井村の三宅実秋、平田清蔵がこの地に勧請し産土神として祀っています。
宝満宮の神紋社紋は桜紋ですが、この神社では、十六菊紋と右三つ巴紋で、天照女神と大幡主の紋章です。桜紋は玉依姫も天照女神も大幡主も使用されます。まるで宝満宮は、大幡主と天照女神を祀るかのようで、玉依姫と天照女神が重なります。

本殿背後の小山頂上には五穀神の石塔があり、その左手には荒五郎大明神の祠が2018年当時はありました。現在は境内に移されています。境内には他に、石像安置の二祠があり、それぞれ薬師如来(大幡主)、千手観音(天照女神)を祀ります。

上臼井の宝満宮 福岡市博多区空港前四丁目13−3

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一の鳥居「寶満宮」 写真は2018年(平成30年)1月撮影

 

福岡西方沖地震災害復旧記
平成17年(2005)3月20日10時52分ごろ、福岡西方沖地震(震度六弱)の災害に当宝満宮も遭い、境内の多くの石造物が倒壊・破損する。中でも、参道入口の旧鳥居は額石の落下や柱に亀裂が入り、大変危険な状態になり、両柱の再建及びその他の石造物の修復をする。旧鳥居は、昭和8年4月に平田久太郎・久人が寄進したものである。その両者の名を記す。 平成17年10月

 

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二の鳥居「寶満宮」

 

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二の鳥居「寶満宮」

 

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三の鳥居「寶満宮」

 

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注連縄の形式は隣の老松神社と同じです

 

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十六菊紋(天照女神)と右三つ巴紋(大幡主) 本来の宝満宮の神紋ではありません

 

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お潮井台

 

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拝殿の扁額「寶満宮」

 

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拝殿奥の神額「玉依姫神社」

 

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本殿の右手には蘇鉄です 本殿の屋根は外削ぎの男千木と三本の鰹木

 

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宝満宮略記
鎮座地 福岡市博多区空港前四丁目13-3
神社名 宝満宮
祭神 玉依姫命
境内
小祠二(一)荒五郎大明神-牛馬の神 (二)不詳
地蔵堂(堂内に「天保六年未四月…」の銘)
石像二体(薬師如来、千手観音)
境内背後小山頂上 五穀大神
氏子数 58世帯
ここに鎮座する宝満宮は、「筑前国続風土記拾遺」によれば、宝満山麓旧御笠郡内山村(現太宰府市)に鎮座する竈門神社の祭神玉依姫命を、往時、上臼井村の三宅実秋、平田清蔵が信仰して、はじめてこの地に勧請した産土神である。以来、氏子によって代々引き継がれ祀られてきている
勧請年月は不詳。
以下省略
平成10年10月吉日   略記 平田順治 識


福岡県神社誌 宝満宮
祭神 玉依姫命
福岡市大字上臼井字宮ノ前(福岡市博多区空港前四丁目13-3)
境内社 なし

 

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町懐之碑
此の地は、福岡平野の中央部に位置し、江戸期より明治29年迄の村名は、筑前国席田村大字上臼井と称し、以後、筑紫郡席田村大字上臼井となる。
福岡藩「郡方覚」によれば、文化9年の席田村所属は、下臼井・上臼井・青木・平尾・雀居・下月隈・上月隈・立花寺・金隈の九ヶ村であった。
昭和8年福岡市に編入、福岡市大字上臼井町となり、平成2年2月26日、町名改称により、福岡市博多区空港前四丁目となる。
町名改称をするにあたり住民こぞって由緒ある町名を惜しみ、その変遷を記し後世に残す所以である。(以下省略)

 

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絵馬殿(左)、地蔵堂(中)、神武天皇石碑(右)

 

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千手観音(左・天照女神)、薬師如来(中・大幡主)、地蔵堂(右)

 

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地蔵堂の桜紋

 

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境内小祠二(一)荒五郎大明神(牛馬の神) (二)不詳

 

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社殿後ろの五穀神の丘から

 

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五穀神石塔(大幡主)

 

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荒五郎大明神の祠(2018年当時) 老松神社の右手の丘(五穀神の丘)にありました、祠には「丸に荒」の紋

 

千歳川と水天宮
筑後川はその古名を「千歳川」(ちとせ川)といった。
九州第一の河川であり、板東太郎・利根川、筑紫次郎・筑後川、四国三郎・吉野川と共に呼ばれた国内有数の大河川。この筑後川が、公式に筑後川と呼称されるようになったのは、寛永13年(1636)のこと。旧藩時代の筑前、筑後の両国の中間を流れていたところから「筑間川」とも呼ばれた。
千歳川、ちくま川、日田の三隈川は水天龍王・豊玉彦に因む名称です。
水を司る龍神を水天と言い、龍神は水天の使いの象徴です。
龍神には、豊玉彦(龍王)、罔象女神(みずはのめ)、豊玉姫(青龍)、市杵島姫(白龍)があります。 豊玉彦は海神(わたつみ)であり、龍王、龍宮神といわれ、別名、筑後川水神、牛馬之守護神であり、荒五郎大明神(水天龍王)ともいわれた。
罔象女神(=神大市姫 かむおちひめ)は水神様であり、龍神姫であり、筑後川及び巨瀬川筋の水神様で安坊大明神といわれた。
豊玉彦、罔象女神は夫婦神であり、祀られる宮を本来の「水天宮」といった。
筑後川一帯の水神社は水天宮を「徳満宮」として祀る村が多数あります。


宝満宮竈門神社 福岡県太宰府市内山(字御供屋谷)883
主祭神 玉依姫命
相殿神 神功皇后、応神天皇
玉依姫命は元々の祭神で、神功皇后・応神天皇はのちに合祀されたという。
創建 (伝)天武天皇2年(673年)
天武2年、開山心蓮上人が山中で修行中、にわかに山谷震動して貴婦人が現れ、「われはこれ玉依姫の霊、現国を守り、民を鎮護せんために、この山中に居すること年久し。」などと告げ、金剛神に姿を変じ九頭の龍馬に駕して天を自在に飛行しました。心蓮上人は直ちに朝廷にその旨を奏上すると、朝廷の命によって上宮が建立されました。
宝満山には修験道の有数の道場が造られたが、明治期にこれらの仏教施設は廃された。
末社 五穀社(豊受大神=大幡主)、須佐社、夢想権之助神社、式部稲荷社(宇迦御霊神)

 

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竈門神社上宮(竈門神社HPから)

ここの宝満宮竈門神社は心蓮上人の霊験によって創起されており、宝満宮別宮の元宮となります。筑紫野市山家の宝満宮とは独立した神社です。
 
 
山家の宝満宮 福岡県筑紫野市山家2684-1
祭神 玉依姫命、神功皇后、応神天皇
由緒 創立不詳
宝満宮由来書に曰く、当社山家宝満大神は勧請由来の義に在らず。化現より以来降臨の本津宮にて万代不易の廟屈也と神俗共に申し伝えはべる。
玉依姫を祭神とする宝満宮の元宮となります。
境内社 山王神社(大幡主・猿田彦)、大日孁貴(天照)、天嫗社(おばあさん)、
    厳島神社、徳満宮
 
 
宝満宮について
太宰府北谷の宝満宮及び内山の宝満宮は修験道関連のお宮さんです。
そして、筑紫野市宮地岳の麓には宝満宮が二つあります。ひとつは筑紫野市山家(やまえ)に、もうひとつは筑前町二(ふた)にあります。どちらも本物の宝満宮です。そして、筑前町二の方には筑紫野市山家にないものがあります。筑前町二には「玉依姫」のことをはっきり記していますが、筑紫野市山家のほうは誤魔化しています。筑前町二の方には、カム(神)玉依姫、時代が下がってカモ(鴨)玉依姫、さらに時代が下がって、そのお子さんであるハエ(活)玉依姫の3人の玉依姫が登場されます。

 
ここ上臼井の宝満宮の神紋は十六菊紋(天照女神)と右三つ巴紋(大幡主)です。
本殿の右手には大幡主の蘇鉄があり、その本殿の屋根には外削ぎの男千木と三本の鰹木で、主祭神は男神となります。その背後の丘には大幡主の五穀神石塔があります。
さらに、社殿左手の境内に仏像祠があり、千手観音(左・天照女神)、薬師如来(右・大幡主)です。


ここの宝満宮は太宰府市内山の宝満宮竈門神社を勧請され、祭神表記は玉依姫となっています。宝満宮竈門神社の祭神表記は玉依姫命で、応神天皇、神功皇后は追祀です。本殿屋根には平削ぎの女千木、鰹木五本、女神が主祭神です。上宮は外削ぎの男千木、鰹木五本で祭神は男神です。

宝満宮の元宮は筑紫野市山家(やまえ)の宝満宮です。その祭神は宝満宮(中)、八幡宮(左)、神功皇后(右)と、元宮ながら曖昧になっています。その分祀である筑前町二(ふた)の宝満宮の祭神は玉依姫です。
よって、宝満宮の祭神は桜紋の玉依姫となります。
ここ上臼井の宝満宮の祭神は大幡主(右三つ巴紋)と天照女神(十六菊紋)で、大幡主が主祭神です。勧請元の太宰府内山の宝満宮の祭神は玉依姫となっていますが、本当は上宮に大幡主、下宮に天照女神を祀るのではないかと。
分祀宮の上臼井宝満宮の方が、元宮よりも、はっきりと祭神の表現をされています。

 
 
 
下臼井の老松神社(空港前三丁目)
老松神社の祭神は玉依姫命、応神天皇、神功皇后とありますが、神社略記(石碑)の別記では、祭る所は菅原公一座であり,後世相殿に宝満神をも祭れりとあり、後に相殿に祀った宝満宮が主祭神表記となっています。別記での菅原公一座が主祭神でしょう。
しかし、社殿、境内を観察しますと、老松神社の主祭神は菅原公ではありません。
後世、相殿に追祀した宝満神は「玉依姫命、応神天皇、神功皇后」とあり、この宝満宮は大宰府内山の宝満宮となります。
二の鳥居の扁額は「須佐神社」とあり、摂社の須佐神社が昭和52年5月合祀されたようです。

下臼井の老松神社 福岡市博多区空港前三丁目17−11

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一の鳥居「老松宮」

 

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二の鳥居「須佐神社」

 

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三の鳥居「老松宮」

 

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四の鳥居「老松宮」

 

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三階松紋                 三枝松紋

 

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枝付き三松紋               大幡主のウソ(鷽)

 

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拝 殿

 

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注連縄の形式は隣の宝満宮と同じ

 

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賽銭箱の三階松紋と釘隠しの日輪紋

 

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本殿屋根には外削ぎの男千木、鰹木三本、男神が主祭神です

 

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神社略記(石碑)
村社 老松神社
鎮座地 下臼井字宮山45番地
祭神 玉依姫 応神天皇 神宮(功)皇后
   寛政2年(1790)奉安置
社殿本殿 神明造銅板葺
境内神社 摂社 神武天皇社
     摂社 須佐神社 祭神 素盞嗚命
        昭和52年5月 老松神社本殿奉安置
氏子数 89戸
老松神社
宮ヶ崎というにあり、祭祀9月14日,村民小串村善吉世々祭を司るという産土なり。祭る所 菅公一座也,後世相殿に宝満神をも祭れり、古しへ菅原神の通らせ給う所なりという。社内にがらん明神という神石あり。又観音堂あり。

福岡県神社誌 老松神社
祭神 玉依姫命、応神天皇、神功皇后
住所 福岡市大字下臼井字宮山(博多区空港前三丁目17−11)
境内社 なし

 

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枝付き三階松紋

 

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神武天皇社(右)、左祠は不明

 

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神武天皇社(神武天皇、孝明天皇とあります)

 

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観音堂と藤棚

 

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社殿右奥に蘇鉄があります

 

 
ここの老松神社の祭神は玉依姫命、応神天皇、神功皇后とありますが、神社略記(石碑)の別記では、菅原公一座を祀ってあります。後世に相殿に宝満宮が追祀されています。この相殿に祀った宝満宮が主祭神表記となっています。
別記の菅原公一座が主祭神とみれますが、社殿、境内を観察しますと、老松神社の主祭神は菅原公ではありません。至るところに三階松紋が打ってあります。
後世に相殿に追祀した宝満神は「玉依姫命、応神天皇、神功皇后」とあり、この宝満宮は大宰府内山の宝満宮となります。隣の宝満宮と同じ勧請元宮です。

筑後の老松神社の祭神は三階松紋の開化天皇ですが、福岡市あたりでは大幡主が祭神のようです。境内、社殿は三階松紋だらけ、拝殿には日輪紋、藤棚に蘇鉄とくれば、大幡主を想起します。私の町には天満宮がかなりあり、祭神は菅原道真公となっていますが、ほぼ大幡主が祭神です。つまり、大幡主の高良神社・印鑰神社がそのまま天満神社に名前換えです。

ここの老松宮も菅原公一座が主祭神となっていますが、大幡主が祭神でしょう。
五穀神の大幡主を中心に、宝満宮の大幡主と大日孁貴、老松神社の大幡主が席田(むしろだ)の平野(福岡空港)を見おろされています。


(追) 2018年1月に、この宝満宮と老松神社を訪問した時は、百嶋学と合わせ解析しても、手に負えず、今まで手付かずでした。今日に至って、ようやく解析する目が出来てきました。5年半前では真新しかった石造物も少し古くなりました。この丘立つ五穀神も当時では大幡主を祀るとは思いもよりませんでした。さらに、大宰府の宝満宮が大幡主と大日孁貴を祀るとは、また宝満山が大幡主の山とは、驚くことが多い今日この頃です。