ネットと我欲:自分に向かう-自分から離れる
これまでのブログのタイトルをみていると、私は非常に自己中心的な人間だと思う。
~と私
みたいなタイトルが特にそれで、誰も興味がないであろうにも関わらず、
私の話
を連発してる。
しかし、殆どの人の日記は私のものと同じで、やっぱり、
私はこうだ
私から見るとこんな感じ
私だったらこうしない!
といった、自己主張の海になっている。
インターネットの普及で誰でも自分の意見を言える時代だから、普段はあまり出すことのできない『我』をどうしても出したくなる。
これは人間の自然な欲求であって、もはや留めることはできないんだろう。
しかし、その欲求はなかなか満たされない。
結局、この場所は身体的につながっているわけじゃないからだろう。
情報化社会の中で我々は膨大な情報を毎分毎秒処理しているようにみえても、所詮は脳のごく一部を使っているにしかすぎない。
実際には目の前の一人との身体的なコミュニケーションの方が数倍の影響を我々には及ぼしている。
ブログ投稿の後に感じる、少しだけの虚無感はそんなところに起因しているのかもしれない。
だから私は日常のつながりの中にこそ、新しい何かを見つけたいと思う。
iPhoneからの投稿
~と私
みたいなタイトルが特にそれで、誰も興味がないであろうにも関わらず、
私の話
を連発してる。
しかし、殆どの人の日記は私のものと同じで、やっぱり、
私はこうだ
私から見るとこんな感じ
私だったらこうしない!
といった、自己主張の海になっている。
インターネットの普及で誰でも自分の意見を言える時代だから、普段はあまり出すことのできない『我』をどうしても出したくなる。
これは人間の自然な欲求であって、もはや留めることはできないんだろう。
しかし、その欲求はなかなか満たされない。
結局、この場所は身体的につながっているわけじゃないからだろう。
情報化社会の中で我々は膨大な情報を毎分毎秒処理しているようにみえても、所詮は脳のごく一部を使っているにしかすぎない。
実際には目の前の一人との身体的なコミュニケーションの方が数倍の影響を我々には及ぼしている。
ブログ投稿の後に感じる、少しだけの虚無感はそんなところに起因しているのかもしれない。
だから私は日常のつながりの中にこそ、新しい何かを見つけたいと思う。
iPhoneからの投稿