振り返ってみて⑦ | ケン・バタイのブログ

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ジャンルにこだわらず色々書いてます。

蒸ひよさんについて、蒸しひよさんは、自分が午前中に、成都2の金属武器の生産近くにいる銭荘近くをうろついてたところを、いきなり対話しましたね。

あの時は、恥ずかしいって気持ちは、あまりなくて対話しました。

そして、自分の場合、是非うちにっていう人しか、いきなり勧誘かけないのですが、話してみて、勧誘しました。これははっきり覚えてます。

当時は生産メインだったんですけどね、いつの間にやら、戦闘レベルも抜かれてました。

影虎さんは、破鳳が解散前にうちに戻ってきました。本人には何故戻ったのか聞かなかったんですが、後から、部の人に聞いたところ、うちと破鳳の部戦やって、やっぱりうちのほうがいい、みたいになったとのことでした。

まず合戦の事、黄河蜀の最初の頃は、だいたい、合戦の1時間前に部曲管理
官がいる上の辺りで集まり、全体で会議をしてました。

しかし、陣ごとに分かれて話すほうがいい、ということになって、陣ごとに連合を組んで話してました。

最初は、全体指揮官はいなくて、戦線で指揮するって感じだったと、思いますが、時がたって、覇天光さん、焔さんが、全体指揮をする感じになってたかな。

関羽閣下の陣では、焔さんが指揮する感じになってましたね。

藍翔さんには、ずっと関羽閣下の陣で採集してもらってたと思います。

黄河蜀の場合は、人数もあって、投石とかを有効に使わないから、採集は軽視される傾向にありました。結局これは、終了までかわらなかったかな。

みちさんが一時期頑張ってくれてたんですけどね。

ちょっと話がそれましたが、合戦の話しに戻します。

これは前にも書きましたが、黄河蜀の同時陣の場合、1陣が一番人数が集まる傾向がありました。武将だと、趙雲、諸葛亮、関羽閣下の順に人気があり、人が集まる傾向がありました。

人気がない武将は、張飛が一番で、その次ぎが黄忠、馬超って感じでしたね。劉備は普通ぐらいかな。

陣は3陣が少なくなる傾向がありました。が、陣より、武将が誰であるかのほうが大きかった気がします。

なので、3陣張飛っていう場合は、かなり人数が少なくなることが予想されました。

うちの部の場合は、関羽閣下の陣を優先で行ってましたが、通常は、人数が少なくなりそうな、陣を優先して行ってました。

桃花島&叢雲連合は、いつも人数が少ない陣を優先で行ってたと思いますが、桃花島の部曲が、黄忠配下の部曲だったので、黄忠陣を優先してたこともありました。これは覇天光さんから直接聞きました。

こういう経緯から、自分は、よく覇天光さんと連合組んで、話してたかな。

魏の場合は、陣とか武将はほとんど関係ない感じでしたね。曹操陣だと、普段よりちょっと多いって感じだったかな。

呉の場合は、孫尚香の陣が一番人数多くて、その次ぎが周瑜陣でしたね。

しかも周瑜陣は強かったですからね。

うちの部の場合は、2008年の4月までは、連合組んでも、徒党単位で動いてました。が、影さんが、これじゃあ、勝てないってことで、5月の連休あたりから

連合で動くことにしました。

そうして、1連合だと、火力の問題もあり、砂漠の鷹の部曲と組んで、2連合で動くようになってましたね。