振り返ってみて① | ケン・バタイのブログ

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自分が三オンをやるきっかけになったのは、当時、別ゲームで同じチーム員だった人の一言から始まります。

「ケンさん、三國志好きでしたよね、コーエーのオンラインゲームに応募してみては?」と、はっきりは覚えてませんが、こんな言葉だったと思います。

確か、それが2006年の12月中頃でした。そこで、コーエーが本格的な三國志のオンラインゲームをやるんだと初めて知りました。その時はHP見ただけだったんですけどね。

そして、年が明け、2007年1月4日、そういえば、三オンのCβに応募してなかったなと思い出し、その日のうちに応募、確か1万人募集だったと思います。これが3千人ぐらいだったら応募してなかったなぁ。

で、2007年1月16日 17:27に当選メールが来ました。

2007年01月24 日 (水) の15時から開始、そこで水鏡村のあの場所に出現。始めは、どうするか全くわからなかったので、数十人が同じとこで重なって、周辺茶で話してたかな。

地面をクリックしたら動けたので、自分は周辺茶でそう言ったのを覚えています。その後は皆さん、一言も話さずにもくもくとやってましたね。見ていてちょっと不気味だったな、と記憶しています。

その後、荊州北から長安に行くことになり、長安の東門に着きました。で、一番最初にしたことは、蜀に仕官だったと思います。

蜀のNPCがいる場所は、当時、長安の東門をくぐったとこにありました。正式サービスの時は、長安の西門のとこに蜀のNPCがありました。

自分の職種は盾でした。理由は単純にソロでやりやすそうだったから。

で、合戦は、500VS500でやれてたんですけど、かなり重い、当時はライン戦だったから、両軍が密集した場合、カクカクで、どうにもならない状態でした。なのでやむを得ず採集することにしました。

だから、1次Cβの時は、あまり戦ったという記憶はなかったですね。ただ、1度、前線で練気の矢をうって、前に出てすぐ下がると、釣られて、敵が出てくることがあったので、それが面白いな、と、思ったことはありました。

石林は、実装されてましたが、益州の実装はまだだったので、長安の西門を出たあたりに、石林に直接いけるNPCが存在してました。

そうして最終日、石林に行って、止まったら、最後のとこまでいけないというマラソン状態に。自分はなんとか最後の場所までいけました。

やってる時はどういう順番で出てたか、わかりませんでしたが、まず、牛魔王出現で、倒したら、次に大牛魔王→超牛魔王→超超牛魔王→究極牛魔王と、いう順番で出てきてたそうです。その次ぎも用意してたようですけど、戦ってる時にあまりの人の多さで1回、鯖落ちしたので、時間が足りなかったようです。

第一次クローズドβテストは2007年01月24 日 (水) ~ 2007 年2 月6 日 (火)で、毎日15時から24時まで行われてました。

結局自分はソロで終えたのですけどクエで知り合った友人はできました。

その後、2007年2月12日に蜀漢援護隊のHP立ち上げ、実質これがうちの部曲結成した日と言えます。