
月がかわったことだし、覚えてるうちに昔のことを書いてみようかな、と。
まず、1次Cβ時(2007年2月の初め頃)、この時は、ラグがすごくて前線にいるとカクカク状態で、全く役に立てなかったので、後方で採集してました。
2次cβ時(2007年8月初め頃)、この時は、蜀漢援護隊を作り、少数ながら、合戦に参加してました。連合は、黄忠部曲の結構大きなとこに参加してました。ラグのことですが、キャラクター総量表示を10にしたら、問題は解決しましたね。
プレ1次(2007年10月初め頃)、この時は、新たに今の部曲を作りなおすことになり20人くらいの中規模の部曲になってたと思います。
実はこのとき、他の部曲にくらべて、人が集まらなかったので、一時、青龍偃月刀の部曲と合併も考えてましたが、光さん加入によって、やる気が出て、20人くらいまでなんとか増やせました。ちょっと合戦の話しからそれてしまいましたが、話しを戻しますね。
この時期うちは3徒党ぐらいの連合だったと思います。盟主は自分だったと思いますが、ほかの党首は綾鷲さん、光さんでしたね。で、合戦は、党首メインで動いたと思います。
この時に一番印象に残ってるのは、祝福をかけて、敵投石車に突っ込んで破壊ですね。かなり速度が早くなるので、違う方向にいっちゃう人もいたかなぁ。
とにかく徒党で突っ込むと、敵もビックリしたらしく、反応が遅れ、敵がこっちに気付いて攻撃してくる頃には、かなり投石車の耐久度は減ってて、こちらの徒党が全滅する頃には、ギリギリ破壊できるって感じでした。
プレ2次~2008年5月初め頃、この頃は、うちの部曲だけで、連合くんでました。この頃の蜀は方面軍指揮?だったと思います。北なら誰々、南なら誰々と会議で決めてやってたと思います。自分はというと、戦場に入ってみて、戦線が2つの場合はどっちかに偏りができないように、片方が極端に少なければ、こっちが少ないから、どこかの部曲、援軍求むとか言ってたかな。
陣に関して言うと、3陣張飛陣&黄忠陣のときは、特に注意して、その陣に行くようにしてました。ただ、関羽陣があった場合はそちらを優先してましたね。時間差になった今では、もう関係ないことですけど。
合戦は、まだライン戦で盟主は影さんだったと思いますが、確か、徒党単位で動いてたと思います。自分は戦術で、よく付与剥奪をうってたかな、ただ、ギリギリでうつから、付与撃ったら、すぐ逃げてと党員の人には言ってました。
そして、徒党単位で動くのは限界ということで、影さんが盟主で連合単位で動くことになりました。
画像は、うちの部曲が連合で動くことにした初陣(2008年5月10日の3陣)での結果です。