まずボクの家族を紹介する。お母さんは日本人。お父さんはタイ人。ボクはそんな二人の間に生まれた第1子 長男というわけだ。お母さんは ボクが初めての子であり、海外での妊娠ということもあって かなり緊張していたみたいだけど ボクはあまり困らせないようにしてきたつもりだ。ボクの担当医だった DR.Sはバンコク内の国立病院に勤務傍ら 自分のクリニックももっていた。お母さんたちは ボクがお腹にいたとき クリニックにかかっていた。タイでは 担当医を決めたら 最後までその先生にお任せだ。どんなことがあっても取り上げてもらえる安心感がある。ボクの先生も もう何人もの赤ちゃんを取り上げたプロ。ボクはお腹にいたときから 安心して羊水の中に浮いていた。

 2005年の6月11日は土曜日だった。ボクはもうすぐお母さんとお父さんに会えるんだと はりきっていた。ボクの家は何と R病院から50キロも離れていたから 車で生まれちゃったらどうしようとか 色々心配があった。6月はタイの雨季で 雨が降ったら 必ず洪水 そして渋滞。そんなことを予測してか 先生も「明日 生まれるから 朝からR病院に待機してたらいいよ。」と言った。たった1度の内診で生まれる日がわかってしまうなんて すごい先生だ。ボクも先生がそういうなら 明日出てこようとさえ思った。ボクは12日朝からR病院に入った。お母さんは日本の本なんかたくさん読んでいて 陣痛逃しの方法や 呼吸法なんかを勉強していたと思う。生まれるまで お父さんも一緒なんだと思っていた。けど R病院へ行ってみると 即 ボクとお母さんだけが入れる部屋に入れられた。お父さんは入れない?と お母さんもあわてていた。だって 陣痛のときは お父さんにマッサージをしてもらうつもりだったみたいだから。ボクたちが入った部屋は 妊婦さんばかりがいる大きな部屋だった。そこにはボクのように もうすぐ生まれそうな赤ちゃんとお母さんが ベットに寝ていた。ボクと同じ誕生日なんだと不思議な気持ちになった。ボクたちは 朝7時くらいにR病院についてしまった。まだ先生すら着ていなかった。その時間にその部屋には妊婦さんが5人。でも みんな陣痛がきていたから 次々生まれて入れかわりが激しくて 一体何人生まれたのかわからない。ボクのお母さんは 陣痛が来ていないのに ベットに横になって 点滴をうたれていた。ボクの心音を聞いたり、隣の人とおしゃべりしたり。でもその内その人たちも消えていってしまった。ボクはいつ出てきたらいいのかかなり迷っていた。そんな時先生が現れた。おっ!そろそろOKかな。お母さんはお腹が痛くなってきた。日本の本には あぐらをかいて 陣痛逃しなんて書いてあるからお母さんもやおら ベットに腰かけて、なんてしてたら 看護婦さんに怒られていた。危ない!って。この病院ではそういう方針だったらしい。お母さんはしぶしぶ何回か寝返りを繰り返していたのを覚えている。心音チェックや 脈拍を測りにやってくる看護婦さんや 医学生や先生との会話はタイ語オンリー。お父さんは日本語ができるからお母さんはあまりタイ語を使わない生活をしていただけに いきなりのタイ語の世界。しかも お父さんは外で待つ。聞きたいことが山ほどあるのにとぼやくお母さん。けど皆親切だった。先生は英語で、他のスタッフもゆっくりタイ語を話してくれたり、日本語で これこれは 何というのかと聞いていた人もいた。お母さんは 陣痛がマックスで大変な時でも 陣痛は日本語でなんと言うのか、とタイ語で聞かれていたり。でもこの質問攻めは 最後まで続くのだ。ボクはお母さんの陣痛が来てから8時間半後くらいに誕生した。誕生の様子はもっと詳しく書こうと思う。