続きです。


長いですが、同じフォンタン手術を受けている方は最後の方は特に読んでいただきたいですガーン

大学生になり、初めて電車で通学する事になりました。

自分の家からは遠くかなり時間がかかりましたが、一人暮らしはしないと決めてました。
私が大学の時には姉が結婚していて、兄は働いていたので家には私と親父だけニコニコ

私が一人暮らしすると本当に親父だけになり少しは心配してました。

親父は物凄いしっかり者で、一人暮らしでも全然問題無かったとは思いますが、なんとなく一人にはしたくない気持ちがありましたお茶

1年生は学校が始まる前から高校終わった瞬間から車校とアルバイト。

私は結構金にうるさいまさに経済学の人で、
大学の近くでアルバイトを探すより家から近いところ。

大学の近くで時給1000で、地元で時給800円だとしたら、通勤時間合わせれば絶対地元の800円を選ぶ人でした。

大学なら少しは遊べる?かと思ってましたが、まぁそんなことはなく、
1年生は毎日1〜4限あり、高校生よりも勉強しましたねコーヒー遊べる大学とは?って感じでした。

1年生は基礎ですが数学3Cの知識も普通にいりますし、ミクロマクロ経済学などきつかったですね。

情報統計学が授業で1番得意で好きでしたりんご

部活をやり、アルバイトをやり、大変な時でした。
1年生は長い休みでアルバイトしまくりお金稼ぐの頑張りましたお年玉

仲のいい友達も増え、麻雀をしまくり徹夜もしまくりました笑

2年生、3年生となり、
3年生の時部活中に突然物凄い目眩がきて立てず倒れてしまいますハートブレイク

その時隣の病院🏥私の主治医に速攻見ていただきましたが、症状はすぐ良くなり退院。

後日ちゃんと見ましょうということでこの場は終わりました。

結局しっかり見てもあまり、原因はわからずじまいでした。

3年生で、情報統計学が好きだった私はゼミもそこに決めました。

経済学には珍しく経済のデータとプログラムを行うゼミでプログラムと出会いました。

ゼミをしっかり頑張り、卒論にはプログラムを駆使して簡単なゲームでしたがそれを作成し卒論は終わり卒業しましたOK


私が卒業した時はリーマンショックでかなり就職活動も苦戦していた人が多くいました。


私は世間知らずでもあり、会社も7社くらい見て5社銀行、2社IT企業。

その中のIT企業と気が合いそこに就職しましたグッ
今の職場です!

就職して、1年目まずは健康診断や年末調整などにいる個人情報にて事件が発生。

記載欄に心臓病、単心室、障害者手帳有りと記載して提出グッ

私は面接の時にも一応伝えたつもりでしたが、障害者手帳持ちにはビックリされていたようでしたびっくり
※こっちがビックリしたっての。


1〜5年目までは普通に働きました。
私の会社は当時時間管理ダメダメで、残業無限で終電で帰る時もザラにありました。


体調はほとんど悪くならず、仕事をしっかりして結構頼りにされる人にもなり、順風満帆でしたが、、、

鬼門の6年目が始まります。
4月中旬から東京へ半年間の出張びっくり
その時結婚してましたので、単身赴任が決まりますえー

新しいプロジェクトのSEです。
また、プログラムも得意な珍しい人間だったのでそっちとしても新しいプロジェクトのプログラムを習う意味でも出張しました生ビール

この時は煙草こそはしないですが付き合いでの酒は飲む日々でした。


そしてその年の8月事件が起きます。

嫁との電話にて
私「最近体重が増えて、なんか心臓がいつもと違う感じがするんだよねアセアセ
お盆に帰ってその時でも体調変なら病院行こうかな。」

嫁「そうしなよ!なんかあっても大変やし。」
この時は私も嫁も軽く見てました。

8月お盆帰省しましたが、その時は体重こそは4〜5キロ太りましたが、体力がなくなったかな?
疲れやすいかな?くらいでした。ので病院には行きませんでした。


お盆が終わり、東京へ。
出張は9/30まで。

8月下旬、嫁に再度電話しました。
私「やっぱ東京戻ってから心臓変な感じがするわ。明日朝会社休んで病院行くねアセアセ

嫁「わかった。気をつけてね。」

次の日

寮の近くのクリニックへ。

状況を説明し、心音、レントゲン、心電図をとり、
医者がひとこと

医者「今すぐ大きい病院へ行ってください。紹介状書きます。」


ここから、私の長い長い今も続く心臓の闘病の第二幕の始まりですアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセアセ

大きい病院へ行きました。
私はその時まだ、そこまで大変と思っておらず、
電車プラスバスで行きました。タクシー乗ればよかった。。。

確か東京の国立循環器センター?ハートセンター?に行きました!

紹介状を見て、すぐ診察になりました。
待たなかったのでやばかったのでしょう。

診察にて、
おそらく心房粗動が出てます。
また、不正脈で、頻脈。
今のあなたの脈拍は90となってますが、おそらく心臓は180です。
2回に1回しか正常な脈がない状況だと思います。
と言われました。

治療法は一度心臓を止め正常な脈に戻れば大丈夫です。あなたの症歴わかりますか??

私は複雑ながらも、障害社手帳を見せて覚えている限りで答えましたが、まだ当時私は意識が低くしっかり伝えれなく医者も困ってましたタラータラータラー

なぜこの子はフォンタン手術してるんだ?

俺「親に聞いてない、知らねー、、、、」

医者「心臓止める際に、どうしても血栓があると脳に飛んで脳梗塞になる可能性がありますので、血栓がないことを確認して、心臓止めます。」

同意書持ってきました。
未成年ではないのでその場でサイン。

職場と親、嫁に電話しました。
みんな私の冷静さにも驚いてましたが、結構ビックリびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりびっくりってかんじ。


①経食道心臓エコーにて血栓がないかを確認
②なければ心臓止め治療
 あれば、ワーファリン服用、血栓がなくなり次第心臓を、止める。

①の治療が始まりました。
子供の時から通じて初ですアセアセアセアセアセアセ

感想はめっちゃ苦しかったアセアセ
まぁ、苦しかった雷雷雷
始まる前に学生?みたいな若い人もたくさんきて治療室は6人の医者と看護師同名くらい。

説明しながらエコーみたり、所々で「ん?どうなってんだ?」とか言いながらやってましたムカムカムカムカムカムカ

最終的に血栓はなく、
鎮静剤→心臓電気ショックで止めました。

目が覚めた感想。
「身体がめちゃ軽い!治った!」でしたアセアセ

1日は必ず入院だそうで入院して退院。

退院して次の日には会社に復帰!
大丈夫か?とか色々言われましたが治ったと勘違いしてた私は大丈夫です!と答えました。

会社としては、残業もっと抑えていこう。くらいでした。

東京出張も終わり、家に戻り主治医にも連絡しました。

会社も最初こそは慎重に扱ってましたが、私自身が元気に見えていたのもあり、徐々に仕事も戻りかけてましたアセアセ

その年の冬。忘れもしない1月。

嫁は二人目の出産したばかりで実家に子供と帰省中。
生まれて10日目くらい。

仕事から帰るとき、
「少しだけ飲んで帰ろうか?」
から、21時から居酒屋に行きました。

22時。まだ少し飲んだくらいで、体に異変が突然発生!!!!!!!!

私「なんか体調悪いくなってきたんで、ちょっと先帰りますねアセアセ

苦しい身体をひきずり、家に着いたのは23時。
お風呂に入り、嫁に電話📞

夜遅くすまん、なんか体調がわるくて。寝たら治るかもしれんけど、心配やから電話した。

明日朝連絡なかったら俺に電話できる?
そのように話した気がしますうずまき

気合いで寝て、次の日。
ぐっすりは寝れず、朝5時。

外は雪が降り積もってました。

ただ、耐えれず嫁にメールを残し救急車を呼び、近くの病院へ。

この時の脈拍は60だったり120だったり、うまく脈が取れてない感じでしたくるくる

近くの病院へ行きましたが、その時出勤したばっかりの循環器の医師が
「これはまずい、この病院じゃ治療出来ない。
主治医にみてもらわないとわからない。」
と言ったのは聞こえ、苦しい中病院名と主治医の名前を告げ、救急車で大学病院へ。

雪が積もり高速道路が通行止めで下道1時間ずっとサイレン鳴らしながら搬送してくださいましたアセアセアセアセアセアセ

病院についてひとこと。

先生「心房粗動だね。
脈拍は本当は240。これはまずい。すぐ心臓止めるね」

今回はワーファリン服用中だった為、経食道心臓エコーはなく、心臓止めてなおりました。

良くなったので、退院かと思いましたが、目覚めた私に医者からの一言。
先生「心房粗動は治ったよ。
でもフォンタン手術(APC)は当時は最先端だったけど、今の子供にはフォンタン手術(TCPC)を行なっている。」

なぜなら、
「フォンタン手術(APC)には、手術後成人し30歳になった方から不正脈、心房粗動が多く発生することがわかった」

「これを解決するには
①手術を、やり直す。フォンタン手術(TCPC)コンバージョン
②カテーテルアブレーションで、不正脈箇所を焼く」
この二つの方法しか直せない。


①は開胸手術
②はカテーテル手術

今回の、入院で②の治療をしたいと思っている。
どうだろう?

私「どうだろうも何も、、、
やるしかないじゃないですか。。」

この、入院でカテーテルアブレーションをすることが決まりました。

執刀医は大学病院で1番上手なベテラン医師👨‍⚕️

心配はしてませんでした。
カテーテルアブレーションをしたら2週間くらいは入院が必要とのこと。

それは家族、職場に説明し許可。1週間後施術が決まりましたタラー

〜カテーテルアブレーション当日〜

朝10時に鎮静剤、夕方に目が覚め意識が戻りました。
足と左手からカテーテルを行ったからか、固定されて目が覚めうつろな状態で嫁と私がいる病室での一言。

カテーテルアブレーションは不成功でしたタラー

手術の影響で、右心房にどうしても辿り着けませんでしたタラータラータラー

私「!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?!?


続きは次回。

私の体調は、ジェットコースターのようにくだり始めますえーんえーんえーんえーんえーん