ブログ書くと時間がすぐ進むから助かります。
針刺して地味に痛くて動けないハイゼントラ中に良く書きます。
今も絶賛ハイゼントラ中
続きです。
小学生を普通な人として卒業しました。
昔から心臓が悪い私にとって普通とはすごくて、心臓病も隠さず来てたので、そう見えないとか言われて嬉しかったです
(逆に障害持ちに見えないから、体育とか休まないといけないと、???って人もいて大変ではあった)
修学旅行も普通に行き卒業、地元の中学に進学しました
中学生になっても普通に過ごせるかな?って思ってましたが、やっぱり色々あり
1年生では各先生に毎回説明して、すぐ信じない変な先生もいた👨🏫
それで不都合が発生する場合は親父を召喚
ここは我慢せず親父から説明してもらうとかでうまく出来たと思う
親父ありがとう!!
中学生になったら増えること。
そう。
部活です
野球部やりたかったー!兄貴もエースで4番だったし
とまぁ、そこは置いといて見学したのは複数ありましたが。
最終的に卓球部に入りました
入った後に通院で先生に言ったら、
決して無理しちゃだめだよ?大人だから先生から絶対ダメとは言わないから。
と言われました。
1年生は筋トレ、ランニング、球拾い
※ランニングは事情説明してやらなかった。
そのかわり筋トレしてました。
やっぱりみんなと同じように出来なくて、
サボりがちになりました。
親は
「運動しないと死ぬわけじゃないからいいよ。
無理せずやりな。」
というスタンス。
学校→ゲーム(サボり仲間とも)
の繰り返しでした。
私は親に迷惑をかけてたとずっと思っていて、父親はすごく尊敬していました
父親は絶対味方をしてくれ、学校にも説明をしっかりする。運動禁止のわたしを信頼してくれている感じが伝わってました
母は私を常に思い、こんな体に産んでごめん。
という感じが伝わってました。
私はそこは絶対に親も悪くなく運だと思ってます。
よくこういうことを言います。
「心臓病は好きでなったわけではなく、親も好きで俺を心臓病にしたわけじゃない
産まれたときはくじ引きで小吉くらいで産まれてきて、これからのくじ引きを大吉になるように頑張る
凶とか大凶もあるけど、俺より悪い人はいるし、健康でもめっちゃブサイクな人もいる。それと一緒」
そんな私は中学生でも反抗期がありませんでした。
2年生まではそんな生活をして、
全校生徒360人で順位200位も行かなかったくらいの学力
公文式をやっていた英語は5で、
あとは5教科は3、家庭科は5
体育は美術は2、音楽は4って感じでした。
将来運動ができない私はずっと心の中で、これでいいのか?
って思ってましたが、どうすればいいかわからず。
ただこの時に転機があります
1年生の春休み。
母「プレステ2ってのが発売されたよね?
あんたはいらないの?」
私「めっちゃ欲しいけどすごく高いから、頼んだら家計とか迷惑かなって思ってる。」
母「あんたはそんなこと考えんでいいわ!笑
ただ買うだけは出来ないから、なんか頑張る?テストとか資格とか。そういう目標クリアしたら買ってあげるよ?」
私「でも、何がいいかってのがわからん。。」
母「あんたの成績心配やし、勉強頑張りなよ。
そうやね、テスト5教科で450点とったら、絶対買ってあげるよ。」
私「450点て笑、今300点くらいしかないで?笑」
というたわいのない会話
でも本当にプレステ2が欲しかった私は本気にし、
私「おとん、2年生から塾行きたい!」
父「受験でも無いのに早くないか?」
私「母と約束して頑張りたい!」
2年生から兄貴が受験をする為に入った地元の塾に入りました
親二人は高卒で決して賢くは無く、自分で試行錯誤するしかありません。
塾の先生に聞いたり、自分でやったり。
2年生の初めのテストで441点取りました
学年順位も16位
理科100点、数学98点
私は理系のようでした笑
父親、母親はめっちゃびっくりし
親「どうしたの!この点数?凄いな!」
私「でも450点いかなかった。プレステ2欲しかったのに」
母「あんたが頑張ったのはわかったよ!これからも頑張るなら、買ってあげるよ。」
私には神に見えましたね笑
こうして1学期から勉強頑張り、卓球部に同じ塾の子がいてそこから部活も復帰しがんばるようになりました
こうして1学期は5教科オール4、2学期はオール5になりました
2学期に自然教室で母親からの手紙に感動。
※後ほど書きます。
3学期、私は変わらずでしたが母親の体調が悪くなり、
入院
父親から後ほど聞きましたが、
医者「末期の胃がん、スキルス胃がんなんで、手術も出来ないです。」
と聞いたそう。
母親はここからずっと入院、父親は付き添い
3学期から姉がたまに弁当を作ってくれましたが、ひまではなく、私が自分の弁当を作る事に🍙
家庭科は得意でしたが母親がいない暮らしは、苦労しました
中学生3年生も私は変わらず、成績もキープ。
自分で、弁当🍙作れないときは父に500円もらい購買へ。
中学生3年生の嫌いな体育祭。
昼過ぎ途中で親戚のおばちゃんがきて、
「お母さんが亡くなった。
今から病院行こう🏥」
私はパニック、体育祭で全員で写真を撮るのだけの時間を我慢し、おばさんの車へ。
自分以外の身近な人の死を初めて考えた瞬間でした
卒業時、学校で10位以内でしたが、
2年の2学期にもらった母親のてがみに
「心臓悪く産んでごめんね。
最近勉強頑張ってるけど体には気をつけて、
△△高校くらい行けたら嬉しい。身体に気をつけて頑張ろう」
という今でも泣けるてがみに書いてある高校。
3者面談
進学校は〇〇高校。でも△△高校に行くと教師に相談。
先「なんで!君なら余裕なのにランクを落とす意味がわからない!」
私「母親の遺言で言われたんです。僕はここに行きます。」
→5教科オール5の私がこの高校に行く事で、学校の進学とかそういうのに影響。
そんなの知るか!
塾の先生も同じリアクションでしたが、
△△高校へ。
家からも近く、弁当作りながら通うことも問題なく、波乱の中学生時代が終わります。
母親は今はもうなくなって15年以上過ぎてます。
めちゃくちゃ感謝してます。
私も元気で頑張ってるよー。と今も実家に帰るといつも仏壇に手を合わせてます。
次は高校生、私が料理に目覚め大学受験へ挑む姿があります。