昔話①の続きです。
NICUを出て、小学生?の話を書こうと思いましたが、案外描き始めたら長く、NICUを出るのがやっとでしたガーンガーンガーン


〜7歳フォンタン手術後〜
手術後、NICUでの出来事ショボーン

身動きは取れない、首、左手に点滴、胸に心電図。
足に血圧計、サチュレーション測定器。

ちなみに目が覚めるまで全身麻酔がかかっている状態ですが、不思議な記憶はあり。
(大人で29歳で再手術した時も同じ感覚がありました。)
長い間この夢を見た記憶があります。

夢か全身麻酔での混同した記憶です。
親にもこの話はしたことあります。
本当ではないと思いますが、大人で手術した時も同じ夢でびっくりしました。
下矢印

目が覚める。

無言で背の高い医者(無表情の人)に何かを話される。話はよくわからない。
ただ、「はい。」と答えると注射をされまた眠る🙀
これがほんとに怖い。

同じ

同じ
だんだん無言の背の高い医者が怖くなる感覚
背が高くなってる??

はいと答えたら殺される??と思い、
「いいえ」
と答える。
無表情の背の高い医者が怖い顔をして注射をされる🙀
めちゃくちゃ痛い!
というよくわからない無限地獄?かと思う記憶あり。

複数回あと、
無表情の背の高い医者が何かを言っているガーン
「はい」と答える。
笑顔になり、声が聞こえて親の顔に見える。
注射がなく、眠たくなる。

というループに入りました。
この夢がとてつも長く感じましたえーん

そして、親が変な青い帽子と服を着て泣いている夢を見て目が覚めました。

目が覚めてから、人工呼吸器はなかったので話すことができました。


はっきり目が覚めるまではなんか意味わからないことを言っていたそうですえー



目が覚めて1日目
はっきりしてきて、
私「喉が渇いた。飲み物欲しい。」
と看護師に言いました。

看「飲み物は飲めないうがいならいいよ。」

私はうがいをしました。



少しして、
私「喉が渇いた。飲み物欲しい。」
ここからは水分制限地獄が始まりますガーンガーンガーンガーンガーン

看「飲み物ダメなの」
「ガーゼを冷やしてあるから、それを口に入れて我慢しよう。」
丸いガーゼのようなものを口にいれ、
口の中で必死に絞りました。

このやりとりがずっと続きました。

看「歯磨きしてもいいよ?」
私は歯磨きをすることにしました。
唯一動く右手で、歯磨き。
ここで

ピポン!ピポン!ピポン!

みなさんがよく聞く脈の乱れです。
脈拍200超え。

先生がたくさん寄ってきて、何か機械をいじります。

先「脈拍が乱れてる。何してた?」
看「歯磨きしてました。」
先「ペースメーカー!」

フォンタン手術をした後、外からいじれるペースメーカーもついてました。
手術のあとに点が2つあります笑


そこから、何かをいじり脈拍は戻り歯磨きは終了。


目が覚めてから、両親はいなくずっとさみしい感じでした。
後で聞いた話だと、面会は昼間1時間しかだめだったようです。

くしゅん!

クシャミと共に激痛が胸に広がる!!!
痛すぎて泣けてきたえーんえーんえーんえーん

泣いてしまい、嗚咽が出てきて、、、、

激痛が再び胸に!!

知らない人が見たら何してるんだ?となる感じだと思いますが、開胸手術で骨も切開。


手術後にはホッチキス?で止めた後で血だらけ。
少しの振動がこんなに痛いとはえーんえーんえーん


しばらくして、
看「今日目が覚めたばっかりだし、夜にもなってきたから寝ようか?」


私「え?夜?今いつですか?」
看「20時過ぎた頃だよ!」
私「今何月何日ですか?」
看「7/23ですよ!」

手術して5日過ぎていました。
目が覚めたのは7/23お昼らしい。

20時ということは長くても8時間しか経っていない。
この間にどれほど飲み物が欲しく、背中が痛く、足のかかとが痛かったかゲッソリ


また、身体を少しでも動かそうとしたら胸に激痛。
脈拍の乱れ。泣いても痛い。

子供ながらにこの時は人生で1番痛いと思ってました、
(入院中、今ままでで1番痛い事があるのはまだ知らない。)

知ってる方は知ってるかもしれませんが、
ICUは常に機械の音、朝か夜かもわからないくらい明るく、夜になって自分の部屋?みたいな箇所だけ電気が消えます。
周りはめちゃくちゃ明るいゲロー

ここから寝られない日々が始まります滝汗

生きているのか死んでるのか、手術をしたことを後悔し始めましたチーンチーンチーンチーンチーン




目が覚めて2日目
基本的に目が覚めて1日目と変わらず、
早く時間が過ぎろー!
喉が渇いたー!
かかとが痛いー!
いやらしい意味じゃなく、
ちんちんの管が痛いー!気持ち悪いー!
不思議とお腹は空かなかった。

親が来ました。
私としてのはっきりとした記憶では手術後初。

父「大丈夫か?」
母「頑張ったね!」母は目が泣いてました。
私「…」泣いて言葉が出ず。

ここでも泣いたことによって胸に激痛滝汗滝汗滝汗

喋ることも出来ずこの日は親と別れました。
(今でもここ思い出すと泣けてきますえーんえーんえーん

先生が来て親に話をしている声が聞こえる。
私の視界にはいないが隣??

先「1週間で、一般病棟に上がれると思います」

私「これが1週間!?」
私の中での長い日が始まりました。


ただ1週間頑張るしかない。
私の中でそう覚悟を決めた日でもあります。


実際にICUをでたのは6日後、
予定より1日早い夕方でした。
看「一日早いけど、病棟に行こうか!」

何故か凄い嬉しい爆笑爆笑爆笑爆笑爆笑


親はいなかったですが、ナースステーションの前の個室へ。


夜親が来て久しぶりに母親が同じ個室に泊まって行きました。


後から聞いた話だと、1日早かったのはICUがいっぱいでベットを開けたかったのが理由みたいです笑びっくり

ようやく一般病棟へ、、、、
まだ管は一つも減っておらず長い戦いの幕開け。
ちなみに私の小学生の記憶はほとんど手術の記憶です。笑

続きはまた次回。水分制限との戦いです。赤ワイン