段々成長していくと、周囲の友人はピアノも上達して、難しい曲にチャレンジしていく。
しかし私はまだバイエル。
それも手の甲ににお手玉を載せられ、お手玉が甲から落ちると「パチン」手を叩かれる。アンタなんか教えたくない。先生が無言で私に言っている・・・
それでも泣かなかった。もちろん家族にも言えなかった。
小さな町には噂は直ぐに広まる。
あの時私が学校やピアノを拒否していたら、どうなっていただろう。でもそんな勇気はなかった。
父母は町では有名人、当時母親が職業を持っていること自体が珍しい時代。
姉は成績優秀、芸術面にも優れて絵画・ピアノ・書道…と。小6で裏千家の師範の免許も持っていた。
心無い担任の先生は、姉に比べお前は…とため息交じりの意地悪な笑みを私に見せた。
記憶力のいい私はあのピアノの先生と担任の顔を今でもはっきり覚えている。
友人の中には私を好いてくれる人もいた。面白い事を見つけると独特の声でゲラゲラ笑ってしまう。
それにつられて笑ってっくれる友人が数人おり、私はその瞬間が幸せだった。
喜怒哀楽の激しい私は、自分を主張する事も忘れなかった。
学級会議では納得のいかない意見には反論し、議論の仕方も上手かった。
読書感想文、弁論大会…高学年になると代表に選ばれるほどになっていた。私の家にはとにかく本がたくさんあった、
鍵っ子の私の友達は「本」だったのかもしれない。「ああ無情」「悲劇の王妃 マリーアントワネット」は今でも忘れられない。
このようにいじめられっ子といえばそうとも言えるが、タダでは転ばない執念深さも持ち合わせている子供だったのだ。
自分は何者か時々わからなくなる。でも胸に秘める気の強さは、明らかに母譲りだ。
数年前の実家の玄関