子どものころ、私はとても恵まれた生活をしていた。
それは、父が長年お茶の仕事をしていたからだと思う。
私たちの家は福建の寧徳にあった。
空気が澄み、山々に囲まれた町だった。
春になると、雨に打たれた茶葉の上に露が残り、朝の光を受けてきらきらと輝いていた。
茶畑の間を歩くと、今でもはっきりと思い出せる、あの清々しい香りがあった。
父は自分の生まれ育った村にあった古い工場を片付け、
伝統的な製茶道具を一つずつ揃えた。
夕方になると、工場には黄色い灯りがともり、
その光は窓から外へ漏れ、土の道を行き交う人の足元を照らしていた。
私はちょうど小学校に上がったばかりで、
工場の窓台はとても高く感じられた。
背伸びをしなければ、父の姿は見えなかった。
扇風機のない工場で、父は黙々と茶を揉み、干していた。
聞こえてくるのは、道具の音と、茶葉のこすれる音だけ。
汗で父の背中のシャツは濡れていた。

母は瓢に冷たい水を入れ、父のもとへ運んでいた。
昏い灯りの下、その光景は静かで、温かく、
今思えば、それが「幸せ」だったのだと思う。
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やがて私は山を出て、大学へ進んだ。
父の古い工場はそのまま残っていたが、
お茶の仕事は、いつの間にか止まっていた。
私も一度は、父と同じ道を歩もうと考えたことがある。
しかし、その道は次第に遠ざかっていった。
まるで、夕方の灯りに照らされた影が、
成長するにつれて、長く、長く伸びていくように。
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今でも実家に帰るたび、
私はその数十年使われた工場で、しばらく立ち尽くす。
錆びついた製茶道具。
静まり返った空間。
この百平方メートルほどの場所で、
父は夜を越え、日を越え、働いていたのだ。
時代は変わった。
今の製茶は、ほとんどが機械による流れ作業だ。
冷たい機械音が、正確に、効率よく茶を作る。
けれど、口に含むと心まで温かくなるような、
あの味は、少しずつ遠ざかっている気がする。
私たちは進歩し、走り続けている。
その一方で、確かに何かを失っている。
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薄暗い工場に腰を下ろし、
窓から差し込む灯りを見つめていると、
ふと、外に父の姿が見えた気がした。
何も言わず、
ただ、こちらを見ている父が。