いやいや、そもそも問題ない!

っつうのが、あちらさん。

まあ、イジメ問題と変わらん。

話にならん。

言葉や、認識のズレどころでない。


関わってない人たちにとっちゃ、「仲良くすりゃ、いいじゃん!」
になるのだろうが。


当事者は違う。
これは丁寧にやるしかないだろうと思う。


分かり合えない集団との話し合いなどそもそも不可能。
ましてや、憎悪と妬みの感情でしか見られてないのであれば、正常ルートでの解決はありえない。



互いの歴史認識を共有化してみることから始まるのではないかと思う。

もちろん、資料の応酬に終始するのではなく。客観性を優先して。

日韓歴史調査会なるものを作り、利権がらみを排除し、現状の教育環境を排除し、あたかも、タイムマシンを使ったかのように。
アメリカ、ドイツ、フランスからも参加、ちくいち、会議の様子を伝える。


出来上がった資料は、独自の共有化をはかる。中立的立場をまもりぬく
どの業界、集まりでも、相互理解のための努力はするばず。

あの人たちは、なぜしない。


必要ないから。
出来ないから。
神がかり的な度を超えた神秘主義だから。


話し合いでも答えは出てこないだろう。

今こそ信仰が試されるのか。

無理せず、のらりくらり行かないと、俺の言動、思考が過激になる。


人間関係の充満してるなか、自分らしく、やってくのはなんとつらいことか。
誰かのいいなりが心地いいなら、その場その場はらくちんだろう。

しかし、自分て生きる価値あったんだか…、ってなったとき、とてつもない虚しさが襲うだろう。
当たり前のはなし。


人は誰かのためになる、という点で、価値がある。

社会的な存在であるかぎり。

ひねた孤独感は、自分の存在価値を失わせる。


病気ならべつだ。

悪質な孤独感が、苦にならず、かえって心地いい!


精神的タチイチにより、人生観は大きくかわる。


家族、会社のなかま、趣味友、買い物時のやり取りにいたるまで、徹底的に拒絶されることは、まずない。
それを感じるようなら、病気と言わざるを得ない。



いろんな意味で気をつけよう

誰かを批判してもしょうがない。

自分がけがれるだけだ。


ネガティブコメントはしたくないが、吐き出さないと、ストレスたまる。

自分と話す、自分に話すなら、誰にも迷惑かかからない。

自分に向き合う。


カガミになる。自分自身が。



親友に、自分磨きを熱心にしているやつがいる。

本当に尊敬できる。

信念を持って生きてるような印象があるが、さらにバージョンアップして

いるみたいだ。


みならわねば。



「もうなんだか」


誰かを責めたりしたくはない。

しかし、ストレスを与えた相手に対し、ネガティブな感情を抱くな、というのは

誰にも言えない。


人の集まり。

色んな事がある。

奇麗事をいうひとたち。


クリスチャンでなくても、何かしらの集まりに行けば、共感、というものを感じるはず。


しかし、あの人、あの家族に対してはむりだな。

あからさまに、シカト。

あからさまに、排除。

されている。


愛だ救いだ、って言ってる人たちがだよ。

信仰によって、みな家族、って言ってる人がだよ。

はずかしくて、人なんか誘えないよ。



信仰には、行いが伴う。

伴わない人は信仰がない。


その通りだと思うが、そのまま、全てに当てはまるというかと言えば、むりだろ。

例外が無い。

彼らの信じてる、って言うのは、行動で判断することらしい。

行動が出来ない事もある。

しかし、出来てない人は、信仰がない。らしい。


一方、一族なら、例外がゆるされる。

多めにみられる。


なんだろな。


あつまり内に、わざわざ、グループを作ってるようだ。

しかも、血縁の。

さらに、嫌いなやつは、放置。無関心。

ひどいもんだよ。



正しいから、信じなさいという。

仏教は空想だらけだし、教祖は死んでそのまま。

イエスはよみがえり、聖書に証明の記録がある。

だから、信じろと。

キリスト教という宗教を信じるのでなく、聖書に書かれた事実を信じているのだと。



こういう話をきいて、信者以外の人が、だれが、関心を持ち、信じるだろうか。

「あんたの考えはまるっきりうそっぱちで、どうしようもない。なんで正しい聖書を信じない?いみわからん」

的な、いいぶん。

プレゼン的には無理だよな。


あるいて目的地に行こうとする人に、

あんたの行動は間違ってる、うそだ、電車に乗りなさい、歩きには、かならず、死が待ってるから。


なんていって、電車に乗るかね。


全否定されて、気分を害しない人はいない。

ましてや、初めて来て、話で、自分の人生をひていされたら、聞きたくないし、二度と来ない。



あんなこと言ったり、やったりしてるうちは、だめだろな。



ひさびさに、自分の取るべき方向性を見失いそうになった。


吐き出すと、なにか、プロジェクトの仕上げの様な感じになり、ある意味スッキリする。


そして、なんら、状況は変わらないのだが、また、再起動して、再出発出来そうな気がしてくる。



電話で話せば、相手に通じるように話す必要や努力がいるし、なにより、相手に失礼だ。

ブログは、その点、手軽に記録を残せる。


ミクシーは、つぶやきのきろくに。

アメーバは、ぐちや、その他の感情の墓場にしていこう。


やはり、iPod touch用の、キーボード買うかな。

更新が楽になる。



震災があったり、自殺が続いたり。

人生を考えさせられる出来事が続く。

おそらく、誰しも、明日がある、等しく日が昇る、と信じていた人たち。

しかし、もう、この世にはいない。


生きたあかし、すら、時間が経てば、あやうい。

よしんば言い伝えられたとしても、その時代に、その各時代の文化に、都合よく加工されるに決まってる。

けっきょく、自分を評価し、自分を認めて上げるのは、自分しかいない。

そして、その自分の命を保っているのは神という全能者、あらゆる法則の管理者、なのだ。


そう、自分の意思とは別のシステムで、心臓は動き、天体はまわる、季節はめぐる。

進化?

進化があるとするなら、進化力はどこからくるだろう。

エントロピーの法則に従い、形あるものはいずれ壊れる、的な物が大多数ななか、

人間だけが、ここまでアカデミックになり、しかし、やがて死ぬ。

やはり、宗教を超えた、意思・設計者の存在くらいは、信ぜずにおれない。



・家庭の心理面・体力面の保全をはかる。

・家庭の向上心をめざす。

このスタンスで進めていこう。



目には目をだ。

目にはめまでだ。

人は、されたことは、うらみに思い、された以上の事をしようとする、しかも、際限ない。

愛する人が殺されたら、殺人者の命はもちろん、それで、気持がはれるわけではない。

失ったかなしみは、一生消えない。

時代劇さながら、「末代までのろってやる」的心情が正直なところだろ。


環境は変わる。


しかし、「未来に備えて良い基礎を」求めていこうと思う。

愛、愛しか語られないと嘆く兄弟姉妹がいる。

それなら、他の部分をあなたが語れば良い。
罪について、裁きについて。

複数の人が語ることが許される。聖霊によって、確かに制御される。
そう見えない神の力を信じるなら、そうしてから、判断すべきである。

誰かひとりが、その責めを負うのはおかしい。

もし、愛を語る人が、「罪を語るな、罪は人の耳障りが良くない」
というのもいるし、「裁きを語るな、人は神を誤解してしまう」

と怒るやつもいる。


それなら、一方的に主張せず、おごそかに、話し合うべきである。

だれかの振る舞いを、裁判官のように断罪すべきではない。

最低なヤツのやることだ。その証明だ。



俺は、やる。

必ず。

sに人を呼んでみせる。

そのためには、自分が変わらなければならない。
このsでも出来る。
sの働きを自分のホームワークとするのだ。

かわいそう過ぎる。
特に、そう責めている当の本人たち。

確実に言えるが、本当の神を信じていないのだ。

神を知らない。

人間の理解の中を動いているだけ。



神道。
日本仏教。
中国仏教
インド仏教
イスラム教
ヒンズー教。
カトリック
ものみのとう
エホバの証人
モルモン教

その他調べれば、数多くの宗教が存在する。

それを一通り、調べて見ようと思う。
まずは、ウィキペディアあたりから。


最近は、スピリチュアル、って言われる、神秘主義が占いや、
自己啓発の類に混ざって、好評を博しているが、まあ、これも
宗教だろう。

調べて見ないと結論は出ない。

そして、真のクリスチャンらしく、説得力を増す言葉につなげる。



薬の勉強も続けていかねば。
日々進んでいる。
やめたら終わりだ。

突き進まねば。
最大の応援団は自分自身。



人は、チリに過ぎない。69種類の元素による、アミノ酸・たんぱく質の
塊に過ぎない。

だがしかし、そこには、不思議な、思考、という、元素ではとうてい
計り知れない仕組みが存在する。

そこを探求したい。


とにかく、
聖書を読み。
その他の書物、資料も読み、説得力ある話を展開し、反撃に出る(笑)
それをライフワークとしてこれからの数十年、生きていこう!

科学は、現在の事象の、法則化、記名化に過ぎない。

その現象は、悠久の昔から続いている事象である。

それに命名したに過ぎない。


しかも、

人は、あまりにも非科学的すぎる。

なぜなら、再現化出来ないから。

科学は、手順どおり行えば、誰がやっても同じ結果になる、それが科学、それが再現化。


歴史は科学ではない。




人の構成元素


酸素
炭素
水素
窒素
カルシウム
リン
硫黄
カリウム
ナトリウム
塩素
マグネシウム

フッ素
亜鉛
ケイ素
チタン
ストロンチウム
ルビジウム
臭素


アルミニウム
セリウム
カドミウム
スズ
バリウム
ホウ素
ヨウ素
マンガン
セレン
ニッケル
水銀
リチウム
モリブデン
セシウム
ゲルマニウム
ヒ素

アンチモン
クロム
コバルト
バナジウム
ニオブ
ジルコニウム
ランタン
ガリウム
テルル
イットリウム
チタン
タリウム
ビスマス
スカンジウム
タンタル

ウラン
バナジウム
トリウム
ベリリウム
タングステン
ラジウム
アルゴン
ヘリウム
イッテルビウム
パラジウム
ネオン
キセノン
プルトニウム
ガドリニウム
クリプトン

全69種類



さらに、


体重60kgの人間・・・


有機質 (96%)

   水  66%  39.6kg
   たんぱく質  16%  9.6kg
   脂質  13.5%  8.1kg
   糖質  0.5%  0.3kg

無機質  (4%)  2.4kg



人は、チリに過ぎない。

ゆえに、その何らかの「ヤクメ」を終えると、チリに帰る。


その心は、どこから来て、どこに行くのか。

作れるのか?


人は、という結論の出ない疑問を持ち続ける。


宗教は、その答えなのかもしれないが、クリスチャンの観点から見れば、

いちいち説明はつく。




聖書は、

すなわち、キリストを信じるのは、いわゆる、西洋の宗教を信じるのとは

訳が違う。


そんな、ちっぽけな、ケツの穴のちいせえ、くだらねえ議論にはのらん。

俺の生き方


それが、聖書だ。


だれの評価にものらん。


そう、今現在の心のうちを、日記として記録する。


為せば成る

為さねば成らぬ 何事も

 

成らぬは人の 為さぬなりけり 


上杉 鷹山



いまさらながら、深いなあ。


特に、後半の、

成らぬは・・・のくだりが、深い。


うまく行かないのは、その人が、本気でその物事に取り組んでいない証拠。


原因と結果の単純な事例。



いろいろ、理由をつけて見たくなる。

うまく行かないとき。

思い通りの結果が得られないとき。



しかし、納得いく結果は、為す、すなわち実行、行為に基づくもの。

たとえ、偶然の結果だと思われても、必ず、その裏には、原因が

要因があるもの。である。



いまの現状を省み、うまく行っていないことが多いかもしれないが、

先人のこの言葉をみると、今も昔も、環境は変われど、人の心は

なんら変わらない。ということを思い知らされる。