今日はジムで背中と二頭、プールで500mくらい。

新しいジムにしてから、初プールだった。

 

あの、背泳ぎするときは、天井の紐や線てきなものを目印として真っ直ぐ進むんですが

それが全くないどころかカーブしている彫り。側面に寄っていってぶつかる。

まして1レーンで行き交う場合はムリだ。めっちゃ空いている(村上春樹の小説に登場してくる女性がいっているプールくらいの)ときにしかできない。

バタフライはいちばんキツいわけだけれど

「力を抜く」を習得し、まだラクになった。バタフライは若干周りに迷惑なんだよなあ。

と思いつつ、併設されているジャグジー入って、シャワー浴びて帰宅。

 

 

新居に引っ越してきてから、まだ本棚を買っていないので

平積まれるいっぽうなので、買わないといけない。まあいつか。

旧岩崎邸に行きました。

三菱財閥の。

 


 

 

 

1896年(明治29年)に岩崎彌太郎の長男で三菱第3代社長の久彌の本邸として造てられました。洋館・撞球室・和館の3棟が現存。洋館は、鹿鳴館の建築家として有名な英国人ジョサイア・コンドルの設計で近代日本住宅を代表する西洋木造建築です。館内の随所に見事 なジャコビアン様式の装飾が施されていて、同時期に多く建てられた西洋建築にはない繊細なデザインが、往事のままの雰囲気を漂せています。

 

 

敷地内はゆっくりと時間が流れていて

入ってから一時間しか経っていないけれど

体感は二、三時間。

 

あんな屋敷に住んでいたら

風格や品、所作の一つひとつ、自然と身につくだろうなと思います。

 

婦人の間など、四方八方ドアになっていて、どんな利用のスタイルなんだと思いつつ

また、和館は廊下まで畳であるところがリラックスできます。

 

敷地の周りに木が茂り、少し高台で

外からでは中の様子がわからない基地感、隣り合わせの俗世との異世界感

 

日常にこういった場所、それは家だけでなく神社であったり、森であったり

 

あると精神によいなと思います。

 

旧岩崎邸庭園は、行って損なしでした。

 

本当は上野の森美術館のゴッホ展へいこうと思っていましたが、待ちの列が凄かったので断念して、岩崎邸へ。

 

 

人生の長さは一秒にも満たない。

その僅かな時間に、永遠に向けての準備をしなければならないとは!

 

 

ポール・ゴーギャン

 

 

風が強くて、除夜の鐘も聞こえません。

年が明けました。おめでとうございます。


大晦日、早めの時間に蕎麦と天ぷらだと、お腹が空きました。


数日前に、年末で空いた明治神宮へ両親を連れ、ふらりと、ふらりというよりじゃりじゃりと行きましたので、初詣はどうする、地元の八幡神社にいくのかもしれません。


茶道を習って、新年のお茶会をするような

そういう文化が僕の生活にもあるといいなと思っているので、今年は、教室を探してみたいです。


ゲンロンを見ながら、初年越しです。

人文知に多く触れていきたい。





そんな上記の表向き、きれいごとな思いの一方で


トレーニング、筋トレからのボディメイク的なものや、加えてベンチプレス100kgFXCFD、デリバティブ取引を粛々とやる、ポーカー上手くなる、といった怪しい欲もあります。もっと変な欲もある。


僕たちが持つダークサイドをブログではちゃんと出していきたい。デトックスのためにも。









SNSで、なんでも繋がりを作ってしまって

いちいち返答したりするとか真面目にやってしまうと

どんどん神経症化してしまって、世界がすごく窮屈になってしまう。

無意識にそう疲れてしまっている人は多いと思います。

 

今は朝の5時。年末で完全に生活のリズムが崩れました。

僕は夜型だと思われると勝手に感じているのでいいかって思ってます。

 

 

ファストフードを食べてポルノを見て、日々何も考えずにハッピーに生きている人(僕ら)でも

年末やお盆や誕生日、記念日などという区切りには

その一年や過去を省みる瞬間があります。

 

でもそういう時に

何を参照して?物差しとして?振り返ったらいいかわからないですよね。

宗教をもってもいないし、哲学やイデオロギーがあるわけでもない。

美化された思い出や後悔をめぐるだけです。

それもいいのかも知れない。でも

 

 

高村光太郎の

僕の前に道はない

僕の後ろに道は出来る

道は僕のふみしだいて来た足あとだ

だから

道の最端にいつでも僕は立っている

 

状態で

この先人生どういこうか、僕の前に道はないと迷うこと、迷うというよりわからんという気持ちが覆います。

 

小説はたまに読みます。一ヶ月に一冊くらい。

主人公は、僕たちが経験しそうもない修羅場や人生を歩み

都度何かの選択を迫られて、突き進んでいきます。

 

映画や海外ドラマ、漫画、アニメもそうです。

こんな時にこう選択して、こうなったんやという疑似体験。

 

実際に自分の知らない世界を直接垣間見ることって、なかなかできないんですけど

 

特に(僕の場合)小説は、それがフィクションだとしても

 

世界にはいろんな人がいて、知らないことが

まだまだたくさんあるのだから、

自分ももっと自由に生きていいんだと思わせてくれるところが良いなと思います。

 

夕方。ゴールデン街を横目に、新宿区役所へ転入届けに来ました。

今年最後の営業日なので、混雑しています。

とにかく待たされる。一時間が経った。

文京区のシビックセンターにある役所はまだ平和だった。

呼ばれる番号が順番通りだとすれば、あと数十番後..

本を持ってくればよかった。

順番通りだよな?..空腹


と思いながら、これを書いています。

 

隣の親子(母と小学生の娘)が

「ショパンで好きな曲は何?」という会話をしていました。

僕は、ショパンをそんなに知ってはいませんが

木枯らしとスケルツォ2番。

 

 

●小四病

 

中二病てよく聞くと思います。

僕は小四病が良いと思う。

 

小四は十歳。

 

その頃は、頭がクリアで

先の人生のことを考えることも

中長期の計画を立てることもなく

今日一日をどう面白く過ごすのか、に熱心になることだけ。

 

そんな状態を 大人になった今でも実現させたい。

 

中学生へ移り思春期を迎えた瞬間に

性のことばかりがずっと思考を覆う。

何してても二、三分に一回はエッチなことを考える。

それは今でもそうかも知れない。

(かも知れないと濁しておく。男は全員そうだ。)

 

セックスのことばかり考えるようになってしまって

 

煩悩ばかり。

 

自分が一番頭が良かったのはいつかって

小四のときなんじゃないかって、思います。

 

頭がクリアな小四病になりたいものだ。

晴れた平日の休みの日に

 

決まってその空いている(休日はそれなりに賑わう)動物園に行き、

毎回きちんと大人の入場料を払い

 

 

「私はここへ走るために来たの」

 

 

ランニング用のキャップとシューズ、ウェアをなびかせて

イヤホンをつけたまま私はゲートをくぐる。

 

 

ここに来るまでに小さなスポーツカーで2時間みかかる。

 

(途中マックに寄りコーヒーをー飲む時間を含めて)

 

 

 

8:30に家を出る。

 

8:30はわたしにとって

家を出るには最適の時間。

 

8:30に世界はギシギシと音を立てながらまわりだす。

 

朝霧はいつだって8:30に消える。

 

「8:30は、トーストを咥えた朝急ぐJKが曲がり角で運命の男にぶつかって新たな物語が始まる時間だし、かたや同じ時間に2時間かけて動物園でのランニングに向かう女もいるわけで、つまり世界は十分すぎるくらいに広い」

 

 

 

 

 

●なぜ女は動物園で走るのか

 

 

 

動物園のゲートをくぐり、案内板を一瞥する。

 

 

 

案内板を毎回見る。

 

今日も同じ見学コースがそこにあって 

同じ動物たち(個体は違くとも種類は違わない)が同じ檻にいて

その一様に安堵する。

 

案内板が変わることはない。

 

 

 

 

左周りでスタートを切る。

 

まずは霊長類エリアへ。

 

しかし、実際檻の中の動物には目もくれないのだ。

 

 

 

 

動物園にいる動物たちは

もちろん野生の動物と比べて、寿命が短い。

 

常に軽い飢餓状態の猿と常に満腹の猿、どちらが長生きするかといえば

 

常に飢餓状態の猿なのだ。

 

 

動物園では

オートマチックに食事が出て来る。

 

欠かすことのない。

 

 

 

その女は時速12キロで走る。

 

1周3キロの園内を30分、ぴったり2周する。

 

11時にちょうど、象が食事をする。

 

穏やかな水面に

石で水を切るように

 

一歩一歩に波紋は生まれる。

 

 

それが消えるまでの一瞬に

場に緊張感を与えていく。

 

 

鋭い空気。

 

 

実際動物たちは、走るその女にはあまり興味を示さない。

 

 

走る女を見ている動物はもちろんいる。

檻の中の動物たちはもちろん暇なのだから。

 

動いているものに焦点はあう。

 

しかし、だから何かあるのかといえば何もないのである。

 

 

女は2周した後で、そのままゲートを出てゆく

 

駐車場まで走る。

 

車のエンジンをかけて

汗で濡れたウェアを脱ぎ、Tシャツに着替え

ビーチサンダルに履き替え

 

また2時間かけて自宅のアパートまで帰る

 

家へ帰ると冷蔵庫から冷えた缶ビールを出して一気に飲み干す

 

ダイニングテーブルの椅子に座る

 

 

ひとしきり泣く。

 

 

シャワーを浴びて

 

新しい下着とシャツショートパンツに着替えて

 

日のあたりの良いソファーに沈み猫に

話し始める。

 

 

「私は大衆がキライよ。

 

彼らはステレオタイプにまみれているの

 

パンティーストッキングを頭からかぶるみたいにね

 

それも何枚も重ねているの

 

様々な色の

 

考えられる?

 

 

檻の中にいる動物たちと同じなの

 

 

檻はステレオタイプ

 

 

そしてその中で彼らは本能を徐々に失いつつある

 

無意識に。

 

 

そんな悲劇的なことって本当にあるのよ」

 

 

 (その猫は午後の柔らかい光の中で、とても眠たそうにしている)

 

 

 

「彼らは油にまみれた鳥。

 

本当は誰かが洗わなくてはいけないの

 

でもそんな人いるのかしら

 

 

だってみんな既に油にまみれた鳥なのだから

 

 

そしてまみれていることに気づいていないのだから」

 

 

「だから走るの、動物園を

 

そうやって確認するのよ

 

私がこちら側にいることを

 

 

私は大衆がキライよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アメリカはいい国です。

この国で財産もできたし、うちの娘もアメリカ風に育てました。

自由にさせましたが、しかし、身内の恥にはならんようにと躾けました。...

 

 

と葬儀屋ボナセーラの冒頭の陳述シーン。結婚式の裏で暗闇の対比とカメラ

 

 

 

ヴィトが引退してトマト畑で死ぬ日に

 

マイケルに向かって

 

バルジーニとの会談を設定して来る奴が裏切者だ

 

と告げるシーンの、あのベンチと、何故かと言わない関係が良くて

 

ヴィトかトム・ヘイゲンみたいな “コンシリエーリ”が僕にも欲しいです。

 

 

『ゴッドファーザー』の中では

 

しょっちゅうワインを飲んでいますが

 

喉が乾いた時でさえ、ワインなんです。

それとマイケル、めっちゃカッコイイ

 

この2つが印象でした。

 

文京区の目白台から、東新宿へ数日前に引越しました。

歌舞伎町と新大久保のある。怪しい。

 

高田馬場のスポーツクラブとエニタイムを退会して、新宿のジムに入会しました。

ほぼ、ジムの質と利便性で選んだようなものです。

 

天気が微妙な日が続いている気がするので、ぼやんとしていますが、

2、3日実家の春日部に帰っていて

その間暇な時に実家の本棚に積読されている

そして結構長い間本屋の平積みにある

 


『「死」とは何か』シェリーケーガン /イエール大学の人気講義

を最初の100ページくらいを読みました。(総384ページ)

 

有名大学の有名講義シリーズって人気ですけど、マイケル・サンデルの白熱教室から

始まったんかなあと、僕の記憶上です。。

 

こちらは出版されたばかりのものを買ったので完全版ではない方です。(前半の形而上学パートカット)

 

 四分の一しか読んでいないので、感想も何も中途半端ですが

あまり面白さはないんだけれど

 

唯一、「あれ、自分が死ぬって別に怖くないし、悪いことでもないかも知れない」

 

とだんだん思ってくるんです。まさかね、とみんなが思いつつ

あれ。。あれ?

 

この本にはそういう効能があります。

 

また実家へ帰る際、読み進めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Aaaa

クリスマスの次の日になりました。

以前シンプログをゆるゆるとやっていて、その終了から1年半振りに

こちらでブログを始めることにしました。

 

唐突ですが

3日前、姪1,2(小2、幼稚園)を水族館−それも淡水魚の渋い−に連れて行きました。

両生類って、水陸いけるって頭の中では誰しもが分かっていると思います。

実際に、イモリが水中にいるのをたぶん初めて見て、

息どうやってしてんねやろとか、新鮮でまじまじと水槽を眺めてしまった。

ぎこちない泳ぎと、水中の底で静止して陸と同じように佇む姿が不思議で。

写真撮っておけばよかったな。

 

ただそれだけです。すみません。