2015年の日本映画「太陽」です。
神木隆之介、門脇麦が出演しています。
監督は「サイタマノラッパー」シリーズの入江悠です。

映画観ながら「これは脚本が入江悠になってるけど、原作は違うのかな」と感じました。
「サイタマノラッパー」や「劇場版 神聖かまってちゃん」「日々ロック」などといった音楽を題材にした独特なダメさ加減を見せてくるのとは違い、今作はゴリゴリのシリアスSFなんです。
調べてみたら、小説が原作というわけじゃなくて、もとは舞台だそうです。
この話を舞台でどうやってたのか興味あります。

さて、そのゴリゴリのSFのストーリーなんですが。
まず「世界は謎のウィルスによって人類がたくさん死んだ」っていうことになってます。
んで、残った人類は「新人類ノクス」と「旧人類キュリオ」の2つがいます。
キュリオは普通の人間です、ノクスは進化した人類だそうですが太陽の光をあびると燃えて死んでしまうという弱点があります。
どう考えてもノクスの方が不便なんですが、世界はノクスが支配しています。
キュリオはノクスによって支配された生活を送っているのです。

という設定で映画は始まります。
太陽の光浴びて死ぬってヴァンパイアみたいですね。
弱点が「太陽」って非常に弱い感じがするんですが、キュリオにも弱点があります。
それは「ウィルス」です。
「謎のウィルス」とやらがまだはびこっていて、旧人類キュリオはこのウィルスに感染すると死ぬんです。
一方ノクスはこのウィルスが一切効きません。
というわけで、一長一短な2つの人間が暮らしてるわけです。

映画はそんな世界になってしまったとある山奥の田舎町が舞台です。
それ以外のシーンも多少あるけど、ほぼありません。
えらいことになったけど、見れるのは山奥の田舎だけです。

この町、というか、村は特殊な村でして、10年ほど前にある男がノクスを殺害したために制裁を受けてる村なんです。
殺した男は逃げ出したんですが、何故か村が責任を取らされて何の支援もしてもらえず隔離状態なんです。
極貧の生活によって村を逃げ出すものや、死んでいくもの。
そんな生活をしてるんですが、10年たったのでそろそろそれが解除され、色んなものがまた村に入ってくるようになるそうです。

鉄彦はその村に住む少年です。
鉄彦はこの村が大嫌いでいつかノクスになってやると考えています。
キュリオがノクスになる、って何じゃ?って感じですが、これが可能なんだそうです。
毎年20歳未満の子たちの希望者の中から抽選で当たった子だけがキュリオからノクスになれるんです。
鉄彦はもちろんこれに応募しようと考えています。

一方、同じ村に住む結はこのノクスになれる抽選に応募しないつもりです。
基本的にこの村の子たちはノクスになりたくないみたいです。

というわけで話が始まっていくんですが、この独特の世界観にプラスしてひたすらダークな展開が続くんです。
結の父親が結に内緒でノクスになる抽選に応募して、それを知った結のことが好きな村の男がやってきて「裏切るのかー」といって結を犯します。
結の父親はこれを知りその男をボコボコにするんですが、村人に「なんでこんなことをしたんだ!?」と聞かれても結の父親は何も言えないんです。

んで、ノクスになれる権利の抽選結果が発表され、鉄彦は落選、結は当選、してしまいます。
絶望の鉄彦、そこに10年前にノクスを殺害したあの男が帰ってきて村は大混乱。
更に、鉄彦はノクスの少年と友達になっていて、その少年との友情の話もあって。

2時間によくおさまったなってくらい話が濃い映画です。
難しい設定もしつこい説明口調をあまり使わず、自然と観てる側にルールが理解出来るように作られていてお見事。
あとは、この映画の世界観が好きか嫌いかですね、趣味の問題です。

自分は好きなような苦手なような・・・、こういうのばっかり見せられたら嫌ですが、まぁ観る日のテンションや体調によるかもです。

さて入江悠といえば「長回し」みたいなイメージありますが、今作ももちろんありますよ、長回し。
毎度ラスト近くにやってくる「入江悠の長回し」なんですが、今回もやはりラスト付近です。
あーだこーだあって、もめて、叫んで、わめいて、あーだこーだあって、ひと悶着して解決するってシーン、なんと1カット10分の長回しです。

「サイタマノラッパー」みたいにまた観たくなる映画とは違いますが、入江悠がこんなこともやれるってことを証明した映画じゃないでしょうか。
前作の「ジョーカー・ゲーム」のクソっぷりに比べたら素晴らしいと思います。

オススメ度 52%