2015年のアメリカ映画「ぼくとアールと彼女のさよなら」です。
原題は「Me and Earl and the Dying Girl」、「ぼくとアールと死にかけの彼女」って感じでしょうかね。
出演はトーマス・マン、オリヴィア・クック、RJ・サイラーなどなどです。

よくある話の行方も見せ方次第で色々変わるものでして。
この映画のヒロインのレイチェルは白血病です。
主人公はレイチェルの近所に住むグレッグ。
もうここまで書けば大体わかるというか。
主人公と白血病の彼女が泣かせますよ全開で展開されるアレ系です。
もっと分かりやすく言うと「セカチュー」です。

映画ではあまりにアルアルな設定で大げさな演出で泣かせようとしてくるものばかりでゲンナリしますね。
この映画もその設定、のはずなんですけどね。
泣いちゃいました。

まずグレッグとレイチェルは付き合ってません。
というか、レイチェルが白血病になるまで2人は「顔みしり」程度。
グレッグのママが「あんたレイチェル知ってる?白血病になったらしいわ、かわいそうだわ、あんた行って話をしてきなさい」って言いだすんです。
「何で俺が行かなきゃいかないんだ」って嫌々レイチェルの家へ。
んで、何のこっちゃ分からないまま2人の友情は始まっていきます。

基本的にこの2人の話なんだけど、タイトルには「アール」って人物の名前も入ってます。
アールはグレッグの友人で、グレッグはアールを「仕事仲間」って呼んでます。
それは何故かというと「友達」って言葉に少し照れてるところもあるんですが、2人は昔から一緒に映画を撮ってるんです。
名作映画の名前をモジったパロディみたいなものを子供の頃から撮っていて、作品は10本以上あります。
「白血病になったレイチェルのために映画を作ろう」なんていう予想通りのベタな展開をみせます。

でも、なんでしょうね、この映画のもつ独特の空気感がベタベタな設定を「新しく」見せてくれるんです。
泣かせるつもりなんか1ミリもないからねってノリなんです。
実際、映画の中で流れるグレッグの語りでも「レイチェルは死なないんだよ」とか「大丈夫、最後は病気が治るから安心して」と映画を観てる人に語りかけてきます。
「あ、なんだ死なないで病気治るハッピーエンドなんだ」って観てる方はちょっと安心するんですよね。

でも、映画を観ていくうちに「これは・・・治らないのでは・・・」という描写が増えてきます。
そして、次第にグレッグのあの語りは「死なないでくれ」っていう願いであることが分かります。
そうなんです、レイチェルは最後死んじゃうんです・・・。

レイチェルは最後にグレッグがレイチェルのために作った映画を観ながら昏睡状態になり死んでしまいます。
2人の間に恋愛感情があったのか無かったのか。
たぶんあったんだろうなぁって感じですが、2人は恋人同士ではありません。
あくまでも「友人」として2人は一緒に時を過ごすんです。
そして、グレッグはレイチェルが病気になってから仲良くなったので2人で遊びに行ったなどの思い出が少ないんです。
ラブラブで愛し合ったあの幸せな日々、みたいなことが一切ないんです。
レイチェルが白血病になったからグレッグはレイチェルと仲良くなったわけですから。
思い出も少ないし、レイチェルのことを知るにはあまりに短い期間だったんですが、それが逆に切ないというか。

グレッグの学校の先生がグレッグにこう言ってます。

「死んだあとにその人を知ることもある」

とても深い言葉です。
グレッグはレイチェルのことを死んだあとに色々知っていくんです。
そして映画をみせてくれたお礼にレイチェルはグレッグにあることを残しています。
ハンカチ用意できてますか。

最初はほんと軽いノリで「白血病になったけど最後は治る話だよ」みたいな見せ方をするというある意味ズルイ映画です。
でも騙すつもりは一切なく、途中からその言葉は「強がり」だって分かるようになるという見せ方もズルイ。
レイチェルが死ぬ場面で思わず「治るって言ったのに・・・」ってつぶやいてしまいました。
そして、グレッグの言葉で「治るって嘘ついてゴメン」と言ってきます。
ちょっと映画の世界に入り込みすぎて会話しちゃったって感じでした。

グレッグとレイチェルの若いがゆえの友情関係というのが切なくてとても面白かったです。
音楽も良くて、この映画にピッタリでした。

「死んだあとにその人を知ることもある」
ほんとにそうだなぁと思いました。

オススメ度72%