HAYASHI-NO-KO

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高校時代にやっていた写真を思い出して、定年退職後の暇つぶしにと、季節の花を撮り始めました。
時折鉄ちゃん時代の画像や、山仲間との低山・里山ハイクや街歩き、昔話が登場します。

ロマンチストの独り言31

【瀧口入道/高山樗牛】第一~第三十三
 

 やがて來《こ》む壽永《じゆえい》の秋の哀れ、治承《ぢしよう》の春の樂みに知る由もなく、六歳《むとせ》の後に昔の夢を辿《たど》りて、直衣《なほし》の袖を絞りし人々には、今宵《こよひ》の歡曾も中々に忘られぬ思寢《おもひね》の涙なるべし。

 驕《おご》る平家《へいけ》を盛りの櫻に比《くら》べてか、散りての後の哀れは思はず、入道相國《にふだうしやうこく》が花見の宴とて、…(以下略)……、の書き出して始まる【瀧口入道】(高山樗牛著)の全文を
原本・
春陽堂版や文庫版・岩波、新潮版を基にして書き写したことがあった。

 今思えば、有り余る時間があったとはとうてい思えない、現役時代の30年前のことだ。
 何かに憑かれたようにさとうさとるのファンタジーを読み漁ったり、単独行当時に集めた山画像を整理した気がするし、「星の王子様」を丸ごと書き写したのもその頃だ。
 その 
瀧口入道/高山樗牛 原稿が花画像などを収録していたCDに残されていたので、震災後に書き留め始めていた「ロマンチストの独り言」の中に収めていた。
 余りの暑さに季節の花や雑草を撮り歩くのも危険?だと感じる今年の夏だし、当時と比べようもないほどに有り余る時間の中で、趣味品などを中心に少しずつ整理処分し始めた。
 借り物のブログページだから全文を一気に書き残すことができないのは今も同じだから、全33章を8分割した。


【瀧口入道】Aa 第一~第四
【瀧口入道】Ab 第五~第九
【瀧口入道】Ba 第十~第十三 
【瀧口入道】Bb 第十四~第十七
【瀧口入道】Ca 第十八~第二十一 
【瀧口入道】Cb 第二十ニ~第二十五
【瀧口入道】Da 第二十五~第二十九
【瀧口入道】Db 第三十~第三十三
【瀧口入道】番外「滝口入道と横笛/神坂次郎」


☆  ☆  ☆  ☆  ☆

底本…「瀧口入道」  岩波文庫、岩波書店
昭和十三年十二月二日第一刷発行
昭和四十三年十月十六日第三十二刷改版発行
昭和五十五年三月十日第四十三刷発行

 

参考…「滝口入道」  新潮文庫 新潮社
昭和三十一年四月二十日第一刷発行
昭和四十三年一月十五日第二十刷改版発行
昭和四十三年十月二十日第二十一刷発行

 

参考…「瀧口入道」  春陽堂
明治二十八年九月十八日印刷
明治二十八年九月二十日発行
大正十三年三月一日百六十刷発行

原文に付したルビの内、《 》は、岩波文庫版四十三刷にあるもの
〈 〉は、新潮文庫版二十一刷にあるもの、字体の一部は、春陽堂版百六十刷を参考にした


 

あらすじ(ウイキペディアから転記)
時は平家全盛の時代。時の権力者平清盛は、わが世の春を謳歌していた。ある日清盛は、西八条殿で花見の宴を催した。ここに平重盛(清盛の息子)の部下で滝口武者の斎藤時頼もこれに参加していた。このとき宴の余興として、建礼門院(重盛の妹)に仕えていた横笛が舞を披露した。それを見た時頼は横笛の美しさ、舞の見事さに一目惚れしてしまった。その夜から横笛のことが忘れられない時頼は、恋しい自分の気持ちを横笛に伝えるべく、文を送ることにした。数多の男たちから求愛される横笛であったが、無骨ながら愛情溢れる時頼の文に心奪われ、愛を受け入れることに。しかし、時頼の父はこの身分違いの恋愛を許さなかった。傷ついた時頼は、横笛には伝えずに出家することを決意した。嵯峨の往生院に入り滝口入道と名乗り、横笛への未練を断ち切るために仏道修行に入った。

これを知った横笛は、時頼を探しにあちこちの寺を尋ね歩く。ある日の夕暮れ、嵯峨の地で、時頼の念誦の声を耳にする。時頼に会いたい一心の横笛だが、時頼は「会うは修行の妨げなり」と涙しながら帰した。滝口入道は、横笛にこれからも尋ねてこられては修行の妨げとなると、女人禁制の高野山静浄院へ居を移す。それを知った横笛は、悲しみのあまり病に伏せ亡くなった。横笛の死を聞いた滝口入道は、ますます仏道修行に励み、その後高野聖となった。

 


瀧口入道 高山樗牛著 春陽堂 明治28年  初版 水野年方画
 

斎藤時頼が横笛との恋愛を反対され、失意の後に出家し仏門修行に励んだ嵯峨の往生院は、現在は滝口寺と呼ばれ、この悲恋を今に伝えている。

滝口入道は後に高野山に移り、大円院第8代住職を務めた。