・56年前、韓国の学生が日本を訪問した。
・日韓の学生対談が行われた。
・韓国側は歴史問題などを一切口にしていない。
・日韓間の歴史問題は戦後作られたものだ。
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※なぜ日本人は韓国人から
こんな理不尽な目にあわねばならないのか?
それに対抗するために、「嫌韓」が必要です。
なぜ「嫌韓」か?
その秘密は無料リポートで!
◎1960年 韓国学生の日本訪問!
1960年11月~12月にかけて
韓国の韓国学生団(小学生~大学生)の約40人が
来日しました。
韓国学生たちは、日本各地を見て、
色々な感想を述べておりました。
なぜこのような訪日団が結成されたのかというと、
それまで韓国大統領は、反日で有名な李承晩でした。
彼の時は強力な反日教育を行っており、
親日的雰囲気はありませんでした。
そのことは
「韓国 反日教育の起源!」を参照してください。
しかしその李承晩政権もその年4月に倒れ、
対日政策が変更されました。
そのため若い世代が交流することが、
日韓関係の改善につながるという思いから、
この学生団が組まれたのです。
今回取り上げるのは韓国と日本の
学生同士による対談の模様です。
その記事は
「日韓大学生 大いに語り合う」と題し、
1960年12月10日の朝日新聞12面に掲載されています。
記事には約3時間の意見交換で
「相互理解の重要性を強く求めた」とある。
今も当時も若者が交流すれば日韓関係は良くなる、
などという根拠のないことを吹聴している人たちがいるが、
この記事を見ると全くデタラメなことがわかります。
この記事の中でも若者が「相互理解の重要性を訴え」
「交流を進めていく」ことで合致しているが、
その後日韓関係は改善しているのでしょうか?
全くしていない!
こういうことを理解した上で、以下の記事を見ていただきたい。
今回は日本および朝鮮半島の部分に特化して引用します。
※なぜ日本人は韓国人から
こんな理不尽な目にあわねばならないのか?
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◎多様な南北統一の意見
彼ら大学生は朝鮮戦争当時10歳ほどでした。
つまり北朝鮮軍を見ているのです。
そこで行われた蛮行を実際に体験しているのです。
この記事の中には出てこないのですが、
この大学生たち7人(座談会には5人出席)のうち、
6人は北朝鮮の人民裁判を目撃しており、
もう1人も銃殺死体を見ているのです。
またある学生は兄弟が北へ連れていかれ、
またある学生は祖父を北朝鮮軍に殺され、
ある学生は北朝鮮の爆弾で母がケガを
しているのです。
そう…彼らは北朝鮮への強い憎悪を持っていたのです。
日本へではなく。
そしてそれは南北統一問題にも現れます。
当時韓国では南北統一が機運となっていたのですが、
学生たちの間でも意見はまちまちです。
ところでいまの韓国学生の関心のマトと
なっているのは南北朝鮮の統一問題だという。
呉君は ~略~ 「僕はかなり悲観的だ」という。
「(南北の体制の違いを述べて)そんな状態が
十年以上も続いて固まっている。
無理に統一すれば恐怖と混乱に見舞われるだろう」と
いうのがその理由。
呉君は体制の違いが長く続いていることから、
南北統一は悲観的という。
しかしもちろん反対ではない。
ただ「難しい」という立場です。
それに対して別の学生が反論する。
これにはすぐ郭君から「少数意見だ」と横ヤリが
はいった。 ~略~ 「われわれはまず文通など
南北交流の実現のために戦っている」と
重い口調で反論する。
ところが「そんなことが許されるものですか」と
曹さんが異論をはさむ。
なるほど意見はマチマチのようだ。
韓国学生も「南北統一」自体には反対していないが、
その方法論を巡って意思統一ができていない。
この年の4月まで政権を担っていた李承晩は
「北進統一」を訴えていた。
つまり北に軍隊を送って統一をするという。
しかし李承晩政権が倒れると「平和統一」が叫ばれた。
つまり武力によらない統一論です。
学生たちもこの中でどうするか決めあぐねているようです。
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◎日本に対する意見
日本に対しては交流の拡大を訴える意見が多かった。
しかし話題が日韓両国間の学生交流におよぶと、
韓国学生はいずれも口をそろえて、日本の学生が
誠実で友好的であるとほめ、学生間の相互理解の
重要さを主張した。
~略~
日本側と韓国側とが別々にしばらく相談しあったのち、
出てきたのは、文通だけではなく、刊行物、
資料の交換計画。 ~略~ 両国学生とも
すべての刊行物を直接、送りあうことに
意見が一致した。
ここでも日韓間での学生同士の交流をうたっている。
当時は仕方がないのかもしれないが、
結局、学生同士の交流拡大など何の役にも立たなかった。
しがらみのない若い人同士が交流することが重要だとは
一般的には思います。
しかし国が積極的に「反日教育をしている国」に
対しては無意味でしょう。
記事は続く
日本側はさらに、もし時間と経済が許すなら、
日本の学生も韓国を訪れたいのだが、と提案。
これに対し、郭君は「韓国政府は外国人学生を喜んで
迎えいれると思うが、民衆の対日感情は複雑だし、
政府は民衆の感情を傷つけまいと気を使っているから
日本学生の訪問は時期尚早ではないか」と答え、
呉君は「韓国政府のデリケートな立場を理解してほしい」
といいそえた。
韓国民衆には複雑な対日感情があると述べている。
それは過去15年間も反日教育を受けていれば
そうなるでしょう。
しかも各新聞紙上では日本を最大限の表現で罵倒
(1953年12月4日の記事)していれば、なおのことです。
◎55年前の対談が教えるもの
この日韓対談が教えるものは何か?
それは
歴史問題など欠片も議論されていない
ことです。
今回の引用は「南北朝鮮」と「日韓」の部分だけに絞っています。
実際はもう少し長く、大体引用は半分程度です。
しかし日本についてはほとんど網羅しています。
その中で日本と韓国の関係改善は「正しい歴史認識」と
いった例のフレーズは出てこないのです。
歴史問題はのちに生まれた。
反日感情ものちに生まれた。
それは韓国の反日教育が
生み出したのです。
戦後すぐの韓国人たちは日本に対して
温かい気持ちを持っていました。
日本に接触した人は良好な対日本人観を持っていました。
韓国民衆の日本人に対する温かい感情を
韓国特派員が体験しています。
中には日本に対する好意を隠そうともしない人もいた。
つまり元々反日ではなかったのです。
もちろん反日の人もいたでしょう。
現在の日本で反米の人がいるように。
しかし国を挙げての反日では決してなかった。
それは戦後、李承晩政権によって作られました。
李承晩政権の反日教育こそがその元凶なのです。
※なぜ日本人は韓国人から
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