前回のブログの続編ですニヤリ

 

今回も会員の一人のブログに書かれていた麻雀観を引用して、僕の意見を書き加えてみたいと思います。

 

《わたしは現代麻雀の戦術と言うべき『得だから』『データとして数字で現れているから』『絞るのは損』『愚形であろうと先制ならリーチ』『読んでも無駄』『重なる前に切れ』等の打ち方があまり好きではありません。もちろん、だからと言って昭和を象徴するような『強さよりも美学』『面前で手役を狙ってリーチ』『ドラは勝負出来る手になってから切る』等の麻雀を支持する訳でもありません。
少し話は逸れますが、これは麻雀に限った事ではありませんが、科学は日々進歩しているので、昔では解明出来なかった事が徐々に解明され、現代では当たり前のようにわたしたちの『常識』として君臨している事も多いのではないでしょうか。ですが、一つ忘れてはならない事は、昔があるからこそ今があるのです。昔の人達が努力を積み重ね発展させてくれたおかげで今があるのです。つまり現代とは、昔の人達が築き上げた事が単に進化しただけの姿なのです。》

 

このようにブログ主は、昔の麻雀や現代の麻雀の一方だけを支持するのではなく、昔の麻雀が進化した結果として現代の麻雀があると書かれており、それはまさしくその通りだと僕も思っていますウインク

 

現在の「長岡京麻雀倶楽部」の参加者は若い人の割合が多くなったので、昭和世代の昔の麻雀を振り返ってみたいと思います。

僕が麻雀を覚えたのが昭和57年頃、麻雀に関する媒体と言えばほぼ書籍しかなくて、戦術書・専門誌・漫画雑誌・麻雀小説といった類いでした。

 

麻雀プロの人数も当然少なくて、有名プロは自分で雀荘も経営しているケースが多く、それから女性のプロは数えるほどでした。

プロの対局を見てみたいと思っていても、せいぜい専門誌で取り上げられている牌譜などから想像するくらいしか出来なかったので、数年後にケーブルテレビで「MONDO21」が出来て映像で見られるようになった時は大変嬉しかったですね。

 

その頃の麻雀を現代と比べてみると、手役重視、門前重視、役牌の絞りがキツい、といったタイプの人に強者が多かったですね。

それから戦術として、あの頃はノー聴罰符や連荘目的の形式聴牌をほとんど見なかったのです。

記憶がちょっと定かではないですが、ルールとして形式聴牌ナシが主流だったのかもと思いますが、それで鳴きのメリットも少なかったのかも知れません。

 

今は赤ドラ入りも当たり前になりましたし、ルールの変遷によって戦術が変わっていくことも当然のことと思います。

ネット麻雀の普及でデータ分析も活発になり、麻雀プロの人数や対戦数も昔とは比べものにならないくらい増えて、麻雀に関する研究もかなり発展していると感じます。

 

それでは僕自身が、若い世代の人の方が恵まれていて羨ましいかと聞かれたら・・・。

その答えは、僕は昔の麻雀も経験できたことが自分の財産だと思っていますおねがい

現代の麻雀が昔の麻雀から進歩したものだとしても、やはり昔の麻雀にしかない優れた部分はあると思っていますので、経験がないよりはあったことが強みだと思えるのです。

 

そして、現代の麻雀での傾向として、本当にそれって正しいのか!?と思うこともあります。

それが「重なる前に切れ」。

これって主に他家のダブ東だったり、役牌のドラに対して言いますよね。

他の役牌に対しても、1巡でも早く処理しておこうという傾向があるかと思います。

もちろん自分が純粋にアガりを目指すべき局面であれば、その考えで良いかと思います。

 

しかし、この局面で役牌の早切りをする!?と思うことがプロ対局であっても時々あります。

いくら早切りしようが、その牌を他家が配牌から2枚持っていれば当然ながらポンされる可能性があります。

自分の手がそれほど聴牌に近くもないのに、他家に軽く鳴かせてしまって、楽なアガリをさせてしまうことも多いように思うのです。

そして前回に書いたツキの話に絡んできますが、東場の親がアガリを重ねて調子づいてるような状況なら、次局に自分の配牌にポツンとダブ東が1枚入ったら、僕はとても気軽には切れないです。

 

そんなわけで、僕が言いたいのはいつも自分のアガリのために役牌を早く処理するのではなく、まずは自分がアガれる可能性を見極める。

そして他家のアガリを阻止することにウェイトを置くべきと判断すれば、その後のツモに手応えを感じない限りは、最後までしっかりと役牌を絞ることが非常に大事だと思うのです。

絞りによって相手に楽をさせないところは、昔の麻雀の奥深いところだと感じますね。

 

データ分析して早切りの損得がどうなのかは詳しく知りませんし、たとえ自分が絞っていても他の人が簡単に鳴かせてしまうことも多いでしょう。

それでも一打一打に責任を持ち、自分は甘く打たないという心掛けが大切ではないでしょうかおねがい