1            日本橋

 

 

 

 2021年7月21日、暑晴。東京五輪の開会と同時にT53プロジェクトが始まった。

 1日30km超を歩き、宿泊先を探して、翌日また歩く、といった旅は初めての経験だったので、その予行演習としてゴールデン・トライアングル(田町→高尾山→川越→田町)の旅を計画していたのだが、タイミングを優先してまずはフル装備で日本橋から戸塚まで歩いてみることにした。

 結果的にこの決断が功を奏したことは、まだ後の話だ。

 

 日本橋を出ると品川宿までひたすら15号を南下する。この道は自転車や車で何度も通ったことのある道で慣れ親しんでおり、道幅も広く歩きやすかった。

 

 品川宿を出ると次は多摩川を渡って川崎宿へと続く。ここも家族でよく買い物に行く大型スーパーマーケットまでの道のりを辿るルートで比較的愉しく歩いていた。 

 が、暑い。そして足に痛みが。たまらず多摩川にかかる橋の下で昼食を兼ねて休憩をとった。

 

 30分ほど経っただろうか、再び歩き出すと川崎宿に着いた。道端には旧東海道を示す石碑や解説を示した看板などが設置されており、「昔の人はここを歩いていたのか」、「今も私と同じようにこの道を歩いている人がいるのかな」などと様々に思いを馳せながら歩みを進めた。

 

 ここで、旅を通しての私の回想録を記しておこう。

 

「僕はなんでこんなことをしているんだ?」

    ↓

「昔の人はどうやってこの道を見つけ、作ったんだろう?」

    ↓

「この旅路を草鞋で歩いてたって?」

    ↓

「で、なんでこんなことしてるんだ?」

 

こんな具合に自分の決断に疑問を持ち、昔の人への思いを馳せながらも歩き続ける14日間であった。

 

 さて、出発して5時間半が経つ頃、私は生麦の商店街を歩いていた。

 後に気が付くことだが、東海道沿いは今では商店街として賑わいを見せている?ところが多くあった。道幅が広く直線的な国道ではなく、1本入った商店街を歩くことが幾度とあり、東海道が整備された当時の面影を垣間見られた気がする。

 

 アスファルトの道を進んで行くと、いよいよ横浜に辿り着いた。足元のマンホールには旧東海道を示す絵柄が描かれており、このようなものを目にするたびに私は勇気づけられていた。

 また、このときの服装(半袖半ズボン、普通の靴下)は手足を酷く日焼けさせ、足の指は水膨れで痛み放題にさせていた。後日、快進撃を続けるワークマンで手足にはめて日焼けから守るスパッツのようなものと厚手の5本指ソックスを買い揃えた。

 

 横浜の辺りは坂が多い。山手線1周とは比べものにならないほどきつい坂だ。高台にある住宅街を抜け、坂を下るとまた登り、といった道を抜けるとキリンビールの工場横を通ったりした。ホップだろうか。苦味のある匂いが懐かしく思い出される。

 

 保土ヶ谷宿に辿り着き今日は戸塚宿(JR戸塚駅)まで行こうと思っていたのだが、JR東戸塚駅近くの坂を下ると脚が限界に達していた。地図上では戸塚駅まであと数kmか?1時間もあればいけるか?様々に考えを巡らせたが、まだ1日目だ。ここで怪我をしては何にもならない。安全にいこう。

 17時半過ぎ、歩行距離40.88kmでT53プロジェクトは初日を終えた。

  

 

 翌日、脚の痛みの様子を見ながら先述した装備諸々の調達に出かけた。当初、雨中や夜には歩くことは考えていなかったのだが、案外真夏の陽が燦々と照りつける日中よりも歩きやすいのかもしれない。レインコートや反射板などを揃え、あらゆる環境を想定して準備を進めた。

 また、同じような挑戦をする人がいればの話だが、靴の中敷の重ね履きはおすすめだ。百均でもどこでも中敷きを追加購入し、既存のものと併せて二重で使うのだ。そうすれば靴の中で足が動くこともなくなり、フィット感が増す。

 さらに靴紐をこれでもかときつく縛るとテーピングを巻いたような感覚だろうか、足の痛みが弱まる体感があった。そう言えば、五輪で陸上選手が走り終わった直後に靴紐を緩めていたような。それも同じ理由なのだろうか。