2 小田原

 

 

 

 7月23日、暑晴。今日は東戸塚から小田原までの長旅になりそうだ。

 そして今日も一人。ん?いや、一人じゃない。誰かついてくる。私の父親だった。旅好きの彼はあろうことか一日だけでも私と同じ旅路を歩くと言うのだ。

 

 こうして私たち二人は東戸塚を出発した。

 1時間半ほどかかったろうか、ようやく戸塚に着いた。短いと思っていた距離が意外と長く、前の日に途中で止めておいて良かったと自分の判断に自信が持てた。

 そうそう、この旅の目的の一つには「決められる男になる」というものがあった。どこまで歩き、いつ休み、どこに泊まるのか。色々なものを自分自身の判断で決めると全責任は自分が負うことになる。これから社会に出るにあたって人のせいにしないことは大切なことだと学生ながらに考えていたのだろう。

 

 さて、JR戸塚駅隣接のトツカーナで休息を取った私たちは藤沢へ向けて出発した。道中、歌川広重が『東海道五十三次』で戸塚宿を描いた橋を通りながら、真夏のアスファルトの上を歩き続けた。

 

 そして、藤沢を抜けて辻堂を越えたところで、ファミレスに入って昼食を取った。足にもだいぶ疲れが出てきていて小一時間ほどの休憩だったろうか。クーラーの効いた広めのソファは真夏の旅人にとってはオアシスだった。正直、私は昼食はコンビニで済ませていち早くゴールに辿り着くことを計画していたのだが、今回のように程よく適切な休息を取ることで結果的に健やかにゴールに辿り着き、長い目で見たときに早く京都まで歩き続けられるのだと考えを改めるようになった。

 食後、数キロ先の和菓子屋で麩饅頭を味わい、名物・力餅をお土産に買うなど東海道を楽しみながら小田原を目指した。

 

 16時頃だろうか。私たちはようやく相模川を越えて平塚市に入った。河野太郎氏の選挙区だ。七夕飾りのアーケード街を抜け大磯に差し掛かると、ここから松並木の道が続く。

 

 そして、コンビニなどお店の姿が消えた。

 そうすると疲れも溜まって足が痛くなってきた私は小田原まで歩くのは無理なのではないかと思い始める。脚ではなく足が痛いのだ。実際、両足の小指には水膨れができ、左足の親指には血豆ができていた。

 ただ、父親はこう言った。「行けるよ」、と。彼が歩けて私に歩けないわけがない。そう思った私は覇気を取り戻し、夕食に鶏肉を食べながら夜の街道を歩いた。

 ここからはひたすら1号線を行く。歩道は狭く僅かだがアップダウンも激しい。ガードレールはあるものの大型トラックが物凄い勢いですぐ隣を走り抜けていく。これからこのような道を一人で歩き続けると思うと心細かったが、この経験が何かの自信に繋がるだろう。きっと。

 

 時折、1号線から離れて住宅街に入り、新田義貞の首塚前などを通りながら東海道を着々と小田原に向けて歩き続けた。そして、通りがかりのスーパーで鈴廣の蒲鉾をお土産として買った数十分後、私たちはJR小田原駅に辿り着いた。

 小田原まではホテルを取るよりも電車で一度家へ帰った方が良いという判断をしていたので今日の目標は達成だ。

 22時過ぎ、47.40kmを歩いた私たちは東海道線最終の一つ前の列車に乗って東京へ帰った。延べ2日間かけて歩いた道のりを、帰りの電車はとても速く走り抜けていった。