置くとお婆。 | まいんちのけんいち…Kenichi Mitsuda

まいんちのけんいち…Kenichi Mitsuda

『♪ピアノうた』=シンガー・ソングライター
『♪ピアノびと』=ピアニスト・作編曲家
♬光田健一のCapricious Diary!!

持つとお爺。ではなくて、
あくまで、Octoberだ。
ああくだらなすぎる。

今日は千葉のYS高校で、
渡辺美里さんのサポートで、演奏してきた。

ボクの中学・高校も、比較的こちら方面の地域なので、
確か同級生が通っていたはずだ。
YSというなら、
まさにスワローズ的には、背番号4の度会選手の母校だったはずだ。

その度会選手も、今季限りでの引退を発表した。
明るいユーティリティープレイヤーだった。
明るく朗らかなイメージの選手だった。

真中選手も同様に、引退を発表した。
素晴らしい選手だった。首位打者だって獲れたはずだ。

で、清原選手だ。
CSには代打の切り札としてでも、ベンチ入りしてほしかったが、
本人が、周囲への気遣いから辞退されたそうだ。
残念だ。

そして、王監督も、監督としてのその時を迎えている。
せつないというか、万感というか。。。
この感情を言葉にはできない。
簡単な笑顔や涙では表現できないのだ。

ワレワレ、音楽界に従事する人間にとって、
このようなタイプの厳しさを感じる瞬間は、
恐らくほとんどない。
いろんな意味で、いろんな立場を、常に、
“自称”…で生きていける(場面が多い)。

かつて、オフコースが、
僕等の終わりは僕等が終わる…と、
きっぱりと言い放った。

小田さんの先日の武道館では(素晴らしかった)、
コンサートの最初から、人知れず、このフレーズを思い出していた。
そして今、小田さんが大きな、いろんな、何かを一心に背負って、
その人生を進んでいるということを感じざるを得なかった。
出逢ったひと、出逢ったことの全てを背負っている感じがしたのだ。
他の音楽家に、このようなことを感じたことは、ほとんどない。

思い入れのある何かを、
やめなくてはならないということは、
得も言われぬ程の、辛いことであるはず。
生きる意味を考えずにはいられないくらいのこと…と思う。

高松の、片原町寄りのアーケードで、カバンを買った。
店内では小田さんがパワープレイしていた。
大きくて、ノートPCから機材なんかもいっぱい入って、
背負えて、丈夫そうなものが見つかった。
良いカバンだ。

これから、
本当に背負っていくものは、何だろうか。
まだまだ本気で、生きていかなくてはならない…ということだろう。

まだまだだ。

“だ”がいっぱいだ。

だが、まだまだだ。