難病ALSと闘う!

難病ALSと闘う!

34歳にして難病ALSと診断された妻と共に闘う闘病ブログ

私の妻は、2012年3月30日、34歳のときに難病ALSと診断されました。

当時は絶望感以外なにもありませんでしたが、今は夫婦で前を向き、
出来ることを精いっぱいやっていこうと頑張る日々です。

そんな訳で、情報の発信と収集を目的にBlogを書いていくことにしました。
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妻は、2020年1月16日に、この世を去りました。42歳でした。

 

最期は、私、私の両親、妻の両親に看取られ、安らかに旅立ちました。

 

発病当初からの妻の頼みである、「自宅で、苦しまずに亡くなりたい」

という思いは、かなえることができたと思います。

 

2012年にALSと診断されて8年、病状の出始めから数えれば10年、

様々な方に支えられて生きることができた妻は幸せだったと思います。

 

もっとしてあげられることがあった、と後悔を感じることもありますが、

周囲からは、私の存在、頑張りがなければ妻はこんなに長く

頑張れなかった、と言っていただけることが心の救いです。

 

言葉を発することができなくなってからは、文字盤を使って

コミュニケーションをとっていました。一生懸命文字を追う妻の目を、

今でも忘れることができません。

昨年末から今年にかけて、妻が大好きだったドラマを、携帯電話で

80話にわたって見せてあげているときも、一生懸命目を見開き、

楽しそうに見ていました。

 

このブログを自ら読み返すと、さまざまな思い出が頭によみがえり、

たくさん涙があふれてきます。

 

きっと、妻はいつまでも私の中に生き続けていくと思います。

そんな妻に情けない姿を見せないよう、私自身、早く立ち直り、

しっかりと生きていきたいと思います。

 

本記事でこのブログの更新は最後です。

少しでも、読んだ方のお役に立つことがあれば幸いです。

 

最後に、このブログを読んでくださったみなさま、また、暖かい

コメントをくださったみなさま、本当にありがとうございました。

久しぶりに、更新します。

 

一年ほど前から、妻は声が出なくなってきました。

透明のアクリルボードの文字盤も、時々使います。

 

食事は、1年ほど前から、卵豆腐とプリンしか食べられません。

ほとんどの栄養は、胃ろうからとってます。

胃ろうを作っておいてよかった。

 

でも、オリンピックの話をすると、うれしそうな顔をします。

まだ、頑張れると思います。

 

気管切開をしないと判断した妻、医師の診断では余命は、、、

半年以内。

 

自分にできることを、全部します。

 

またもや久々の更新です。

妻は、誕生日が四月です。無事、歳を重ねることができました。

そして、3月末から4月上旬は近隣に桜が咲いていたので、毎週末、車いすに乗せて一緒に見に行きました。家からすごく近いところしか行けませんが。鼻マスク型の人工呼吸器は、もはや常時装着が必須です。バッテリーで稼働するので、その時間だけ、外出が可能です。

あとれくらい一緒にいられるのか。考えると、正直辛いです。少しでも長く、一緒に笑っていたい。きっと、僕より妻のほうがこの気持ちは強いと思います。今年も、桜を一緒に見ることができたのはよかったです。

だいぶ前の話ですが、前回更新時にコメントをくれた皆様、ありがとうございます。すべて読んでます。

今夜も頑張ってしゃべって、ご飯を口から食べている妻を、僕は全力で支えます。
半年ぶりの更新です。

妻の状態は、仕方がないことながらも着実に進行してます。

もう、小さな声しか出せません。
食事は、かろうじて口から食べられています。
一日のうち、半分以上の時間は、呼吸器を装着してます。

でも、

私の耳を妻の口に近づければ、会話ができます。
私がご飯を口に運んであげれば、食べられます。
二人で一緒に笑うこともできるんです。

一瞬一瞬が、すごく大事に感じます。

昨年末、気管切開はしないと、妻が自ら主治医に告げました。
そして、主治医は、我々に残された時間は一年程度、と。

私は、今、自分にできることを、一生懸命考えて、生きていきます。
妻のために。
1年ぶりの更新です(汗)

妻は先々週、胃ろうを作りました。

作るかどうかも悩んだ末の決断。作るに際しての手術も難航したし、私も早期の夏季休暇を取得し術後一週間、朝七時半に病院に通う日々。正直、精神的にはかなり参りました。妻も、私も。

今は口から食事をとれるのでそのありがたさは分かりませんが、いつか、「作ってよかった」と思える日が来るんだろうな、と思ってます。

もう、首より下は動かせない。でも口と目が動くからコミュニケーションは普通に取れる。だからこそ、今を大事にしたい。

そんな毎日です。頑張ります!
最近更新の頻度が減ってます。。。ですので近況を書こうと思います。

妻の病状に、大きな変化は出ていません。すごく、嬉しいことです。

家を訪れる方々(ヘルパーさん、鍼灸師さん、理学療法士さん等)の
顔ぶれは若干変わっていますが、皆いい人で妻も毎日明るい表情です。

私が早く帰れた平日と、週末は私が妻の生活を全てサポートします。
食事を口に運んだり、トイレ、風呂等の対応も全て私がしてます。

50kg以上ある妻の移乗を繰り返す週末明けの月曜日は、さすがに
体が痛いこともありますが、でも、全然がんばれます。

家にいる時間が長い妻のために、たくさんぬいぐるみを買いました。
HANSAのぬいぐるみ、リアリティがあるのに可愛いからお勧めです。
見ていて私も癒されます。パンダとアザラシとシロクマがいます。
なんとも、ファンタジーな雰囲気の家になったものです(笑)。

でも、妻は毎日それを見てニコニコしているので、家のスペースを
つぶしてでももっと買い増そうかな、と思ったりもします(笑)

頑張ります!
久しぶりの更新です。

週末、河口湖に旅行に行ってきました。昨年も一度訪れている、完全バリアフリー対応の富士レークホテルが気に入ってまして。

妻はもう手で踏ん張る力が非常に弱いので、私の車に私一人で乗せることは困難、と二人で判断し、電車で。中央線で大月まで行き、富士急行で河口湖駅まで。駅からはホテルの送迎車(車いす対応)、というルートでした。

途中、電車を乗り換えるためエレベーターを利用しようとした際に、明らかにエスカレーターも使える方々がたくさん並んでいてかなり待ったり、エレベーターの無い駅でホームに乗るのに大回りをしたり、と色々小さな事件はありましたが、総じて、非常に楽しい旅行となりました。

ホテルの方々も我々を覚えてくださっていて、笑顔と、常に車いすを意識してくれる接客が印象的でした。お風呂もシャワーキャリーがあったので妻と一緒に入れましたし。食事も美味しかったです。部屋からは富士山が近くに見えて、パワーをもらった気がします(笑)

部屋から見える富士山

妻が大のお気に入りのこのホテル、夏にもまた行くことにしました。

やっぱり車で行かないと行動範囲が限られるし体の負担も大きいので、車を改造するか、福祉車両に買い替えようと思います。車椅子を押しながらの電車での往復路はかなり私の体に堪えたようで、帰宅した日は20時には寝てしまいました。。。体力には自信があるんですけどね(笑)

4月に入り、私の会社での立場が変わったため帰りが遅くなり、平日私が会社から帰ってくるときには妻はもう寝ています。平日に会話できる時間が減ってしまった分、休日一緒にいられる時間を充実させたいと思います。
今月、我が家に嬉しいニュースがありました。私が、職場で昇進したことです。

妻は、「自分の病気が理由で夫の仕事に支障が出ることは避けたい」と強く考えてくれています。ですので、「以前と同じように残業もして、仕事に全力を注いでほしい」と普段から言ってくれてます。

その気持ちは本当に嬉しいです。ですが、病気が発覚してからは、私は仕事のやり方を変えました。極力残業しなくてすむよう、周囲の部下、同僚にお願いをすることが以前より増えました。

「毎日、少しでも長い時間妻と一緒に過ごしたい」

と思っているからです。

妻も、それには気付いていると思います。だからこそ、以前より明らかに帰宅が早くなった私が、仕事をおろそかにしていないか、心配してくれてました。

そんな中の嬉しいニュースの訪れに、妻と、妻のご両親は本当に喜んでくれました。その様子を見るだけで、私も凄く嬉しいです。

ささやかな喜びです。

これからも、妻と共に過ごす時間を大事にしながら、妻を含む周囲のためにも、仕事も両立して頑張っていきます。
ALSをテーマにしたドラマが始まってますね。

妻は普段テレビをよく観ています。ですので、そのドラマの存在は番組宣伝を見たため当然知っています。その事実を知った時から、「このドラマは観ない」と言ってます。私も観てません。

三浦春馬さんが演じる主人公がどのような人生を送るドラマかは知りません。ですが、タイトル等から、なんとなく想像はつきます。最終的にどのような結末を迎えるのかも。

その想像が当たっているか外れているかはドラマを観なければわかりません。ですが、ドラマの中で描かれると思われる内容が、将来の回復を信じ少しでも進行を遅らせようと努力する妻と私にとっては、観ない方がいいのでは、と思わせるのです。


現実を見つめないよう逃避しようとしているのかもしれません。

でも、希望を捨てていない、ということでもあるのです。


今日も、仕事から帰った私と夕食を共にした妻は、いつも通り、一生懸命、自分で食事を口に運んで食べてました。私が食事のシメに作った生卵かけご飯を笑いながら嬉しそうに食べてくれる妻、まだまだ元気です。
週末は、ヘルパーさんに頼らず基本的に私が妻を全面的にサポートします。

手の力も弱くなり、一人ではトイレにも行けないしどこにも移乗できなくなりました。車いすにクッションはおいてますが座りっぱなしだとお尻に痛みが出てくるみたいで。そういう時はソファーとかベッドに私が移乗してます。

週末は妻と共にソファーで平日に撮りためたビデオを二人で観るのが習慣になってます。「相棒」って面白いんだな、と妻に教えられました(笑)

ですが、私の趣味のフットサルに関しては、妻は参加するように言ってくれます。ストレス解消に寄与する私の趣味を重視してくれています。

ですので、毎週土曜の夜、移動時間を含めると3時間ほど不在にすることになるのです。その時間は私にとっては実はかなり不安な時間でした。

最近は、近所に住む妻のお父さんがその時間帯、家に来てくれています。今週もフットサルを終えて帰宅すると、二人で寅さんを楽しそうに観てました。夕食も一緒にお弁当を食べたとのことで。二人とも笑顔でした。良かった。

家族のサポートがあるって、嬉しいですね。お父さん、寒い中ご足労いただきありがとうございます。