ライバルとなった聖子と沙也加



沙也加「毎日カップやきそばの時期も」聖子の呪縛を逃れるまで



『アナと雪の女王』で、日本語版のアナの声を務めたことは、

神田沙也加(27)の人生を変える仕事になった。


彼女の名を忘れかけていた世間は「あんなに歌がうまいのか」と驚いた。


偉大すぎる母親・松田聖子(52)を持つゆえに、「パッしない二世」だった沙也加は、
どうやって母の呪縛から逃れたのか。


 ’01年、中3の春にSAYAKAの名でデビューしたとき、

彼女はまさに「親の七光り」だった。


’02年のCDデビュー曲『ever since』は20万枚売れたが、プロモーションに10億円かかった
といわれるわりにはあまり大成しなかった。


娘にとって母の操り人形でいることは楽しくなかった。
デビューがうまくいかないと、母は留学を勧めた。


「当時、聖子さんは娘の人生を仕切り直そうと、

卒業後は米バークリー音楽学園に留学させたがっていた。


反抗した沙也加さんは このまま日本で仕事をしたいと、

自らミュージカルのオーディションを受けに行った」(芸能関係者)


 それが宮本亜門演出の『INTO THE WOOD』(’04年)だった。

宮本亜門には「あなたはあなたでいいんだ」と言われたという。


奇しくも『アナと雪の女王』と同じメッセージを、

沙也加は10年前にもらっていたことになる。


 高校を卒業するとひとり暮らしを始め、

12歳年上の離婚歴のあるギタリストと交際。


心配した聖子と大ゲンカし、近隣住民から警察を呼ばれる騒ぎに


その後 聖子との確執は深まり 沙也加が出した結論は休養だった。


’05年から1年半休んで、ニューヨークやロンドンで舞台を観て学んだ。


「活動休止中に出した結論が、母・松田聖子とは違う道を歩むということでした。
以後、彼女はミュージカルや舞台を中心に活動していきます」(芸能ジャーナリスト・二田一比古)


 勝手な休養に またも聖子は激怒。


「給料を凍結して月20万円の生活費を渡さず、沙也加は毎日カップ焼きそばで過ごした時期もあった。
それでも、宮本亜門と出会った感激が、舞台の勉強を選ばせた」(前出の芸能関係者) 


 ’06年12月、舞台『紫式部ものがたり』で復帰。

母が決めた芸名”SAYAKA”ではなく、本名の“神田沙也加”を名乗った。


主役を演じることは少なくなり、メディアに出る機会は減ったが、
少しづつ 沙也加は実力を蓄えていった。


娘 沙也加がアナ雪で再ブレークし自立した今、

母 聖子は何を思うのか。


歌手・聖子の生みの親・音楽プロデューサーの酒井政利氏が代弁する。


「デビューしたころ、沙也加さんは聖子さんに似ていると言われていましたが、
私は(父親)神田正輝さん(63)のお母さまで女優だった故・旭輝子さんにそっくりだと思います。


沙也加さんには、舞台女優の血が受け継がれているんです。


でも、沙也加さんの大ブレイクに内心、聖子さんは穏やかではないと思います。


自分がプロデュースしてのことなら手放しで喜んでいるでしょうけど、
娘が親離れしてつかんだ成功ですから。


聖子さんの性格からすれば『私も負けられない』というライバル心があると思います」




沙也加は どっちかというと 聖子よりも 父親の神田正輝 さらには
祖母の女優だった故・旭輝子に似ているのだろう



沙也加も自ら

顔と性格は 父親 神田正輝似
声質と仕草は 母親 松田聖子似 と言っており


1997年に夫 神田正輝と離婚した聖子にとっては複雑な心境だ



愛情が強い上の確執 憎悪
子離れ出来なかった母親の苦悩



理解しあえない母娘

親離れしてつかんだ娘の成功



いろいろあった親子関係だったが 神田沙也加(27)は自分一人の力で独り立ちした



聖子にとっては 面白くないかもしれないが 子離れして

良い親子関係 ライバル関係でいて欲しいと願わずにはいられない





僕が結構 名曲だと思っている『ever since』


https://www.youtube.com/watch?v=F2B9OJkBeWg




聖子とコンサートで競演したSAYAKA


https://www.youtube.com/watch?v=M4765RrTxkE




神田沙也加  とびら開けて with 津田英佑


https://www.youtube.com/watch?v=Fj5W7OaOvnk