八城幾子、というキャラクターは、うみねこならではの、大変面白いキャラクターだと思います。
「アウローラ」が幻想キャラクターだと思っている人は多いと思うのですが、
「八城幾子」自体が幻想キャラクターだと気づいている人は、意外と少ないのでしょうか。
以下、本編です。
アウローラの本体としての「八城幾子」は、
“魔法エンド”を前提としたとき、幻想キャラクターになります。
これは、うみねこの時系列を良く考えてみれば分かることですが、
ER8の魔法エンドの場合、縁寿の時間は、
EP4のシーン、ビルの屋上にいるシーン、
すなわち、「八城幾子」に出会うまえのシーン、
ベルンカステルと直面していたシーンにまで巻き戻ります。
時間が巻き戻る、というのは、作劇場の演出を重視した表現ですが、
アンチファンタジー的見地からいって(ありていにいえば現実的にいって)、
時間は巻き戻りませんから、
もともと、物理的な時間というのはビルの屋上で止まっていて、
そこからあとの、つまりEP5~ふたたびビルの屋上に戻ってくるまでのシーンというのは、
縁寿の頭の中、心理的な時間の中で行われた空想ということになります。
つまり、この時点では、縁寿は実際の「八城幾子」に会っていません。
EP5以降で登場する(EP8の魔法エンド部分除く)「八城幾子」は、縁寿が想像した幻想キャラクター「八城幾子」であって、
「八城幾子」本人とは別物です。
だから、決定的な話、
魔法エンドの「八城幾子」は赤字による宣言が使えます(魔法エンド時に使用していましたね)。また、決定打ではありませんが、人格も浮世離れしています。
そして、EP8の最後の最後、
何十年もたってから、縁寿が「八城幾子」と「十八」にあうシーンがありますが、
ここの「八城幾子」こそ、現実世界の「八城幾子」本人ということになります。
よく読むとわかるとおり、ここの「八城幾子」の所作は、きわめて常識的なもので、
EP5以降に登場していた、想像上の「八城幾子」のエキセントリックな所作とは異なります。
もちろん、立ち絵は共通の「八城幾子」が用いられていますが、
うみねこでは立ち絵は「役柄」を示すものであって、
単純に外見を示しているものではないというのは、これまでさんざん見てきた通り。
当然ながら、「八城幾子」は魔女でもなければ、
若い頃の縁寿が想像していたような、
過剰にエキセントリックな人物ですらなかったというわけです。
【手品エンドの場合】
蛇足かもしれませんが、手品エンドの場合は、時間の巻き戻り方が
六軒島訪問手前になるので、縁寿は実際に「八城幾子」に会っています。
この場合、アンチファンタジーの見地でみるかぎり、
「アウローラ」は縁寿の想像した幻想キャラクターですが、
「八城幾子」自体は、縁寿の見たとおり、
非常にエキセントリックな人物として実在したことになります。
つまり、まるで、EP8に出てきた、
カットケーキの中のアーモンドの存在確率変動のように、
未来における縁寿の決定が、過去の現象を左右した、という現象をなぞっているようです。
こういうところ、竜騎士07先生、さすが上手いなぁ・・と、思います。