学校12年間通い続けた学校に今日、お別れをしましたしょぼん  

なんだか高等部に入ってあっというまに3年間が、過ぎっていったような気がする・・・。それは、高等部でたくさんのことをチャレンジしてきたからだと思う。


最初は、やっていけるかどうか不安で・・・。だって義務養育じゃないだもん。もし嫌気がしたり、単位が取れなかったら留年だからね。そう考えると、本当に不安でした。

1年生の時の思い出はなれることに必死だったなぁ。慣れていたのは、11月頃だった。


2年生の時は、とにかく精神的にも安定して有意義に過ごせました。そして少しずつ『チャレンジ』精神がわいてきました。何と言っても、電車通学や下校ができるようになって、行動範囲が広がったことかなチョキ  養護学校では、自力通学・下校(自宅~スクールバスのバス停、自宅~学校、学校~帰る時など自分ひとりでやること)は、安全に安全を重ねて、保護者・担任・自力担当の先生・校長先生の許可が必要であり、書類を提出します。また、担任が後ろについて、実際に行けるか、保護者と自力のルートを通ってみる。などたくさん許可が出るまで行う。

僕はすべて2年のときにやった。


3年生になった4月、僕にとっては、とても予想外のことが起きる。それは担任が変わったということだ。別に学校では珍しいことではない。しかし、学校の中には数百人の先生がいる。

その中でも、今回の担任は、僕が今までの12年間の担任の中で「絶対に担任にはならない」「なってほしいと思わない」と思っていた先生が担任となったこと。しかも1年間の僕の担当の先生だ。だから行事とか、訓練とか、実習とか、そのほか進路の相談とかはその先生に相談する。

思いもよらないことだった。1年何とかやってきた。しかし、その先生に対する「苦手」「からみづらい」という気持ち今も変わらない。とても生徒想いで、とても熱くて、とても素晴らしい良い先生だとは正直分かったけど、「からみづらい」という気持ちからあまり好きにはなれなかった。先生、ごめんなさい。でもそんな先生が担任だったから、2年のときよりも伸びて成長し、自分という意思がしっかり持てたような気がした。

今年の担任は8人いた。数学の先生、音楽の先生、国語の先生、体育の先生、情報の先生、訓練・保健体育の先生、社会の先生、英語の先生。ちなみに上記で述べた先生は情報(パソコン)担当の先生だ。


本当に個性豊かな友達・先生たちと勉強できてよかったと心底から思う。友達・先生一人一人に学んだことを忘れずに、この学校から旅立った。

4月からは東京にある、訓練校に行きます。そこは就職を目標に、職業訓練をする場所です。寮での生活なので家からもさよならです。生活に関しては食事は出るけど、洗濯・着替え・掃除などをすべて自分でやらなければならない。今までは親にやってもらったことを一気に自分でやる。これはとても大変だけど、自分で決めた『道』なのだから!就職を目標に頑張るぞグッド!

そしてまた新しい出会いが待っている。つまづいて、壁にぶつかる時が必ず出てくるだろう。その時は、「深呼吸」をしてゆっくり歩いてみる。担任の一人から今日、言われたこと「ガンバリ過ぎないようにガンバレ!」って。僕は真面目に考えてしまい、いつもせっぱつまってしまい、パニックになることがある。自分なりの生き方でいいじゃないか。たまには肩の力をスウっと抜いて前へ進もう。自分という意思をしっかり持って!

たくさんの人に言いたい。

ありがとう。