半年ほど前に書いた運動発表会だが、緊急事態宣言で延期になり、秋になってから開催された。

平日の授業の一部を使っており、学年別に日を分けていた。さらに生徒1人につき保護者は2名までに制限されている。実際に行ってみると、以前に書いたとおり、体育の授業参観と言って良いものだった。種目はダンスとリレーだったのだが、観客が少ないし、BGMやら他の子供の歓声がない※1 ので寒々しく感じた。誤解を恐れずに言うと、何かの罰ゲームか?と思ったくらいだ。子供も何のためにやっているのか疑問を持ったようだ。ここまでして教師が運動会(もどき)に固執する理由を改めて考えてみる。

運動会の目的として学校が言いそうな、「地域社会との接点」「全校一丸となる機会」といったお題目は、運動発表会では否定される(親しか参加してないし、学年別だし)。親しか見なくてもやる意味はあるということだ。授業参観ではなく、運動発表会と名乗る意図は何かと考えてみると、「発表会のためにダンスの練習をした」という点だと思われる。何のために練習をさせているのか、私には理解できなかった※2。その時間を他のことに使うべきだ。


惰性でやっていた運動会の形を変えたことで、見えてくるものがある。結局、運動会は単なるお祭り、もしくは見世物であって、教育上の意味はない。親に見せるのが目的なら授業参観としてやればいい※3 というのが私の感想である。やはり、ダンスの練習を強いることで生徒が教師に歯向かわないようにするのが目的にしか見えない。学校はコロナが落ち着いたら運動会を復活させる気が満々であることだけはよく分かった。学校にとって運動会をやらないことはそんなに都合が悪いのだろうか。昨年は運動会も運動発表会もなかったのだが、それによって何か問題が発生したのだろうか。

 

※1 他の学年は通常授業中だ。

※2 私は運動会も意味不明だと思っているが、運動発表会は輪をかけて意味不明だった。しかも春に練習させて、延期になったので秋にも練習させている。単なるシゴキ以外の意味などあるのか。
※3 親からすると、授業参観は体育ではなく、他の科目を見たいと思う。あえて体育を見たいという需要はあるのだろうか。