昨日は繰り上がりの足し算の話を書いたが、昨日のは前座で続きがある。


 

繰り下がりの引き算でも同じようにやれと言っているのだ。例えば15-7だと15を10と5に分けて、10-7は3、3に残りの5を足して8だと。式にすると15-7=(10+5)-7=(10-7)+5=3+5=8。

 

引き算の例、黒が問題文、赤が子供が書く部分。

 

確かに頭の中では同じことをしているという意味では足し算の時と同じだ。しかし、6を3と3に分けるのと、15を10と5に分けるのは意味が違うと思う。前者は「相手(昨日の例では7)と足して10になる数と残りに分ける」ということだが、後者は「10と残り」だ。いちいちさくらんぼを書かなくても自明だろう。子供の愚痴のレベルも上がったように思う。

 

こういうのはよくあることで、「手段が自己目的化する」というやつだ※。足し算でうまくいったから、意味をあまり考えずに引き算にも適用する。結果として無意味であっても、形を重視してやり方を無理矢理そろえる。なんでもかんでも「道」にする(茶道とか弓道とか)という話をどこかで読んだが、これも「算数道」の様式美を追求した形ということなんだろう。数字を○で囲むことに何の意味があるか、論理的に説明できるとは思えない。

 

25-7だったらどう書かせるんだろうか。10,15にわけて、10-7+15とするのだろうか。まどろっこしいなあと思ってしまう。筆算だと「隣から10借りてくる」といって繰り下がりを計算するはずだが、整合性は取れるんだろうか。

 

※私が小学生の時には、「筆算で式と答えの間に引く直線は定規で引け」という謎の指導があった。無意味極まりないので無視していたが、今でもやっているんだろうか。あれは一人の教師の趣味だったのか、多くの教師が正しいと信じてやっているのかも知らないが。