イメージと思考

イメージと思考

スティーブ・ジョブズはミーティングに「ぶつかり合う石」のイメージを見出していた。イメージは思考を制限も開放もする。

物事を推進するときには、必ず障害がある。

前進しようとするというのはそもそも、向かい風を受けるということ。

 

前進しようとする力は、ベクトルで表せそうだ。

一人で前進することを考えると、

「目的地に至るための道程を知っている」のは同ベクトル。

「目的地に至るための道程を知らない」のは逆ベクトル。

 

目的地に知至るための道を知ったとして

「そこに至る体力がある」のは同ベクトル。

「そこに至る体力がない」のは逆ベクトル。

 

そこに至る体力をつけようとトレーニングするとして

「目的地に行く動機がはっきりしている」のは同ベクトル。

「目的地に行く動機があいまい」なのは逆ベクトル。

 

商売で考えると

「商品をお勧めしたい動機がはっきりしている」のは同ベクトル。

「商品をお勧めしたい動機がはっきりしていない」のは逆ベクトル。

 

その商品に

「自信がある」のは同ベクトル。

「自信がない」のは逆ベクトル。

 

として作用する。

 

二人以上で前進しようとすることを考えると、目的地がはっきりしておらず、

「同じ方向を向いている」のが同ベクトル。

「バラバラの方向を向いている」のが逆ベクトル。

 

細部に至るまで、ベクトルは存在する。

抽象度・具体度という言葉があります。

抽象度を上げると具体度が下がり、抽象度を下げると具体度が上がります。

 

どういうことかと言うと

 

生命体

動物

哺乳類

サザエさん家のタマ

 

厳密にはもっと段階があるのでしょうが、こんな感じです。

上に行けば行くほど抽象度が上がり、具体度が下がります。

 

この考え方が何の役に立つのか?と言うと、

情報整理に役立ちます。

 

例えば、タマは健康上の問題を抱えているとします。

ではそれは、全猫共通のことなのか?

全猫共通であれば、いたしかたないことではありますが、共通するということは、問題の本質に近づいたということでもあります。

 

問題解決にあたって、タマのことだけを考えると、思考の範囲が狭いですよね?

「タマの健康はこれが限界なんだろうな」

と納得しがちです。

 

しかし、抽象度が一つ上がっただけで、思考の範囲、つまり、影響する範囲が大きくなるわけです。

「タマの健康問題はタマだけに起こっていることだろうか?もしかしたら、他に同じ事例があって、解決している人もいるかもしれない」

と考えます。

 

さらに哺乳類全体の問題であった場合、タマの問題は人間の問題でもあります。

「タマの健康問題は、人間にも言えることではないだろうか?これはもしかしたら糖尿病では?」

などとまた違ったものの見方ができます。

 

視点が変われば出てくる答えも変わるわけです。

問題が起こったら、ぜひ、抽象のはしごを思い出してください。

 

 

このブログを書くにあたって、イメージしたのは

 

「ジェームズ・クリアー式 複利で伸びる1つの習慣」

という書籍です。

 

この本の冒頭部分で著者は、自分の事故について話しています。

詳しくは書籍をご覧いただきたいのですが、学生時代の事故から奇跡的に回復するまでを述べています。

 

その回復を助けたのが「習慣」だったわけです。

習慣というのは、僕らを助けるものであると同時に、破滅させるものとしても機能します。

要するに、建設的に使えるかどうかということ。

 

「思考」というのも、建設的に使うことも、破滅的に使うこともできるものですね。

思考にも癖があるので、「思考もまた習慣である」と言うことができます。

 

思考は、イメージによって左右されるものです。

 

例えば、スティーブ・ジョブズは、

彼は石をいくつか缶に入れ、何かの液体と砂粒を加えた。そして、モーターを動かすと「明日また来い」と言うんだ。缶は激しく音を立てていたよ。翌日彼を訪ね、缶を開けてみると、驚くほど美しく磨かれた石が出てきたんだ。缶に入れた時はありふれた石だったのに。石がこすれ合うことで摩擦や騒音はあるが、それで美しく磨き上がる。
私にとってはこの体験こそが情熱を持って働くチームの象徴なんだ。

と言っています。

見事に自身のイメージを言い表しています。

 

「問い」は思考になくてはならないものですが、思考過程において、イメージが重要な役割を果たします。

イメージの習慣が、思考を大きく左右させます。