30
朝顔は昼顔に凄まれて固まってしまった。
俺は立ち上がって、「俺だけど」と言った。
「あんたか」
昼顔はツカツカと俺の前まで来て、まるで品定めするように俺の全身に目を走らせた。
すると楓さんが慌てて俺たちの間に割って入った。
「ちょ、ちょっと准!なんなの?いきなり。夕顔くんに何の用事?」
「夕顔、く、ん?」
昼顔は片眉を上げて楓さんを見た。
「ゆ、夕顔くんは、その…ここのパン屋の人で」
「見りゃわかる」
「ビストロのパンを作ってくれてて…」
すると、朝顔が俺の後ろから、手を上げた。
「あ、作ってるのは僕です。夕顔じゃない方」
「そんなこたどうでもいい」
昼顔は俺に向き直ると、
「悪いが、ちょっと顔貸してくれないか」
と表の方に顎をしゃくった。
なんだ?この好戦的な態度は?ひょっとして、極度のシスコンか?売られた喧嘩は買うぞ、俺は。
「その前に名を名乗れよ」
「昼顔だ」
「あ、夕顔くん、あたしの弟。准って言うの。ちょっと准、やめてよ」
楓さんは昼顔の腕を引っ張ろうとしたが、昼顔はそれをさっと避けた。早い。喧嘩も強そうだな。
「楓には関係ない!俺はこの人に用事があるんだ!」
喧嘩に勝つには、相手より冷静になることだ。
俺はポケットに両手を突っ込んで顎を上げ、目を細めた。
「なんの用事?」
昼顔は俺を正面から見据えて言った。
「夕顔、あんた、藤野佳子さんを知ってるな?」
一瞬、なんと答えるべきかわからなかった。
「彼女があんたに会いたがってる」
朝顔は俺の影に隠れ、楓さんは不安げに俺たちの様子を見守っている。
「会う理由は、ないと思うけど」
「あんたの一番の太客だった人が会いたいって言ってんだ。理由はそれで充分だろ」
「俺はもうホストじゃない。向こうが会いたいって言っても俺が会わないこと、ババアが一番よく知ってるはずだけど?」
すると、昼顔は俺の腕をバッと掴んだ。
「俺は知らない。あんたがどう言おうと、会ってもらう」
強い力で掴まれ、昼顔の本気度が伝わった。
正直、楓さんの前でババアの話なんてしたくない。
「離せよ」
「イヤだ」
「楓さん…」
俺は楓さんの方を見た。
「弟くん、変わってないじゃん。今もすごくまっすぐな人なんじゃないの?」
楓さんは事態が飲み込めず、言葉を失っている。
昼顔は掴んでいた腕を離すと、いきなりその場に膝をついた。
「佳子さんは…っ…病院にいるんだ!早くしないと…もう…」
目には涙が浮かんでいた。
「いいから、来てくれ!頼む!」
昼顔の土下座を俺は呆然と見下ろしていた。
なにがなんだかわからなかった。
病院にいる?あのババアが?殺しても死ななそうなあのババアが…?
すると、楓さんが、そっと俺の腕に触れた。
「夕顔くん…行った方がいいと…思う」
楓さんは俺と目が合うと、神妙な顔をして頷いた。
「行ってあげて。…はやくっ!」