雨について 3 | 上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

上目遣いのけんちゃん先生 V6カミセン 小説

V6の三宅健と森田剛と岡田准一をイメージしたイケメン教師が、今どきの女子高校生たちと繰り広げる学園ドラマ。ドラマの進行の合間に出てくるけんちゃん先生の古典講義は勉強にもなる?

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だけど、彼の体は宇宙にあるのではない、空の高みにあるのではない。



だから、俯瞰できたような気がするだけで、実際は地面に足がついている。そして、もう二度と愛しい人に触れることはできないという現実。



個人的な体験や感情から逃れることができないのは、この地面にくっついてる肉体から自分の魂や感覚だけを切り離すことができないから。



人間は、生きている限り(つまり肉体がある限り)、苦しみや悲しみという感情から逃れることはできない。



だから、いったん昇華したかのように思える感情がふたたび泥臭く自分を苦しめる。



悲しくて、苦しくて、仕方ない。



それが、博で昇華したかに見えるその後の、揺り戻しの イノッチ剛 パート。


死にきれなかった人の再生パートと言うべきか。




もう泣くしかない。



雨、雨。泣け、泣け。



それが人間。



まだ晴れないけど 




だけど、いつまでも泣くんじゃない。



晴れるまで



晴れるまで 泣け




いつかは晴れる。私たちは、それを知っている。知っているけど、今は、悲しい。



上を向いても










人はいずれみな死ぬ。

一瞬も永遠も同じくらい尊い。

明けない夜はない。



そんなことが色々わかってたって、泣けてしまうこの感情こそが、生きてるってこと。



皮を剥いてしまえば、生身の人間は誰しも恐ろしく非力で、また一方でたくましい。そして、その点において、人はみな等価である。



MVでは、もがき苦しむV6が、そんな生身の人間を見せてくれた気がします。



ちなみに、准ちゃんパートは、雨(ame)と同じく、脚韻の母音が、全てa。博パートもそう。その前の思い出にふらふらしてる感じの(絶望前?)剛くんパートはa、中がaa、またaiとなってて、韻もしっかりしてて耳に心地いい。



ところで、ふと思ったのは、雨、雨という平易な単語、単純なフレーズの繰り返しを飽きずに聞けるのは、メンバーが入れ替わり立ち替わり歌うからだろうか。ボーカルがひとりなら、しつこく感じたり飽きたりするのだろうか




以上



次は、『家族』について



その前に小説UPかな。