「じゃな。また明日」
酔っ払った健がバーの前にとめていた自転車に跨って、ヒラヒラ手を振る。
「またな」
手を振り返して健を見送る。が、ペダルを踏み込んだ瞬間よろけた。
「おいっ。大丈夫かよ」
「大丈夫、大丈夫」
「事故るなよ酔っ払い」
「大丈夫だって」
また踏み込んでよろけた。前から車が来ている。
「危ないって!お前、自転車置いて帰れば?」
「だぁいじょうぶだって」
「ほんとかよ。なんかあったらさぁ、俺が新城に怒られるから。ちょっと…しばらく押してけよ」
俺は健を下ろして、並んで歩き出した。
「条、あっちじゃないの」
「いいから。どっからだって帰れんだよ。道は繋がってんだから」
「そりゃそうだけど」
月曜の夜にしては人通りが多い。自転車を押してふらふら歩く健と時々肩がぶつかる。
「新城は?早く帰んなきゃ、待ってんじゃないの?」
「ああ、今日あの人遅くなるって。なんか知り合いの講演会に参加するとかいって出かけてんの」
「ふぅん」
「同じようなさ、障碍のある人たちのネットワークってあるじゃん。そういうのに時々出かけるからさ」
「お前もそういうのに参加したりすんの?」
「一緒に行くこともあるけど…俺は立場が違うからね。彼女だけ行って、同じ立場の人たちと本音で話す方が息抜きになるってことあるじゃん」
「そっか」
「だからまあ…何にでもついてくわけじゃなくて…適度な距離を保ってますよ」
「…ふぅん」
「夫婦円満のコツは干渉し過ぎないことでしょ。関心はあるけど干渉はしない」
「へーぇ。…ってか、お前、俺には干渉してない⁇」
「してるかな?」
「してるよ!」
「そうかな。まあ、いいじゃん。円満なんだから」
「円満か⁇」
「円満じゃん!こんな長続きしてる関係、ここしかないもん。俺」
健が俺と健の間を指で結ぶ。
家族以外にな、って言おうとして、健にはもう家族がいないことを思い出した。
新城が健にできた新しい家族だけど、俺との付き合いの方がもちろん長い。
健のことは、正直、近過ぎて時々疎ましく思うこともある。それこそ、家族みたいに。
だけど…
俺は隣を歩く健をそっと盗み見る。
もしも、こいつがいなくなったら、俺はどうなるだろう。
きっと、心にぽっかりと大きな穴が開いてしまうのだろう。
だけど、もし今健がいなくなったとしても、今まで通り俺の日常は流れてって…いつのまにかその穴自体が大事な自分の一部になっちゃったりして…意外とやってけるもんなんだろうな。
千帆のときも、佐倉のときもそうだった。
大事な人を失くした後の気持ちをどう扱うか、そんなことに慣れたくはないけど、俺は少し慣らされてしまったかもしれない。
ふいに、まだ月曜なのに、無性に桜に会いたくなった。
……。
そんな気持ちになった自分に、警告音を鳴らすもうひとりの自分がいる。
そんなに好きになったらダメだ。好きになればなるほど、失ったときのダメージは大きい。
それだけじゃない。自分のダメージだけじゃなくて…
やっぱり、慣れてなんかいない。
俺はこれ以上…大事な人を失うのが怖い。もしも、失わずに済む方法があるなら、俺は何を引き換えにしたっていい。
「なんかさぁ…」
「なに?」
「いや、やっぱいいや」
そんな気持ちを正直に健に言おうとして、やっぱりやめた。