なぜなら、左大臣邸に泊まるより御所に泊まる方が気楽だったから。
葵の上は、あいかわらずツンと澄ましていて、もったいぶったところがあって、まず話が弾むってことがない。
僕が行っても、ウキウキと嬉しそうなのは、左大臣と女房たちだけで、肝心の葵の上は、僕がみんなにもてなしを受ける様子を人ごとのように見ているだけだ。
女房たちも下がり、夜の閨でふたりきりになっても、葵の上の態度は変わらない。
そして僕たちは、義務のように、夫婦の契りを交わす。
葵の上は、僕の下で固く目を閉じてその時が過ぎるのを待つ。
「ねぇ…」
人形のような美しい妻を抱きながら、
「目を…開けてよ」
僕の方は、たとえ人形を相手にしていても、女というものの中にあって、おのずと昂ぶっていく。
僕を見て欲しかった。
「葵の上…っ…」
僕を見てよ。
どんな思いで、あなたは僕に体を開くの?
あなたの心はどこにあるの?
あなたは人形で、僕は獣だ。
獣の欲望を満たして、あなたは衣に袖を通し、澄ました顔で僕に背中を向ける。
裸のままで息を整えているのは僕だけだ。
僕は腕で顔を隠す。
あの方のキラキラした瞳が瞼の裏に映った。
僕を映す瞳。見つめ合って、微笑み合って、語り合った眩しい日々。
僕は、幼心に、大人になったら藤壺の女御のようなお方を妻にしたいと思っていた。
二度と戻らない温かい日々。
僕を温めて欲しい。だれか…。
僕は獣じゃない。獣なんかになりたくない。
ただ美しいだけの人形が欲しいんじゃない。
僕が欲しいのは…
温かい血の通った愛すべき人。
温め合える相手。
心を通わせ合える相手。
僕が欲しいのは…
僕が欲しいのは…
遠い春の日、御簾を上げて、咲き乱れる藤の花を一緒に眺めた…
僕の母に代わるあの人…父帝の寵妃。