父帝は、いつでも僕をそばに置いて愛でていたいのだ。
それは、元服前と変わりなかった。
けれども、もう大人の男になった僕は、後宮の女たちには御簾一枚隔てられる存在になってしまった。
自由に出入りできた、僕を甘やかしてくれた、母胎のような、女たちの優しく生温い世界。
僕はもうそこには入れない。
とりわけ安らげた藤壺の女御様のお部屋が懐かしかった。
あの方のお部屋、あの方の匂い、優しい声、美しい微笑み…。
「飛香舎へ参るか」
父帝がそんな僕の心中を察したのか、藤壺の御局へ僕を誘った。
御簾の向こうの、そのまた几帳台の影に、あの方がいらっしゃった。
几帳台の影から美しい袿の裾と長い髪がはみ出しているのが御簾越しにわかった。
僕は知ってる。
あの方の身に纏うお召し物の手触り。薫きしめたお香の香り。戯れに触れた冷たく滑らかな髪の感触。
父帝は僕を尻目にすっと御簾の内に入ってしまわれた。
父帝の低く優しい声。
それよりももっと密やかなあの方の声。
「なに、女房を介すまでもない。あなたの息子…といっては失礼か。弟のようなものなのだから」
父帝はそう言ってあの方に僕に直接言葉をかけるように促した。
けれども、御簾の内から聞こえるあの方の言葉は、儀礼的な挨拶に過ぎなかった。
僕は、そのとき初めて、そこにある御簾が、物理的な隔て以外に持つ意味を実感した。
つい昨日まで、僕とあの方は、まるで姉弟のように、最も親密な間柄だった。
なのにもう今は、最も距離を置かなければならない間柄になってしまった。
御簾は語る。
僕は男で、あの方は女なのだと。
僕は臣下で、あの方は帝の妃なのだと。
御簾は、決して越えてはならない境界…。
この境界を越えられる男は、ただひとり。
帝がすっとまた御簾を上げて、出ていらっしゃった。
僕は、優雅で自信に満ちたその人を見上げた。
何もかも手にした、この世の頂点に立つ圧倒的な男の眩しさに、僕は思わず顔をしかめて、目を伏せた。